第6話「ついに肉がついたぞ! でも腐ってた」
善行マラソンを始めて二週間が経った。
橋の修繕を皮切りに、俺は手当たり次第に依頼を受けまくった。畑の害獣退治、迷子の捜索、水路の清掃、盗賊の撃退(これは偶然だったが)。
Fランク冒険者にしては異常なペースで依頼をこなし、ギルドの受付嬢に「またあなたですか……」と呆れられるほどだった。
善行値は着実に積み上がっている。現時点で+23。始めた頃の+1がちまちましていたのが嘘のような数字だ。
「この調子なら、蘇生条件のうち善行値は問題ないな」
「善行値だけですけどね。他の条件は軒並み未達です」
リリアの冷静な指摘が胸に刺さる。刺さるけど、事実だから仕方ない。
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その日の朝、異変は唐突に起きた。
目を覚ますと――正確には、休息モードから復帰すると――体に違和感があった。
「ん……?」
いつもなら骨がベッドに当たってカタカタ鳴るのに、今日は鳴らない。何か柔らかいものが、骨と木の板の間にある。
俺は自分の腕を見た。
「…………おぉ!?」
肉がある。
薄く、頼りないが、確かに肉がある。骨の上に灰色がかった組織が張り付いている。指を動かすと、骨だけの時にはなかった弾力が感じられた。
「肉だ! 肉がついた! ついに進化だ!」
俺は飛び起きた。飛び起きて、全身を確認した。
腕。肉あり。薄いが、ある。
胸。肋骨の上に、灰色の組織。心臓はまだないが、骨がむき出しではなくなった。
足。こちらも薄い肉が。膝小僧が存在している!
顔。鏡を見る。
「…………」
骸骨の上に、乾いた灰色の皮膚がへばりついている。目の窪みは相変わらず暗い穴だが、頬骨の上に何かが張り付いたおかげで、「顔」と呼べなくもないシルエットにはなった。
しかし。
「ミイラじゃねえか」
客観的に見て、骸骨がミイラに進化しただけだった。いや、むしろ悪化している気もする。骸骨はまだ「骨模型」として清潔感があったが、ミイラは「干からびた死体」だ。不気味さが段違いに上がっている。
「でも肉がついた! 肉だ! これは前進だ!」
ポジティブの暴力で現実を殴り飛ばす。これが日向ポジ男のやり方だ。
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「進化しました」
朝の報告で、俺はリリアに宣言した。
リリアは俺を見て、三秒ほど固まった。
「…………」
「どうだ、リリア! 骸骨から一歩前進だぞ! もう顔も……まあ、あるぞ! 一応!」
「……以前の方がまだ見られましたね」
「なっ……!」
「骸骨の時は、骨格模型だと思えばまだ理性的に受け止められましたが、今の見た目は率直に……その……」
「言ってみろ」
「気持ち悪いです」
「ストレートすぎる!」
リリアは目を逸らしたまま続けた。
「教会の資料によると、アンデッドの段階進化は善行値や霊核の安定度が一定値を超えた時に発生します。あなたの善行マラソンが実っているのは確かです」
「だろ! 俺の頑張りが形になったんだ!」
「形が問題だと言っています」
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ネクロミアの研究塔に行った。定期検査と、進化の確認のためだ。
「あら」
ネクロミアが俺を見て、目を見開いた。それから、じっくりと観察するように俺の周りをぐるりと回った。
「進化したのね。霊核の質が変わってる……」
「どうだ? 良い方向か?」
「ええ、霊核の安定度は上がっているわ。善行の蓄積が魂の基盤を強化している。肉体の再構築が始まったのは、その証拠よ」
「やった!」
「ただ……」
ネクロミアが俺の腕を取り、肉の部分を指で押した。ぶにっ、と鈍い感触がした。
「この組織、生きてないわね」
「え?」
「死んだ肉よ。腐肉と言った方が正確かしら。あなたの体は生者の肉体を再構築しているのではなく、死者としての肉を纏い直している。進化と言うより、死の深化と言うべきね」
「……それ、蘇生に向かってるのか? 逆に離れてないか?」
「どちらとも言えるわ。蘇生するためには、まず器としての体が必要。今はその器を作っている段階。でも今の器は死者寄り。完全な生者の器にするには、まだ何段階か必要よ」
ネクロミアは微笑んだ。
「でもおめでとう。あなた、腐敗の進み方がとても綺麗ね」
「褒め方がおかしい!」
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セレスにも会った。
町の広場で偶然出くわしたのだが、セレスは俺の変化にすぐ気づいた。
「ポジオさん! あれ、何か変わりましたか?」
「おう、気づいたか! 実は進化したんだ。見てくれ、肉がついたぞ」
仮面を少しずらして、顎の辺りを見せた。灰色の乾いた皮膚がへばりついている。
「…………」
セレスの表情が、一瞬だけ微妙に曇った。すぐに笑顔に戻ったが、その一瞬を俺は見逃さなかった。
「正直に言っていいぞ」
「えっと……健康的(?)で……えっと……」
「無理しなくていい」
「でも健やかでよかったです!」
