01.聖女
教会の鐘が11時を告げました。
巡礼者のためのミサがはじまります。
混雑した聖堂で身じろぎひとつせず、巡礼者たちは今か今かと聖女セレスト様の登場を待っていました。ミサは毎日行われていますが、聖女が歌を捧げるミサは週に2度だけ。ですので、この日は特に聖堂がいっぱいになるのです。
ここ宗教特区ロザリオでは、国教とは別に古くからの聖女信仰が根付いてきました。
都市としては小さな規模ですが聖女の力のために非常に影響力が強く、独立国家並の裁量を持ち、神殿のトップが領主を兼ねる特殊な街です。
私、ユスラがお仕えしている当代の聖女セレスト様が歌うお姿は圧巻そのものです。
国内でも有数の歴史を誇るこの教会で、巡礼者のために歌で奇蹟を紡ぐのです。聖女様は教会以外では歌いません。
ここロザリオへはるか遠くから巡礼の旅をしてきたり、さまざまな病や怪我を抱え、日常生活もままならない状態で連れてこられる方も珍しくはありません。
その…少々独特な芳香を放つ方が多いので、聖堂では天井から大きな香炉を吊るし、それを振り子のように空中で行き来させています。
銀色の香炉から出る煙が祈りの場を包んでいく中、真っ白な聖衣に身を包んだ聖女様の歌声が響き渡ります。聖女様の歌を聞いたものは、重い病もどんな怪我もたちまち快癒するのです。その声は大変美しいので、民衆からは親しみをこめて、ひばりの聖女様と呼ばれていました。
セレスト様がお美しいのは歌声だけではありません。すらりとした長身に白銀色の御髪。空色の名の通り、透き通った綺麗な青い瞳をされています。
すっきりした鼻梁に肌はぬけるように白く、春の花で染めたような唇はいつも穏やかな笑みをたたえていました。
孤児だった私がセレスト様の傍仕えになってから7年。聖女様はいつもお優しく、美しく穏やかで、私のようなものにも温かいお声がけをしてくださいます。
神は美しいものの前に性差など些末なことだとお思いになったのでしょう。この御方が男性だと、一体誰が思うでしょう。
そう。教会での上層部と、側仕えの私を含めた一部の世話人が知っていることですが、セレスト様はれっきとした男性なのです。
男性といっても見た目は女性そのもの。いいえ、どんな女性よりもずっとお美しいのです。
19歳になっても声変わりすることなく、髭もはえません。ただ、体つきはやはり男性のものなので、骨ばった肩や喉元を隠すためにいつもゆったりとした服をお召しになっていました。
ロザリオの聖女はご神託によって選定されます。身分の差はなく、過去には貧民街出身の聖女様もいらっしゃったそうです。男の方がなることもごくまれにあるそうですが、男性が聖女たりえることは秘匿され続けてきました。
ですからセレスト様は体が弱いということになっており、活動が制限されていました。御年5歳でこちらに入られてからは、教会と隣接する修道院を往復するだけの日々。外の世界に出ることは決して許されない方でした。
俗世から完全に切り離されているからでしょうか。民を想うセレスト様の歌はそれはそれは澄みきっていて美しく、側仕えになって長くなるというのに、何度聞いても泣いてしまいます。セレスト様が戻ってくる頃にはいつもべそをかいている有様でした。
「また泣いていたのですか?お前は本当に泣き虫屋だね、ユスラ。」
そう言って私の名を呼び、優しく頭を撫でてくれる聖女様が大好きでした。
*
家が貧しく食い扶持を減らすために教会で雑役婦見習いになった私は、余計なことを口にせず気が利くという評価でセレスト様付きになりました。
おそらく、何かあっても口封じに殺しても差し支えない貧民、という判断もあったのでしょう。そういう事情を察知できるのも、私が抜擢された理由なのだと思います。
私が教会にやってきた経緯を聞いたセレスト様は、そっと私の背中を撫でました。
「ユスラ、お前は小さな体で家族を救ったのです。偉かったですね。」
