23.帰宅
ゴーグから戻って数日が過ぎたが、セリは戻ってこなかった。
ユスラは屋敷を掃除し、片づけていた。何もわからずこの町にきて暮らしてきたが、すっかり思い出深い家になっていた。
セリが新しい場所で暮らしていくのに必要なものは、自分で選んで揃えたほうがいいだろう。自分はここから出ていけるのかは分からない。
自分を組み敷きたいと言っていたから、セリを失った腹いせにイザイに連行されるかもしれない。それで足止めできるなら何をされたってかまわないと、今は素直にそう思う。
ふと、先日マルゴに安易に体を売るなと言われたことを思い出した。安売りなんかしない。イザイ相手にせいぜい高く売りつけてやろう。
そんな決意を胸に、いつでもここを去れるよう自分の身の回りのものをまとめているとカタリと玄関のドアが開く音がした。
「セリ…?」
思わずこぼれた期待の声に、気まずそうに応じたのは食料品の配達にきたハンスだった。
「悪かったな、俺だ。」
「ごめんなさい、勘違いしちゃって。」
「いや、いいよ。」
彼はセリについてただ一言「元気そうにしてるよ。」とだけ教えてくれた。
「髪のこと、セリは知ってるのか?」
「いいえ。会っていませんから。」
ハンスは何か言いたげな表情だったが、言わないことにしたのだろう。一瞬視線を下にむけてから、まっすぐユスラを見つめた。
「短いのも似合ってる。」
「ありがとうございます。最近やっと短くなった髪に慣れてきました。」
強がりでもなんでもなく、新しい自分に慣れる気がしてユスラは案外短い髪も気に入っていた。
「なぁ。出ていくなとは言わないが、黙って行くなよ。」
ハンスの思いもかけない一言に、ユスラは驚いた。
「出ていくなって、反対されるのかと思っていました。」
「いや、現実的に考えたら早めにここを出たほうがいい。多分、あのイザイってやつはそう遠くないうちに戻ってくるだろう。深い執着を抱えてる顔だった。あんなのが高位聖職者だなんてな。」
「ええ、本当に…。」
自分たちがすべてを捧げてきた教会だったのに。いいようのない虚しさが、ユスラの心に影をおとしていく。
やがて信仰の灯が消えるだろう。そんな予感を遠ざけるように、ユスラは顔をあげた。
「そうだ。ひとつ、配達を依頼してもいいですか?セリのところに着替えを届けて欲しいんです。」
荷物をまとめようとするユスラに、ハンスは首を横に振った。
「取りに戻るように伝えておくよ。何があったかしらないが、一度ちゃんと話した方がいい。それ以外に困ったことがあれば、いつでも駆けつけるから。」
ハンスはひらひらを手を振って、いつものようにあっさりと去って行った。
翌朝、セリが10日ぶりに屋敷に戻ってきた。
ユスラはまっさきに彼の顔色を見た。町で暮らしていても、ちゃんと食べているようだ。良かった、と安心したユスラの両肩を、セリが勢いよく掴んだ。
「…その髪、どうしたの?」
セリの声は震えていた。長い髪を失ったことに、自分よりショックを受けている姿をみて、ユスラは冷静になった。
「売ってお金に換えてきました。この先、色々と物入りになりますから。」
「あんなに丁寧に手入れしてたのに。」
「セリの苦しみに比べたらなんてことありません。辛い話をあまり良くはないタイミングで聞かせてしまって、本当にごめんなさい。」
なにも気に病むことはないのに。泣きそうになっているセリの背中を、ユスラはゆっくりとさすった。
「私はね、セリ。あなたのためなら命を捨てても構わないと思ってるんですよ。あなたを守りたくて真実を告げずに暮らしてきましたが、あの日話したことがすべてです。この先あなたに対して二度と隠しごとはしないと誓います。」
「もういいよ。そんなこと。」
セリのかすれる声に、ユスラは優しく目を細めた。この人が無事生きてさえいてくれれば、それでいいのだと。
「セリ。あなたはここを出て、どこか別の町で別の人生を送ってください。イザイは私が何としてでも足止めします。19歳までの記憶を取り戻すことはできませんが、どうか未来はあなたの思うままに。」
いつでも物腰柔らかで優しいが、これを決めたことに関しては強情な一面もある。ユスラのそんな覚悟をくみ取ったのだろう。セリは顔を歪めてユスラを抱きしめた。
「ごめん…。こんなことをさせたくて家を出たわけじゃないんだ。」
ユスラはそっとセリの背中に手をまわした。いつのまにか、骨ばってがっしりとしている。
「分かっていますよ。」
「ユスラがいない人生なんて意味ないよ。」
「そんなことはありません。新しい街に行けば、きっと素敵な出会いがあって、世話役のことなんて忘れるでしょう。それでいいのです。」
「それ、本気で言ってる?」
「私はいつだって本気ですよ。」
「こんなことなら家を出なければ良かった。」
「それは違います。離れてみるのも必要な時間でしたよ。私にとっても。」
終わりを孕んだもの言いに、セリはユスラを離さないまま深いため息をついた。それから思い出したように「お茶が飲みたいな。」と呟いた。
「ユスラがいつも入れてくれる、あの薬草みたいな微妙なお茶。」
セリの素直な感想に、ユスラは思わず笑った。
「そんな風に思っていたんですか?苦手なら苦手と言ってくれれば良かったのに。」
「ユスラが自信満々に出すからさ、きっと体にはいいものなんだろうなって。それに、ここを離れてみるとむしょうにあのお茶が飲みたくなるんだよ。飲んでやっぱり美味しいとは思わないんだろうけど。」
「家庭の味、というものでしょうか。」
「そうかもしれないね。僕が知ってるのはこの屋敷だけだから。」
「もっとたくさん、そういうものを残してあげれば良かったですね。」
「これから沢山作ってよ。季節の味、行事の料理、特別なご馳走とか。そういうのは全部ユスラと分かち合いたいんだ。」
ユスラは、その声には応えなかった。ただ黙ってキッチンに立つと、丁寧にハーブティーを淹れた。
2人で逃げることができたらどんなにいいだろう。そう思って、わずかな希望に少しだけ泣いた。




