10.越冬
二日後、熱はようやく下がった。
セリはずっとそばにいてくれたらしい。目が覚めると、座ったままベッドに突っ伏すようにして眠っていた。
健やかな寝息を確認してほっとする。包帯を解いて傷口を見れば、ひとまず化膿はしていないようだった。あとはこのまま治ってくれるのを神に祈るしかない。
ユスラは寝台の上で手を組むと、低く祈りの言葉を呟いた。
「ユスラ?」
「起こしてしまいましたね。」
「もう大丈夫なの?」
「ええ。なんとか。」
「ひどい熱だったんだよ。どうしたらいいか分からなくて、ユスラが消えちゃうかと思った。」
セリの美しい瞳に涙がにじんだ。泣くのを堪えている姿に、どうしようもない愛がわく。
聖女の力がなくても、セレストだった時のことを何も覚えてなくても、知らない人に可哀そうにと言われる境遇だったとしても、ユスラにとっては大切な存在だ。
いつだって、セリには無邪気に笑っていてほしい。
その時、ユスラの中でなにかすとんと腑に落ちた。
「消えませんよ。命に代えてもあなたのことをお守りすると言ったでしょう?」
そうだ。口先だけじゃなく。セリの身も心も守れるくらい強くなりたい。
セリが一人でも困難に立ち向かえるよう、生きていくための知恵や力をつけられるように。私はそのために、今ここで生きている。
聖女セレストが長い眠りにつく前に、「あとのことは頼みましたよ。」と言った本当の意味を、ユスラはようやく理解できた気がした。
傷口を洗い流して新しい薬を塗り、また包帯を巻く。なんだか生まれ変わった気分だった。
寝込んでいる間、セリはパンをかじって飢えをしのいでいたらしい。こういう時のために、缶詰の開け方だけでも教えておけばよかった。そう思いながら、ユスラは貯蔵庫から芋と玉ねぎ、にんじんにレンズ豆を取り出した。
「お腹がすいたでしょう?スープを作りましょう。お手伝いをお願いできますか?」
「うん。」
二人は並んで台所に立った。最初はおっかなびっくりだったものの、野菜を刻むセリの手つきは美しい。まともな食事をとっていなかったセリのために、骨付きのソーセージを焼いてスライスしたパンを温めて、二人は食卓についた。
「あったかい…。またユスラの作ったスープが飲めて良かった。」
セリはしみじみそう言いながら、何度もおかわりをした。その後ろ姿を眺めながら、ユスラは思う。
自分はセリのためにすべての世話をするつもりでここに来た。けれど本当に彼のためを思うなら、少しその手を離すべきなのかもしれない。
冬のあいだに、セリが一人でできることを増やしてあげよう。ユスラが傍にいてもいなくても、「できる」という自信はきっとこの先のセリに必要になる。生活力は、そのまま生きる力になるから。
自分に教えられないことは、町の誰かに頼ればいい。助けになってもらえるなら自分は何度だって頭を下げるし、なんだってやる。ユスラの愛が、自立した瞬間だった。
数日後、食材の配達にきたハンスが、野犬が処分されたことを知らせてくれた。
まさかユスラが襲われていたとは知らなかったハンスは、ひどく驚いてユスラの左手首を掴んだ。ぐっと袖口をまくり上げて、包帯の巻かれた腕を凝視する。
「医者にかからなかったのか?」
感染症を心配しているのだろう。めずらしく焦った様子のハンスに、ユスラは大丈夫ですよ、声をかけた。
「必要な対処はこちらで済ませました。化膿もしていないし、経過日数的にみて感染の心配はないと思います。」
「学のあるアンタがそう言うなら大丈夫なんだろうけど、過信は禁物だ。町に降りることがあったら念の為医者に診てもらえよ。なるべく傷跡目立たなく処置してもらえるかもしれねぇし。」
こんなことならもっと早くに獣除けを持ってくれば良かったと、ハンスは自分の不手際を悔いた。
「お気遣いありがとうございます。」
手首を掴まれたままユスラが笑った。その時、黙って話を聞いていたセリが2人の間に割って入った。
良く日焼けしたポーターの手を、ユスラの白い腕から引き離す。口元は笑っているが、その目はじっとハンスを見つめていた。
「そんなに強く握ったら痛いよ?」
その声色に、いつもの無邪気な幼さはなかった。困惑したのはユスラだけで、ハンスはセリから目を離さない。
「ああ、悪い。」
悪いと思っているそぶりは微塵もない口調で、ハンスは謝った。
「セリ、ユスラに何かあったらすぐにゲオルクの爺さんのところへ行け。お前じゃ力不足だ。」
「…分かってるよ。」
珍しく反抗的な返答だったが、ハンスが帰るとセリはユスラに向かってにっこりと笑った。
「僕がついてるからね。」
「それは私のセリフですよ。」
さっきまでハンスに掴まれていた腕に、セリがそっと触れた。
「僕のせいで、こんな怪我をさせちゃってごめんなさい。」
俯きがちに小さく謝るセリの顔に、ふせられたまつ毛の影が落ちる。見た目は青年だから気付きにくいけれど、内面では少しずついろんなものが成長しているのかもしれない。
「こんな怪我くらい、なんてことはありません。でも、これからは何かあっても大丈夫なように、一緒に沢山のことをおぼえましょう。セリに手伝ってもらえたら助かります。私たちでできることを増やして、力を合わせて生きていきませんか?」
ユスラの提案に、セリは力強く頷いた。
友達でも家族でもない。聖女セレストから託された大切な存在。一方的だった関係は、すこしずつ形を変えようとしていた。
その冬、ユスラはセリにいろんなことを教えた。
読み書きと料理、洗濯に簡単な裁縫―取れてしまったボタンの付け方や、破れてしまった服のつくろい方。食べられる実や薬草になる植物の見分け方。それからこの国の歴史と国教であるパウゼ教についても。
セリは好奇心の光る目で、何にでも興味を示し、吸収していった。歌と聖女信仰についてだけは、どうしても教えることができなかった。
学ぶべきことはいくらでもあって、気付けば冬将軍が町を引き払っていた。
春が訪れ、セリは月に2度のミサにひとりで顔を出すようになった。本を借りに訪れるうちに興味がわいたらしい。
「ユスラも来たらいいのに。」
毎回そう言われても、ユスラが首を縦に振ることはなかった。
セリのために力になってくれる人は、なるべく本人が見つけて関係を作ったほうがいい。そんな気持ちで、町へ降りていくセリを見送る。
やけに長引いていたセリの喉のかすれは、1オクターブ分低くなった声とともに治まっていった。
風邪だと思っていたものは、変声期による不調だったのだと気付いた頃には、どの木々も芽吹いて、すっかり春になっていた。
そういえば、聖女セレストは喉仏を隠すためにいつも襟元まで深く覆われた服を着ていた。それでもセレストの声は鈴の音のように高く涼やかなものだった。
今、ようやく性別と体格と声の低さが一致したというのに、ユスラにとっては違和感しかない。聖女の器にならなければ、今こうしているセリが正しいあり方なのに。
セリの姿をいびつな姿で借りていたセレストは、やはり生き神だったのだと改めて思い知らされる。
ユスラは目を細めて彼の美しい顔を見る。
これからもっと大きな変化が訪れるような気がしたけれど、当の本人はにっこり笑うだけだった。




