07.冬将軍
秋がゆっくりと流れ、ファヴェルの町にも冬の気配が色濃くただよってきた。
春先までは海が荒れ、タラの禁漁期間にはいるため、漁業に携わる者たちの顔は少しだけ厳しい。
タラ漁で生計を立てているものは、この時期だけ別の仕事を求めて町を出る。夏に稼いで蓄えに余裕があるものも、漁網の手入れをしながらつつましく過ごす。
夜ごと騒ぎ歩いていた酒飲みたちは影をひそめ、往来には誰かの家に軽食も持ち寄って編み物やお茶会を楽しむ女たちが行き交う。
教会もまた、冬の間は礼拝堂を談話室として解放し、こちらは暇をかかえた若者たちが集まる。町は少しずつ、新年に向かって動きはじめていた。
屋敷でも冬支度が始まった。ファヴェルではほとんど雪が積もらないらしい。積もる暇がないほど、海からの強い季節風が吹き荒れるからだ。
「ファヴェルの冬将軍は強烈で、特に北西から来る風がヤバい。雪は積もらないが地面はどこもかしこも凍るんだ。重いものと冬の装備は今のうちに買い込んでおいたほうがいい。道が凍結すると割増料金をもらうことにしてるから気を付けろよ。」
ポーターのハンスに言われて、ユスラは冬用のブーツと保存のきく食材を少しずつ買い集め、薪や灯油を運びあげてもらった。それから町の女たちのように刺繍や編み物をしようと、小間物屋で端切れや毛糸も買い込んだ。赤やオレンジといった温かみのある色で、ひざ掛けやクッションカバーを作るのもいいかもしれない。
セリは焚きつけに使えるからと、毎日枯れ枝を拾いあつめている。昨日は山ほど松ぼっくりをひろってきては、玄関先に積んでいた。
冬の間、長時間の外出はできないことを考えると、セリが室内でできることも用意しておかなければならないだろう。ユスラは真っ白な紙に書き出すことを考える。
人に会う機会が減る冬の間に文字を教えるのはどうだろうか。読み書きができなくても困る暮らしではないが、出来ることは多い方がいい。この屋敷にも本はあるが、子ども向けの簡単なものは見当たらなかった。
そういえば町には本屋がない。この町で本を読む人は一体どうしているのだろう。
ユスラの素朴な疑問に答えたのは、魚屋の女将だった。この町にきて初めて買い物をしてから、今ではすっかり常連だ。
「本?あたしらには縁がないね。同世代でもあまり読み書きが得意でないのもそこそこいるからねぇ。この町で本屋なんか開いたって客がこなくてすぐに潰れるだろうよ。でもまあ、どうしても読みたければ司祭様に相談してごらん。子どもむけのものとパウゼの教えが中心だけど、たしか教会で希望者に貸し出ししていたはずだよ。それから役場にも漁業関係の本がいくつかあったね。どうせ誰も読まないんだ、借りれないか相談してみるといいよ。」
ユスラは女将に深々と頭を下げて、サーモンの切り身が入った包みを受け取った。
後日、ユスラはセリとミサに参列した。この町にきた経緯を思えばあまり気が進む場所ではなかったが、ミサに参加せず本だけ貸してほしいというのはさらに気が進まない。ユスラの心配をよそに、セリは退屈そうに遠くを眺めているだけだった。聖女セレストが巡礼者のためのミサで歌っていた記憶は、セリにはなにひとつ残されていないらしい。チクリと、小さな棘がユスラの心の底に刺さった。
宗教特区で長らく聖女信仰に身を置いていた二人がミサにやってきたことで司祭は恐縮しきりだった。
久しぶりに聞くミサの話は新鮮でとても面白かった。聖女信仰と国教パウゼという、宗派の違いがかえって良かったのかもしれない。
「本を貸してほしいという者はここ数年おりませんでね。貸出名簿に記名いただければ、どれでもお好きにお持ちいただいて結構ですよ。」
差し出された名簿に記された最新の日付は8年前、貸出先はハンスだった。
「こちらは、ポーターのハンスですか?」
「ええ。彼は非常に勉強熱心でした。親元を離れてこの町の商家の奉公にきてからは、あっという間に読み書きを覚えましたよ。ポーターになったのも、元手なく始められる仕事だからと言っていました。航海の知識やこの国の気候、他国の文化まで、いずれ商人として独立するためにいろんな本を読んでいましたよ。私も彼に請われてトリム語を教えていました。いつか隣国の交易商人とやりとりができるようにとね。今は役場にある専門書にも手をつけているようです。」
思いもかけないハンスの一面に、ユスラは感心した。同世代の町の若者たちと比べて、大人びているとは思っていたが、そんな努力を重ねていたとは。彼の気の使い方も、意識して身に着けたものなのだろう。
「ハンスは立派な行商人になるでしょうね。」
司祭は小さく頷いた。ハンスはいずれこの町を出ていくのだろう。
司祭が他の信徒と話しにいったので、ユスラはセリのためにいくつか本を選んだ。
最初は1ページに1文しか書かれていない簡単なものから。美しい絵を引き立てる用に、文章をけずって余白を多くとった贅沢な作りの本だ。
それからパウゼの神がこの地をどうやって創生したのか子どもむけに説いた本も。まずは5冊借りて、二人は屋敷へと帰った。
「ハンスはいつかこの町からいなくなっちゃいそうだね。」
ユスラと同じことを思っていたのだろう。帰り道、ぽつりとセリが呟いた。
「そうですね。ずっと遠くを見ているのでしょうね。」
「ゲオルクみたいに?」
「うーん、少し違います。ゲオルクは船が安全に航海できるよう、いつも誰かのために遠くを見ています。ハンスは、自分がこれからどこでどう生きていこうかと、そういう未来を探しているんじゃないでしょうか。」
「ユスラは?」
さっきまで本を手にしてはしゃいでいた少年の姿をひそめて、セリはまっすぐユスラを見下ろした。
「私は、いつだってセリを見ていますよ。」
「本当に?僕のこと見てるのに時々遠くを見てるから、ユスラもどこかに行きたいのかなって思ってたよ。」
心臓がひゅっと締め上げられそうになって、ユスラは無理にほほ笑んだ。
「そんな心配をしていたのですね。セリが毎日少しずつ大きくなるなぁって、そう思ってるからでしょうか。私はどこにも行きませんから安心してください。」
「ほんと?なら良かった!」
短髪がすっかりなじんだセリの後頭部を見ながら、ユスラは思う。どこにも行けないし、もう会えないのだと。
岬へ続く石段を上がっていくにつれ、海からの冷たい風は勢いを増す。
冬将軍が、すぐそこまできていた。




