↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英雄を作る ~兄の汚名のために書いた嘘の英雄伝、領主に本人を連れてこいと言われたので詐欺師を雇いました~  作者: 久賀ラトル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/22

第7話 英雄は、約束をする

水車小屋は、村の北の小川の脇にあった。


水車は半分壊れて、回っていなかった。屋根の端が焼け落ちていた。戸口の脇に、鞍をつけたままの馬が一頭つないであった。脚が膝の上まで濡れて、乾いた泥が白くこびりついていた。


浅瀬を渡ってきたのだ。舟ではなく。


ブラントは小屋の中で、床に腰を下ろしていた。俺たちが入っても、立たなかった。


「来たか」


それだけ言った。


小屋の中は暗かった。粉を挽く石臼が、真ん中に据わっている。その周りの床板に、黒い染みが広がっていた。古い染みだった。


「橋の西にいたそうだな」とブラントがグレンに言った。「お前の雇われの一隊は」


従者が先に報せていたのだ。グレンが宿でしのいだ一言は、二日で西の川まで届いていた。


グレンは答えなかった。肯きもしなかった。


「どこに立っていた。ここか」


「……覚えてない」


「そうか」


ブラントは、壁を顎で指した。


「なら、これも覚えていないな」


小屋の奥の壁板に、何かが刻んであった。俺は近づいた。


名前だった。


刃物の先で、浅く、下手な字で。一つの名前の下に、また一つ。字を知らない者は、丸や印を刻んでいた。数えた。二十三あった。


いちばん上に、一行だけ、少し大きく。


『五の隊』


「名簿では、五の隊は全員死んでいる」とブラントが言った。「来る途中、砦で書付を見せてもらった。退き戦の夜、橋の西で戦死。二十三名」


「全員」


「全員だ。橋が焼かれる前に、戻れなかった隊だ」


ブラントは立ち上がった。膝が鳴った。


「死にかけた男たちが、ここで待っていた。名前を刻んだのは、自分がここにいたと、誰かに分かるようにだろう。待っていたのは、来るはずの誰かだ」


ブラントは俺を見た。


「お前は、何を持ってきた」


俺は懐から、四つに畳んだ紙を出した。


広げて、裏を見せた。


『水車小屋 五の隊 十一』


ブラントは紙を受け取った。窓から入る細い光に、炭の字をかざした。長いこと見ていた。


「誰の字だ」


「兄の字です」


「これも紙だな」


「兄が書いた紙です」


ブラントは何も言わずに、紙を俺に返した。


二十三と、十一。


二十三人がここにいた。十一人が、ここから出ていった。


   *


戸口が暗くなった。


マルタが立っていた。その後ろに、村の女たちと、年寄りと、子どもが何人か。焚き火の夜のことが、村じゅうに回っていたらしい。


「白い頭の騎士様。あんたが一番知りたがってたことを、あたしは一言も言わなかったね」


マルタは小屋に入ってこなかった。


「けど、そっちの漕いだ男には、言うよ。兵は綱を切っていった。あんたは漕いだ。それだけの違いだ」


マルタはグレンを見た。


「あの夜、橋が燃えたのは、夜半を過ぎてからだ。燃える前に、東の袂で誰かが怒鳴ってた。焼くな、まだ戻る、ってね。燃えたあと、しばらくして、浅瀬に人が入った。一人だった。西へ渡って、この小屋へ来た」


マルタの声は低かった。


「明け方までに、三度渡った。一度に三人か四人。歩ける者は歩かせて、歩けない者は担いでね。あたしは岸の葦の中から見てた。十一人だった。最後の一人を渡したところで、東の岸で、松明が近づいてきた」


「味方の見回りだ」とブラントが言った。


マルタは答えなかった。


「十一人は、川沿いに南へ行ったよ。軍には戻らなかった。戻れば、死んだはずの兵が生きてることになる。そういうのを、兵は何て呼ぶんだい、騎士様」


ブラントは黙っていた。


逃亡兵、と呼ぶのだ。


「十一人の行き先は、言わない。言えば、あの十人長がしたことが無駄になる」


マルタはグレンから目を離さなかった。


「だから、約束しな。ここにいるみんなの前で。あんたも、あんたの連れも、あの十一人を探さない。見つけても、誰にも言わない」


俺は前に出かけた。


十一人は、兄貴が何をしたか知っている。兄貴が逃げていないと言える、たった十一人だ。


グレンが、俺の腕をつかんだ。強くはなかった。


それから、マルタと、その後ろの村の者たちに向き直った。小屋の戸口が、舞台の袖のように見えた。


「約束する」


大きな声ではなかったのに、外の子どもまで聞こえた。


「その十一人の行き先は、誰にも言わない。俺の口からも、俺の版元の筆からもだ」


俺の版元。


俺の筆まで、この男は約束に入れた。


マルタは小さくうなずいて、村の者たちと帰っていった。


   *


ブラントは馬の腹帯を締め直していた。


「七日目に、広間で訊く」


こっちを見ないで言った。


「副官に何をさせたのか。英雄は答えろ。俺は、この川で見たものを言う」


「何を見たと、言うんですか」と俺は訊いた。


ブラントは鞍に上がった。


「橋が、どっちの岸から焼かれたかだ」


馬は浅瀬のほうへ歩いていった。水に入っても、ブラントは一度も振り返らなかった。


   *


帰りの街道で、俺はグレンに馬を寄せた。


「なぜ約束した」


「しなきゃ、あの婆さんは一生口を閉じてた」


「十一人は証人だ。兄貴が逃げていないと言えるのは、あの十一人だけなんだぞ」


「知ってる」


「なら」


「レン」


グレンが俺の名前を呼んだのは、初めてだった。


「あんたの兄貴は、裁きの場で一言も言わなかったんだろ。申し開きなしだ」


俺は手綱を握り直した。


「どこへ何をしに行ったか言えば、十一人の居場所を言うことになる。言えば、十一人は逃亡兵で吊られる。だから黙った。黙って、首を差し出した」


グレンは前を向いたままだった。


「あんたは、兄貴が黙って守ったものを、掘り出しに来たんだ」


馬の蹄の音だけが続いた。


一年、兄貴がなぜ黙ったのか考えていた。よく笑う男が、なぜ一言も言わなかったのか。答えは、紙のどこにも書いてなかった。詐欺師が、婆さんの話を一度聞いただけで、拾い上げた。


「……約束したのは、お前だ」


「ああ。俺の約束だ」


「俺はしていない」


グレンは、そこで初めて俺を見た。


「あんたの筆は、俺の版元の筆だろ。俺が舞台で言ったことは、守る。守れない約束は、最初からしない」


それが、この男の決まりなのだと、俺はようやく分かった。グレンが一度も副官の名を口にしないのも、たぶん同じ理由だ。


城まで、あと二日。


残りは、一日になる。


(第7話 了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。