第9話「特異点と呼ばないでくれ」
北の遺跡への遠征準備を進めている最中、ネクロミアから緊急の呼び出しがかかった。
「来て。すぐに」
研究塔に駆けつけると、ネクロミアは作業台の上に大量の書物と分析器具を広げていた。目の下に隈がある。徹夜したらしい。美人でも隈はできるんだな。
「どうした、ネクロミア。何かわかったのか?」
「わかったどころじゃないわ。座って」
俺とリリアが椅子に座ると、ネクロミアは一枚の図を広げた。
円と線で描かれた複雑な図式。中央に「主人公(仮称)」と書いてある。仮称になっている辺り、まだ俺を人間と認識していないのかもしれない。
「これは、生と死の境界を示す概念図よ。通常、生者と死者の間には明確な壁がある。魂は生者台帳か死者台帳のどちらかに必ず記録される。そのどちらにも属さない存在は――本来、存在しない」
「でも俺がいる」
「そう。あなたがいる。そしてあなたの存在が、何を意味するか、ようやくわかったわ」
ネクロミアが図の中央を指差した。
「あなたは生と死の境界に穴を開ける特異点よ」
「…………特異点?」
「あなたが善行を積んで進化するたびに、あなたの霊核は活性化する。それは蘇生に近づくということだけど、同時に――あなたを中心にして、生と死の境界が少しずつ薄くなっている」
リリアの顔色が変わった。
「それは……境界が薄くなるということは……」
「ええ。死者が生者の側に溢れやすくなる。最近、町の周辺で低級アンデッドの出没が増えていること、気づいてたでしょう?」
「……確かに、報告が増えています」
「それは偶然じゃない。ポジオの存在が、この地域の境界を揺るがしているの」
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俺は黙った。
善行を積むほど、蘇生に近づく。だがそれは同時に、世界を危険にさらしているということ。
「俺が……迷惑をかけてるのか」
「迷惑なんて可愛い言い方じゃないわ。あなたが完全に変質すれば、境界が崩壊して、大量の死者が生者の世界に流れ込む可能性がある」
「…………」
「逆に言えば、あなたが無事に蘇生できれば、境界の穴は閉じる。特異点が生者側に完全移行すれば、バランスは元に戻るわ」
「つまり、俺が蘇生するのが一番の解決策ってことか」
「そういうこと。あなたの蘇生は、あなた個人の問題じゃなくなったのよ。世界の安全に関わる案件になった」
重い。重すぎる。モテたいだけの男に背負わせる荷物じゃない。
「……でも、やることは変わらないだろ?」
「え?」
「善行を積む。聖遺物を手に入れる。蘇生の許可を取る。やるべきことは同じだ。世界のためとか大層な理由は加わったけど、俺の動機はブレない」
「……あなたの動機って」
「モテたい」
「…………」
ネクロミアが呆れたような、感心したような顔をした。
「あなた、世界の存亡がかかっても動機がモテなのね」
「うるせえ、俺にはこれしかないんだよ」
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リリアは帰り道、ずっと黙っていた。
「リリア?」
「……ポジオ。ネクロミアの分析を、教会に報告する必要があります」
「報告……するとどうなる?」
「あなたが特異点であるという情報は、教会にとって重大です。蘇生を急ぐべきだという判断に傾く可能性もありますが……危険因子として排除する判断に傾く可能性も、あります」
「つまり、浄化しろって言われるかもしれないってことか」
「…………はい」
「報告しなきゃダメか?」
「私は教会の神官です。知り得た情報を隠蔽することはできません」
リリアの声は、いつもの事務的なトーンだった。だがその瞳には、何か揺れるものがあった。
「……ただ」
「ただ?」
「報告の書き方は、私に裁量があります」
「…………」
「特異点であるという事実は報告しますが、同時に、蘇生が境界修復の最善策であるというネクロミアの分析も併記します。浄化よりも蘇生を推奨する形で報告書を構成すれば、教会も簡単には浄化には踏み切れないはずです」
「リリア……」
「勘違いしないでください。これはあなたのためではなく、世界の安全のためです。特異点を浄化した場合のリスクも未知数ですから、蘇生の方が合理的だという判断です」
「……ありがとう。理由は何でもいい。お前が味方でいてくれるなら、俺はそれだけで――」
「味方ではありません。監視者です」
「はいはい」
「……はい、は一回で結構です」
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その夜、ボーン先輩に特異点の話をした。
「特異点ねえ……」
「先輩、何か知ってるか?」
「お前ほどの例外は初めて見るが、似た話は聞いたことがある」
「似た話?」
「ずっと昔、生死の境界に穴が開いた時代があったらしい。その時に境界を管理していたのが、冥境の屍王だ」
「屍王……」
「死者側の頂点に立つ存在で、境界のバランスを保つ役割を持っていた。だが、いつからか姿を消した。それ以来、境界は自然の力だけで維持されてきた」
「その屍王が、俺と何の関係が――」
「屍王が消えた後、境界は少しずつ脆くなっている。お前という異物がそこに嵌まり込んだことで、脆い部分が一気に崩れ始めてるんだろうよ」
「……嫌な話だな」
「嫌な話ついでにもう一つ。お前の話を聞いて気になって、古い連中に聞き回ったんだが……『王の器』ってのは、屍王の後継者候補って意味らしい」
「…………」
「お前が死者側に完全に傾けば、お前が新しい屍王になる可能性がある。死者たちがざわついてるのはそのせいだ」
「冗談だろ。俺は王なんかになりたくない。モテたいだけだ」
「わかってるよ、バカ。だから言ってんだ。気をつけろ、ってな」
ボーン先輩は、珍しく真剣な声だった。
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残り48日。
俺は特異点で、王の器で、未登録存在で、冒険者Fランクで、ミイラ寄りのアンデッドで、モテない男だ。
肩書きだけは増えていくが、欲しい肩書きは一つもない。
「誰かの彼氏」。
その称号が欲しいだけなのに、世界は全力で遠回りさせてくる。
「……まぁいい。逆に考えろ」
世界を救えば、さすがにモテるだろう。
たぶん。
おそらく。
きっと。
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第9話「特異点と呼ばないでくれ」 ― 了