そんなことを言われたのは初めてでした。それも、自分と3つしか違わない子に。物心ついた頃から「予定外だった」と言われ続けてきた私にとって、本当の人生はあの日から始まったような気がします。
特別信仰に篤いわけではなかった私にとって、教会にきた日からひばりの聖女セレスト様が私のすべて、私の女神様になりました。私は少しでも聖女様にふさわしくあろうと、たくさん本を読んでいろんなことを覚えました。
この方のためならなんだってできる。なんでも差し出せるし、どんな苦労も厭わない。
ひたすらにそう思ってお仕えしてきた7年間でした。
セレスト様が巡礼者のためのミサを終えてお部屋に戻られたら、ハーブティーを淹れるのが日課です。
少し前から調子が悪いのか、歌い終えた後にお辛そうだったので、この頃は喉の炎症を緩和するブレンドをお出ししています。
「いつも美味しいお茶をありがとうユスラ。でもこれは治りそうにもないから、あまり気にやまないで。」
セレスト様はそういって、とても優雅にカップに口をつけるのでした。
「そうはいきません。来月のお誕生日までにはきちんと治していただかなければ。なんといっても区切りの歳なのですから。」
そう、まもなくセレスト様は20歳を迎えられます。聖女は教会の所有物であるという考えから、聖女様のお誕生日をお祝いすることはありません。ですので、ささやかながら個人的にお祝いの気持ちをプレゼントを用意していたのです。
当日には小さなデコレーションケーキも作る予定で、本当はセレスト様ご本人よりも私のほうがお誕生日を楽しみにしていたくらいでした。
「ユスラ、いずれお前の耳にも入るでしょう。私は20歳になる前に聖女の役を解かれます。だからもう、いいのですよ。」
「どういうことですか?あっ、もしかして大聖女に昇格されるのですか?確か5代前の聖女様がそうだったと神官長から聞きました。」
だとしたら、お誕生日よりももっとおめでたいことです。けれどもセレスト様は困ったように笑うばかりでした。
「いいえ。まもなく私はこの世界を去ります。」
人はあまりに衝撃的なことを言われると、かえって冷静になるのでしょう。私は的確に質問を返しました。
「…それは、死ぬということですか?」
「男の聖女は短命だと言われますが、実際は少し違います。私の魂が、この体を借りていただけなのです。5歳になったその日から今日までね。そろそろ元の持ち主に還さなければなりません。」
「元の持ち主?」
「そう。この瞳もこの声も、この手も、みんな残ります。ですからユスラ、なにも心配することはありません。」
セレスト様は死なない。ただ聖女を降りるだけ。
この時の私はずいぶんと楽観的でした。
「ユスラ、これを差し上げます。」
そういってセレスト様が引き出しから取り出したのは、ステンドグラスの欠片でした。
とろりとした濃いすみれ色と、レモンイエローのガラスがまじりあっています。どこでどう手に入れたのは語られませんでしたが、とても美しいものでした。
「私のたったひとつの宝物です、他の人には内緒ですよ。」
これを受け取ってしまったら、セレスト様は遠くに行ってしまうような気がして、私は感謝をお伝えすることができませんでした。
「体を返したら、聖女様はどうなってしまうのですか?」
「それは私にもわかりません。ですが子どもの頃、修道院でシスターはこう言っておられました。
自分だったものは、大地や空、風や海へゆっくりと溶けて消えていく。一部は、体に残ることもあるでしょう。だから恐れることはないのだと。」
セレスト様は、いずれとてつもなく遠い所へ行かれてしまう。
そんな直感と、20歳のお誕生日は盛大にお祝いしなければという使命感が相反して、胸が苦しくなりました。
久しぶりにちょっとシリアスめな話を書いてみました。
流行りの要素はなにひとつないお話ですが、面白いと思っていただけたら評価やリアクション、ブックマーク追加をくださるととても嬉しいです。
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