25.告解
その夜、入浴をすませたユスラの髪を、セリは丁寧にブラッシングした。
「もう短くなったから、そんなに丁寧に手入れしなくても大丈夫ですよ。」
「僕が好きでやってることだから。それに綺麗に伸ばしたいし。」
耳元で切り揃えられたユスラの毛先を、セリがそっと指でつまんだ。この調子では、元の長さになるまで毎晩かまわれそうだとユスラは小さく肩をすくめた。
「ユスラに髪を切ってもらったのが、なんだかすごく昔のように感じるよ。この3ケ月くらい、自分の中
で止まっていた時間が一気に進み始めた気がしてる。」
「そうですね。私も毎日、違うあなたを発見している気がします。」
「ユスラは初めて会った時から変わらないよね。ずっと、誰にでも丁寧で優しくて、それから強くて。セリという名前をくれた時から、僕にとってユスラは特別だったんだよ。」
「それは、ひな鳥が孵化してすぐに見た生き物を親だと認識するのと同じなのでは…?」
「絶対言われると思ってたけど、違うからね?」
妙なところで完璧に意思疎通がとれていたの可笑しくて、2人は顔を合わせて笑った。さざなみのように穏やかな笑い声がひいたあとで、セリがぽつりと呟いた。
「たとえまたあの男に何かされたって、ユスラがいてくれれば大丈夫だって思えるんだよ。」
「そんなことは絶対にさせません。」
「うん。」
セリはそれきり黙ったまま、後ろからユスラを抱きしめた。セリの心音がとくとくと鳴って、ユスラの耳朶を震わせる。甘く痺れるような感覚に、ユスラは目を閉じた。
「ねぇ、セリ。近いうちにこの町を出ましょう。少し苦労をかけてしまうかもしれませんが、私一生懸命働きますから。」
何が最善かは誰にも分からない。聖女信仰もこの屋敷も、2人にとって人生を豊かにしてくれるものではないことだけは確かだった。
「僕も働くよ。もう籠の中の鳥じゃないんだ。ここに来たばかりの頃に言ったよね?2人で力を合わせて生きていきませんかって。僕だってユスラを守ったり支えたりしたいんだよ。息をするように自己犠牲の精神を持ちださないでね。」
「…善処します。」
ユスラの頭上で、セリの笑い声が響いた。
心を決めたら、やるべきことは自然と絞られてきた。
ユスラとセリは、自分たちが出奔することをゲオルクとハンスにだけ伝えようと決めた。イザイがどこまで追ってくるか分からない以上、不特定多数に知られないよう用心しなければならない。
ひっそりとこの町にやってきて、ひっそりと去って行く。こんなことはこれで最後になればいいと、ユスラは思った。
翌日、2人はそろってゲオルクの小屋を訪ねた。
足音を聞きつけたデイルが、ぶんぶん尻尾をふりながら勢いよく出迎えてくれた。思いつめた表情のユスラを見て、ゲオルクは庭先のテーブルへと案内した。
「僕は席を外した方がいいのかな。デイルと遊んでくるよ。」
セリはそう言って足元にまつわりつくデイルを優しく撫でながら、少し離れたところへ歩いていった。
投げられた枝を勢いよく走ってキャッチしに行く。そんなデイルを微笑ましく眺めながら、ユスラは用件を切り出した。
「少し急なお話なのですが、来月この町を出ることになりました。」
「そうか。」
「ゲオルクさんにはとても良くしていただいたので、心苦しいのですが。」
よき隣人である灯台守をまた一人にしてしまうことが申し訳なくて、ユスラは深々と頭をさげた。しかしゲオルクは最初からすべてを知っていたかのように、ユスラの肩を優しく叩くだけだった。
「儂のことは気にしなさんな。こないだ来た男が関係しとるのだろう?」
ユスラはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「遠目に見ただけだが、あの男は災厄をもたらす。そう遠くないうち自滅すると思うがの、逃げるにこしたことはない。」
まるで予言のようにそう告げるゲオルクを、ユスラはまっすぐ見つめた。
「ひとつ、告解をさせていただけませんか。」
「老いぼれ灯台守と司祭と間違っておらんかね。」
「いいえ、ぜひゲオルクさんに聞いていただきたいのです。良き隣人として、セリの中身を見抜いた人として。」
「そういうことなら聞こうかね。」
ゲオルクはユスラの正面を向くように座り直した。
「セリはもともとロザリオの大聖堂に所属しているとても高い身分にある方で、私は側仕えでした。教会に大きく貢献し続けてきたのに、力と記憶を失った途端、教会はいとも簡単に彼のことを見捨てました。万人を救ってきた御方なのに、死んだことにされ、からっぽの棺で葬儀まで行われて。
私たちは教会に生活の保障をしてもらう代わりに、亡者として死ぬまでここでひっそり暮らすしかありません。あまりにも報われないと思いました。そもそもなぜセリだったのでしょう。
祈りと救済に身を捧げるはずの聖職者が聖女を棄て、神は彼を都合の良い道具にしただけだったのではと。この頃そんなことばかり考えてしまうのです。
私の光はセリとともにあります。彼には自由に生きて欲しい。そのために信仰を捨て、この町を出て、私の全てをセリに残された時間のために捧げようと思っています。」
思っていたより緊張していたらしい。話し終えたユスラはふうと息を吐いた。セリの身分を明かしても、ゲオルクは揺るがない。ただ一言「うん」と頷いてそのまなざしをセリの方へむけた。
「いつか出ていくだろうとは思っていたよ。予想していたよりずいぶん早かったが、それでいい。ここは末端、どこにも行けず衰退していくだけの場所じゃ。2人に良き未来が訪れることを、灯台守としてここから祈っているよ。」
「ありがとうございます。」
もう一度深々と頭を下げたユスラに、ゲオルクが続く。
「ユスラさん、あんたの告解は確かに聞き届けた。儂にもな、ひとつ聞いてもらいたい話があるんだ。」
「それは本当に私が聞いても良い内容ですか?」
ゲオルクはゆっくりと頷くと、しばらく海を眺めていた。
まるで誰かに、これから打ち明け話をする了解をとるかのようにもう一度頷き、口をひらいた。




