22.浮世
「失礼ですが、本当に切ってしまわれてよろしいのですか? これだけ美しい髪を維持できるなら、売る必要はないように思われますが。」
奥の部屋に案内され、そう聞かれたユスラは困ったようにはにかんだ。なるべく高値で売るにはどうしたら良いか、以前ハンスに聞いたやりとりを思い出しながら。
「お恥ずかしながら実家が没落しましたので、まとまった金額が必要なのです。未来ある弟のために少しでも手元に現金をと思い立ちまして。家名を明かすことはご容赦ください。」
こんな嘘をついても、もう心は少しも痛まない。そんな覚悟を見抜いたのか、ウィッグ職人の男性は黙って頷いた。
「髪を拝見させていただいても?」
「ええ。問題ありません。」
ウィッグ職人はユスラの毛先から根本まで糸を撚るように確認すると「ふぅん。」とうなった。
「毎日手入れを欠かさなかった素晴らしい髪です。職人ながら切るのが実に惜しい。心変わりはないですかな。」
「状態のいいうちにお金に換えたいんです。」
「それではこちらの椅子へどうぞ。」
ウィッグ職人はユスラの髪を丁寧に梳き、一つにしばると少しずつ切っていった。
泣くかと思っていたが、案外平気だった。鏡には、うなじがすっきりして驚くほど頭が軽くなった自分が映っていた。
「大丈夫ですか。」
ウィッグ職人がおそるおそるユスラに声をかけた。
「ご令嬢の中には、ショックで気を失ったり、大泣きされる方もいますから。」
「お気遣いありがとうございます。髪はまた伸びますから。」
「良い心がけですな。ご実家の再興を心よりお祈り申し上げます。」
職人の気遣いに、ユスラは小さく頭を下げた。
支払われた金額は、思っていたよりずっと多かった。これなら、数か月は収入がなくても暮らせるだろう。
裏口から店を出るとすっかり昼を過ぎていた。どこかで昼食をとって帰ろうか。大通りのベンチに座ってぼんやり考えていると、1人の若い男が声をかけてきた。
「君、ずいぶん思いつめてるようだけど、大丈夫?」
きりりとした目鼻立ちで舞台役者のようだ。セリを見慣れていなければ、美青年だと見惚れたかもしれない。着ているものもそれなりに高価に見えるが、くすんだ金髪はひどく傷んでいる。
このちぐはぐさは一体なんだろうとユスラが不思議に見上げていると、男はそれを了承ととったのか隣に腰を下ろした。肩が触れ合いそうになるほど、やけに近い。
「あの…」
「何か困ってるんでしょう? 僕でよければ話を聞くけど。」
いきなり見知らぬ他人に悩みを話せと言われても、困惑するだけだ。どう対応したら良いのだろうと答えに窮していると、ユスラの肩に誰かの手が触れた。
それは赤毛の髪をお団子にした、ユスラと同じくらいの少女だった。くりっとした丸い目が愛らしいが、その視線は鋭いものだった。
「もーっ! こんなところにいたの? 探したんだから。父さんも心配してたよ。すみません、私の友人がなにか?」
少女は男に向かって首を傾げた。少女の敵意に気付いたのだろう、男はすぐに立ち上がった。
「いや。迷ってるのかと思って声をかけたんだ。連れがいるなら安心だね。私はこれで…。」
足早に去っていく男の背中に向かって、少女は「クズ野郎が。」と舌打ちした。
変わり身の早さにユスラが驚いていると、彼女がユスラの前に立った。
「ほいほい知らない男と話しちゃだめだって。あんた、狙われてたんだよ。」
「え…?」
「あー、やっぱ気付いてなかったか。あのね、あれは女衒。髪を売るほどお金に困ってる人間はなにかと目をつけられるんだ。親切で爽やかな男にほいほいついていったらいつの間にか体を売ることになったなんて、この町じゃ良くある話だよ。」
ユスラはそこでようやく自分が狙われていたのだと気付いた。と同時に、またひとつセリのためにできることが増えたと思った。
―そうか、純潔も売れるのか。
髪より良い値が付くだろう。それでセリが自由になれるのなら、なんてことはない。そんな考えに傾いていると、少女が怖い顔でもう一度肩を叩いた。
「だめだよ。安易に体を売るなんて考えちゃ。」
「…どうしてわかったんですか?」
「なんかあんた、妙に浮世離れしてるっていうか、危なっかしいからさ。あたしはマルゴ。そこの裏通りの店でお針子をやってるんだ。」
「助けていただいてありがとうございます。ユスラと申します。」
ここでマルゴはようやく人懐っこい笑顔を見せた。
「アンタ、お貴族様?」
「いいえ。ですがまとまったお金が必要だったので、この町にやってきました。」
「そっか。大金持ってるってバレないように気を付けな。この町には買い出しに来たって顔して歩くんだよ。」
ユスラとそう歳の変わらないマルゴは、世話焼きな性格らしい。見ず知らずの自分を本気で心配してくれるのが伝わってきて、知らないうちに強張っていた体が緩んでいくようだった。
「本当に、ありがとうございました。」
「いいって。この町じゃああいうのは茶飯事でさ。どこから来たのか知らないけど、気を付けて帰りなよ。」
ユスラはマルゴに深々と頭を下げて彼女と別れた。言われた通り、ファヴェル行きの馬車に乗るまで用心しながら。
今日のように、これからよくも悪くもいろんな人と関わり合いながら生きていくのだろう。自分もセリも。そんなことを考えながらユスラが馬車でサンドイッチを食べる頃には、昼というよりお茶の時間になっていた。




