24.覚悟
夕焼けが、すみれ色をした不穏をはらんで水平線のむこうに燃えていた。
眺めれば眺めるほど心がざわつくのに、どうしてか目が離せない。見ているだけで胸が苦しくなる空だった。
ユスラは最近毎日のように、岬のベンチに座って飽きることなく日没を眺めていた。沈んでいく太陽に重ねるものが沢山あって、なんだか見届けなければいけない気がして。
セリはあの日以来屋敷に戻ってきた。時々チェルシーの工房に通っているが、ほとんどユスラと同じ時間をすごした。離れたらまた何をしてしまうかわからない。それが、セリの言い分だった。
以前と同じように寝食を共にしているのに、2人の間にはこれまでとは違う空気が漂っていた。イザイが来るまでは、ユスラにとってこの屋敷で静かに暮らすことが、セリを守ることだった。
今は違う。ここを出ていかなければ本当の意味で彼のことは守れない。
でも、どうやって?
残された時間が長くはない彼の人生を、最も豊かにできる道が、みつからない。できることなら彼の最期の時まで、一緒にいられたらいいのに。答えが出ないまま、ただ夕焼けを眺める日々が続く。
「またここにいた。」
町から帰ったセリは、屋敷に入ることなくユスラの隣に腰を下ろした。
「セリ。お帰りなさい。お腹がすいたでしょう?夕食の用意をしましょう。」
「いいよ。陽が沈むまで僕もここにいるから。」
「そうですか。じゃあ、お言葉に甘えてもう少しだけ。」
ユスラが微笑むと、セリは鞄から小さな木箱を差し出した。
「ねぇユスラ、これを受け取ってくれるかな。」
中にはネックレスが入っていた。薄紫色と黄色い天然石がはめ込まれたもので、セレストがくれたステンドグラスと同じ色合いだった。
「素敵…。これを私に?」
「チェルシーの工房で、とっておきをいくつか見せてもらったんだ。これが一番ユスラに似合うと思って。自分で働いたお金で、ユスラに何かを贈りたくて。」
良かった。セリは何にも屈してはいなかった。
働くなと否定してきたイザイを否定して、ユスラにネックレスを贈ってくれた。
「つけてあげる。後ろをむいてくれる?」
セリの指がかすかにユスラのうなじに触れる。動かないようにじっとしていると、「できた」とセリの弾んだ声がした。
「うん、やっぱりよく似合う。大切な人への贈り物って、いいものだね。」
「ありがとうございます。一生大切にしますね。」
セリは困ったように笑うと、小さく頭を振った。
「一生大切にしなくていいから、ユスラにずっとそばにいて欲しい。」
まっすぐ、一点の曇りもない瞳でそう言われてユスラは何も返せなかった。
沈黙を返答だと受け取ったのだろう。
セリは小さく頷いてから立ち上がると、そのまま海に向かって歩いていった。その足取りは不思議と軽い。先にあるのが断崖絶壁でなかったら、そのままにこやかに見守っているほどに。
セリは崖のすぐ手前で足を止めると、両手を大きく広げた。長く優雅な四肢は、夕焼けによく映えた。
首から上だけをこちらにむけて笑っている。ああ、なんて美しいんだろう。
ユスラは一瞬心を奪われてから、はっと我にかえった。
セリが飛び降りてしまう。気付いた瞬間、駆け出していた。必死に向かってくるユスラを見て、セリは満足そうだった。まるでもう、思い残すことはなにもないといったように。
「セリ…っ!」
ユスラはセリの腰に抱き着くと、ありったけの力をこめて自分の方へと引き寄せた。いとも簡単にバランスを崩したセリは、覆いかぶさるようにしてユスラの上に倒れ込んだ。
「何を考えているんですか?」
ユスラは目に涙をためて叫んだ。それからセリの頬に両手を添えると「無事で良かった」とこぼした。