「俺が一番聞きたい台詞が聞けたけど、全然嬉しくないのはなぜだ」
セレスは困ったように笑った。その笑顔は天使のように純粋だったが、俺の見た目に対する評価としては残酷だった。
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問題は町の反応だった。
仮面をつけて町を歩く分には、前と変わらない。だが、仮面の隙間から漏れる「何か」が変わっていた。
「なあ、あの旅人……なんか臭くないか?」
「ちょっと変な匂いがするわね……」
「腐った……いや、なんだろう。干物みたいな……」
腐肉の匂いだ。
骸骨の時は骨だけだったから匂いはなかった。だが肉がついたことで、死者特有の匂いが発生し始めている。
「これは盲点だった……」
「匂い消しの薬草がありますから、それを使いましょう」
リリアが手際よく対処してくれた。こういう時のリリアの有能さは本当にありがたい。文句を言いながらも、必要なフォローは欠かさない。
「ここをこう塗って……はい、これでしばらくは大丈夫です」
「ありがとな、リリア」
「言っておきますが、これは毎日塗り直す必要があります。あなたの新しい日課が増えましたね」
「……面倒だけど、仕方ないな」
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その夜。ボーン先輩が進化した俺を見て、ぼそりと言った。
「おう。変わったな、新入り」
「ああ。ようやく肉がついた」
「……その肉、前より不気味だぞ。骸骨の方がまだマシだったんじゃねえか」
「みんな同じこと言うの本当にやめてくれ」
ボーン先輩はカタカタ笑い、それから少し真面目なトーンになった。
「なあ新入り。お前の変化、墓場の連中の間でもちょっとした話題になってる」
「へえ」
「進化するアンデッドってのは珍しくねえ。だが、お前の進化の仕方は少し異質らしい」
「異質?」
「普通のアンデッドは、力が強くなる方向に進化する。より凶暴に、より強大に。だがお前は逆だ。人間に近づく方向に進化してる。それは本来、アンデッドの進化じゃねえ」
「……蘇生に向かってるからか?」
「さあな。だが、古株の連中が妙なことを言ってた」
「何て?」
ボーン先輩は少し間を置いて、言った。
「『王の器が、形を変え始めた』」
「また王の器か……何なんだよ、それ」
「知らん。だが、お前が変わるたびにざわつく連中がいる。それだけは覚えとけ」
ボーン先輩は去っていった。
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小屋に戻ると、リリアが机に向かって何か書いていた。
「何してるんだ?」
「あなたの状況報告書です。教会に提出するものですから」
「俺について書いてるのか。何て書いてるんだ?」
「『対象は段階進化を遂げたが、社会的危険度に変化はなし。引き続き監視を継続する』」
「味気ない書き方だな」
「事実を書いているだけです」
リリアはペンを置いて、こちらを見た。
「ポジオ」
「ん?」
「進化おめでとうございます」
「……!」
「見た目は正直、前より厳しいですが。あなたが前に進んでいるのは、確かです」
リリアは、すぐに視線を書類に戻した。
「……以上です。おやすみなさい」
「お、おう。おやすみ」
ばたん、と隣の部屋のドアが閉まった。
俺は一人、小屋の中で立ち尽くした。
進化おめでとう。
骸骨の時は、誰もそんなことを言ってくれなかった。ミイラになったら祝ってくれる人がいるとは。
「……よし」
拳を握った。灰色の肉がついた指が、前より力強く握れた気がした。
「次の進化はもっと格好良くなるからな。絶対に」
ステータスを確認する。
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【ステータス】
名前:ポジオ(通称:骸骨の騎士様(不本意))
種族:下級アンデッド(ミイラ化初期)
状態:再構築中
段階進化
骸骨 → ミイラ寄り ☑ 達成
蘇生条件 進捗
・善行値:+23 → もうちょっと必要
・功績:小規模依頼 × 多数 → まだ足りない
・霊核安定:不安定 → やや改善中
・聖遺物:未入手 → 未着手
・許可証:監視段階 → 論外
残り期限:53日
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「53日か」
時間は待ってくれない。
でも俺は、確実に前に進んでいる。肉がその証拠だ。腐ってるけど。
臭いけど。
でも、前に進んでいる。
次は何をすべきか。善行値は引き続き稼ぐとして、聖遺物と霊核安定の方にも手をつけないといけない。
「明日、ネクロミアに聖遺物の情報を聞きに行こう。あと、冒険者ギルドでもう少し大きな依頼を探す」
仮面を磨く。明日からはこの仮面に、匂い消しの薬草も塗らないといけない。
手間は増えるが、それは前進の証だ。
日向ポジ男は、今日も最低の動機で、前を向く。
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第6話「ついに肉がついたぞ! でも腐ってた」 ― 了




