11.対話
仕事を持たない2人の毎日は規則正しい。
食事の支度と洗濯、読書や手芸、それに週に1度の買い出しとミサ。春になって出歩く機会が増えたものの、基本的には日々静かに過ぎていくものだった。
凍っていた土がゆるんでぬかるみを作る雨の日。特に予定のないセリは、屋敷の小さなホールで本を読んでいた。六角形のホールの出窓に腰をかけ、ずいぶん長いこと1冊の本に夢中になっている。
「セリ、今日は何を読んでいるのですか?」
春先の雨は冷える。ユスラは蜂蜜入りのカモミールティーを淹れながらセリに尋ねた。
「これ?パウゼの教えが国内の民俗信仰をいかに取り入れてきたかっていう本だよ。例えば西部にはトロルを祀る地域があって、その風習に少し手を加えて、パウゼ教の行事としたんだ。
ここにも船霊信仰が残ってるでしょう?それも地方の信仰と衝突しないためなんだって。パウゼは他の宗派や教義に対してかなり寛容なんだ。ロザリオの聖女信仰も宗教特区として大々的に認めているくらいだし。だからこそ国教になったんだろうね。隣国の宗教弾圧が失敗した例も載っていてすごく興味深いよ。」
声変わりして低くなった声で、セリは滔々と宗教史についえ語り続けた。
「…セリは物知りですね。」
「ううん。僕は何も知らないから、いろんな人にいろんなことを教えてもらいたいんだ。」
そう言って笑う顔を、ユスラはまともに見ることができなかった。
自分がロザリオから来たことも分かっていなかったのに、どうしたって聖女にたどり着いてしまうのだろうか。彼の知識は恐ろしい速さでその引き出しを増やしていき、それにつれて話し方から幼さが抜けた。
数日続いた雨がやんで、またミサの日がやってきて、セリは意気揚々と町へ降りていった。
1人になったユスラを訪ねてきたのは、食材を配達にきたハンスだった。
「ちょうどお茶の時間ですし、お忙しくなければケーキを召し上がっていきませんか?」
「いいね。甘いもんがあるならどんな荷物より最優先だ。」
「ふふっ。そんなにお好きだったなんて意外です。」
「この町の男は酒飲みばっかだからな。ポーターは体力勝負だし、手っ取り早くエネルギー源になるもんは体が欲してるんだろう。」
ユスラに案内されながら、ハンスは屋敷の中へ入った。
「あれ、セリは?」
いつも二人でいるものと思っていたのだろう。不愛想ながらもセリのことを気にかけているようで、ホールのダイニングテーブルに座って部屋を見回した。
「ミサに行きましたよ。司祭様とお話するのが楽しいみたいで。」
「へぇ。いかにもインテリっぽいもんな。せっかく子守から解放されてるんだから、あんたもでかけりゃいいのに。」
「買い物はもう済ませてありますし、ハンスさんに届けていただいていますから。」
「じゃなくて、遊びに行くってこと。」
「遊ぶ?子どもでもないのに何をするのですか?」
余裕があるぶんは他者に分け与える。そんな祈りと救済の世界で暮らしていたユスラには、本当にわからなかったのだ。
ハンスは本気で困惑するユスラの顔を見て、軽いため息をついた。
「そーいやあんたら教会の人だったな。遊ぶってのはまぁ、景色のいいとこに出かけてみたり、誰かとカフェに入って喋ってみたり、夏なら海で泳いで冬ならスケートしたり。あとはまぁ、酒飲んでバカ騒ぎしたりとか。仕事じゃないことを楽しめばいいんだよ。」
「それなら、お菓子を作ったり刺繍をしたりしています。」
「じゃなくて。誰かと出かけるんだよ。そんで、何の目的もなく楽しいだけの時間を過ごすんだ。」
「それは…なんとも背徳的な行為ですね。」
難しそう、と真面目に悩むユスラを見て、ハンスは笑った。
ユスラはいつもより少し大きめにケーキをカットすると、紅茶とともにサーブした。
シンプルなスポンジケーキにラズベリーのジャムを挟み、粉砂糖で化粧を施したケーキはハンスの頬をゆるませた。甘いものの前では不愛想も溶けるらしい。
「仕事柄いろんな場所へいくけど、ここのケーキが一番美味い。」
「ありがとうございます。このスポンジはセリが作ったんですよ。ハンスが褒めていたと知ったらきっと喜びます。」
自分のことのように喜ぶユスラを、ハンスはじっと見つめた。
「…あんた、今いくつだっけ?」
「今年の夏で17になります。」
「いつまであの坊ちゃんの傍にいんの?」
「セリを看取るまで、でしょうか。」
全く揺らぐことなく、ユスラはそう答えた。
「はぁ?ってことは一生独身ってこと?それともあいつと婚約してるとか?」
「いいえ、ただのお世話役として、生涯そばにいるつもりです。」
「あいつが結婚したらどうすんの?」
「それは…」
セリが結婚する。そんなこと、想像もつかなかった。
「あんたはさ、誰かと結婚して子どもが欲しいとか、そういうのないの?」
所謂普通の幸せというものを説かれて、ユスラはふと、ゲオルクに言われたことを思い出した。
―まともな生き方をしてこなかった
あれはやっぱり、的を得た所感だったのだろう。
「そうですね。婚姻関係を結ばずとも、愛はこの世にいろんな形であふれていますから」
「誰か1人を愛したいと思ったことは?」
目に見えないものだからこそ尊い。触れられないから、長くとどめておけないのかもしれない。
ユスラはかつて自分の頭を優しく撫でてくれた人のことを思い出して寂し気に目を細めた。
「ありましたよ。その方は、もうずっと遠くに行ってしまいましたけど。」
「悪ぃ、辛いこと聞いた。」
「いいんです。誰かに話すと、確かにあの方がいたんだって改めて思い出せますから。」
「そっか。」
ハンスはそれ以上何も言わずに、黙々とケーキを平らげた。そうして、手短に席を立った。
屋敷のエントランスで見送りに出たセリの顔を、ハンスはしばらくじっと見つめてから口をひらいた。
「良かったら、今度一緒に遊ぼう。舟を借りて海に出るんだ。あんた、舟のったことないだろう?」
「ええ。」
「海から見た灯台は本当に綺麗なんだ。特に夕暮れ時がいい。」
「楽しみにしています。」
ユスラの返答に満足したのか、ハンスは少しだけ目もとを緩ませてあっという間に岬から町へと続く階段を降りていった。