「驚かせてごめん。でもねユスラ、言ったでしょう?ユスラがいない人生なんて意味がないんだよ。君が覚悟を決めたように、僕には僕の覚悟がある。ユスラが自分の命を軽んじて僕を助けようとするなら、僕はいつだってこの命を終わらせるよ。」
「…お願いですから、そんなこと絶対にしないでください。」
2人分の体の重みで押しつぶされた青草の香りとセリの匂いが混じる。膝をついてユスラを押し倒したままのセリが、耳元に唇を寄せた。
「なら、約束して。何があっても離れないって。僕が最期を迎えるまでどこにも行かないって。君が僕にとってどれだけ大切な存在なのか、自覚して?」
器を人質にした、甘い脅迫にどうして逆らうことができるだろう。
ユスラは顔を覆ったまま小さく頷いた。セリはその手をそっと払うと自分の指に絡めとり、それからゆっくりとキスをした。
太陽はいつのまにか姿を消していた。
光源を失ったのに、水平線にとどまったわずかな陽光のおかげで世界は不思議と明るい。完全に暗くなるまでのわずかな時間を惜しむように、セリは抱き起したユスラの背中に両手をまわすと、何度も唇を重ねた。
「僕にこういうことされるの、嫌?」
少し息を乱したユスラを両足の間に抱え込むようにしてセリが尋ねた。
「いえ。慣れていないというか、その…恥ずかしくて。」
ユスラの答えに、セリは満足そうに目を細めた。
「僕がセレストの話を受けいれたように、ユスラも諦めて慣れて。」
「セリ…。」
「話を聞いた時は驚いたけど、後から振り返ってみれば納得いく部分もあってね。舟で歌を歌ったあの時、確かにセレストもいた気がしたんだ。気配だけが舟に乗ってる感じかな。彼もユスラのことが好きだったと思うよ。
セレストの中にセリがいて、セリの中にセレストがいる。僕がユスラのことを好きになったのに、彼の影響が全くないとは言い切れない。これから先も完全に分けることのできない問題だと思うけど、でも最後までユスラと一緒にいるのは僕だから。そうやって受け入れていくしかないんだと思う。」
セリの表情はひどく大人びていた。これからどんどん変わって、きっといつかセレストと同じ顔だったなんて思えなくなるのだろう。
「セレスト様はどんな方にも愛をもたらす方でしたから。不出来な側仕えが心配になって空から降りてきてくれたのかもしれません。」
「ううん。一人の女の子として、ちゃんとユスラのことを大事に想ってたよ。わかるんだ、うまく言えないけど。」
いつでも自分に向けて慈しむようなまなざしをむけてくれたセレスト。
彼が本当に自分を好きだったのか、今となっては誰にもわからない。けれど、あのひだまりのようなまなざしは、大好きだったなとユスラは懐かしく思い返した。
「そんな顔でセレストのことを思い出さないで。」
両手で頬を挟まれて、ユスラはうっと小さく呻いた。頬の感触を楽しむようにしばらく遊ばれて、ようやく解放されるとユスラはセリをまっすぐ見上げた。
「セリに好きでいてもらえるのはとっても嬉しいです。…でも、長いこと教会で生きてきた私にとって、愛とは神から人へ授かり、また別の人へ分かち合うものです。キスをするのは嫌じゃない。でも、恋愛って、一体何なのでしょう。それにセリのお世話にすべてを捧げるつもりでいたので、男の人として見た事がなくて…。何をお返ししたらいいのか本当に分からないんです。あなたの気持ちに応えられなくて、ごめんなさい。」
ユスラは家族としてセリを好きだけど、セリは違う。その誤差に気付かぬまま一緒にいることはできそうになくて、ユスラは深々と頭を下げた。
「大丈夫。今はまだ、ユスラが僕と一緒にいることを選んでくれただけで。でも、世話役は卒業しようね。」
ユスラは神妙な顔で小さく頷いた。セリの白い肌と金髪が、薄闇の中でそこだけ光っているようだった。




