第5話 英雄は、遺品を買う
厩番の話では、ブラントは西の街道を行ったらしい。
「国境の見回りなら、北の砦から回るのが順だ」と厩番は言った。「西から行くのは、珍しい」
俺は礼を言って、銅貨を一枚置いた。
西の国境。兄貴が最後に戦った場所だ。
あの騎士は、七日待つと言った。待つあいだ、自分の足でも探すつもりなのだ。七日後に広間で英雄に問うのは、答えを知らない者に訊くためじゃない。自分が西で見てきたものと、比べるためだ。
部屋に戻ると、グレンは寝台の上で銅貨を並べていた。
「証人を一人、買おう」
「何の証人だ」
「西で副官が何をしたか、見ていた男だ。七日あれば、それらしいのが一人は作れる。金に困ってる元兵士に、話を一つ覚えさせればいい」
「作れば、あの男には分かると言った」
「分かるのは、話が下手なときだけだ」
「ブラントは西へ行った」
グレンの指が止まった。
「……見回りじゃないのか」
「見回りなら北から回る。厩番がそう言ってた」
グレンは並べた銅貨を、一枚ずつ袋に戻した。
「本物を見てきた男の前に、作り物の証人を立たせるのか。舞台でやると一番みっともないやつだ」
「だから、本物を探す」と俺は言った。「人じゃない。物だ」
処刑された兵の持ち物は、家には返らない。兄貴のものも、一つも帰ってこなかった。剣や靴は誰かが売り、残りは誰かの懐に入る。紙は高い。字の書いてある紙でも、裏が白ければ売れる。
「人は嘘をつく。物も嘘をつくが、紙と墨の嘘なら、俺は見分けられる」
その日の午後、俺は貼り紙を二十枚書いた。
『英雄グレン殿、副官オルドの遺品を求む。品により相応の礼をする。明日一日、城下の麦の穂亭にて』
グレンは一枚を窓の光にかざした。
「礼の額を書かないのは、いい。書けば、その額の偽物が来る」
「書かなくても来る」
「来るさ。だから俺が座る」
*
翌日、宿の一階に卓を一つ借りた。
朝から列ができた。
一人目は、革の帯を持ってきた。副官が最後まで締めていた帯だと言った。グレンは留め金を指で弾いた。
「この型の留め金は、今年の春から出回ってる。去年死んだ男には締められない」
男は帯を丸めて帰った。
二人目は、髪を一房持ってきた。副官の形見だと言った。
「赤いな」とグレンは言った。「伝記の副官は、黒髪だったはずだが」
伝記に、副官の髪の色など書いていない。
男は少し考えて、「そうだったかな」と言った。それで終わりだった。
「本当に持ってる奴は、伝記のことなんか知らないと言う」と、男が出ていったあとでグレンは言った。「知ってるふりをする奴は、こっちに話を合わせる」
三人目から先は、俺は数えるのをやめた。
昼前に来た男は、何も持っていなかった。
片方の耳が欠けていた。卓の前に立って、グレンの顔をしばらく見ていた。
「売るものはねえ。訊きたいことがあって来た」
「何だ」
「オルドってのは、十人長のオルドか。西の退き戦で、橋の番をしてた」
宿の中の話し声が、少し小さくなった。
俺が知っているのは、布告の文面だけだ。兄貴が橋の番をしていたことは、知らなかった。
「俺はあの退き戦にいた。三の隊だ。あいつのことは顔しか知らねえ。だが、あいつは誰かの副官なんかじゃなかった。十人長だ。それに、あの戦にグレンなんて隊長はいなかった」
男はグレンを見ていた。
「あんた、どこにいた」
グレンは笑った。
「どこの名簿にも載らないところだ。俺は雇われだった」
「傭兵か」
「詩人は、雇われの隊長なんか歌いたがらない。だから三百だの二千だの、数を盛る。本当は、橋の西にいた名前のない雇われの一隊だ」
男はしばらく黙っていた。
「……傭兵なら、あの戦にはいくらでもいたな」
「そういうことだ」
男は何か言いかけて、やめた。それから出ていった。
出ていく男とすれ違って、列の後ろに見覚えのある顔が立っているのに気づいた。ブラントの従者だった。何も持っていなかった。並んでもいなかった。
遺品を買い集める英雄。外から見れば、証拠を買っているのと変わらない。そのうえ今、英雄は自分で、自分の居場所を言った。
俺は卓の下で、グレンの足を蹴った。
「何をした」
「助かったろう」
「お前は今、英雄をあの退き戦に置いた。橋の西にだ。あの騎士は今、その西にいる」
「置かなきゃ、あの男は今夜、酒場で言いふらしてた。英雄はあの戦にいなかった、ってな」グレンは次の客を手招きした。「明日のことは明日考える。薬売りは、毎日そうしてきた」
「見られてたぞ」
「知ってる。朝からいる」グレンは次の客から目を離さなかった。「見せておけ。偽物を追い返してるところを見せるのは、悪くない」
*
日が傾いて列が切れたあと、男が一人入ってきた。
日に焼けた、腰の曲がりかけた男だった。馬方だ、と自分で言った。去年の冬まで、軍の荷を運んでいた。
男は懐から、四つに畳んだ紙を出した。
「字はわからねえ。だが紙はいい紙だ。裏が白い」
受け取って、開く前に分かった。紙の端の裁ち方で。うちの店の裁ち方だった。
開いた。
俺の字だった。
店のこと、親父の咳のこと、写しの注文が減ったこと。兄貴が西へ発つ前の月に、俺が書いて送った手紙だった。
「銅貨三枚」
グレンの声だった。
馬方が顔をしかめた。「紙一枚に、そんなにはもらえねえと思ってたが」
「なら、二枚だ」
「いや、三枚で」
グレンは銅貨を三枚、卓に置いた。それから、卓の下で俺の足を蹴った。
顔を上げろ、ということだった。顔に出ている、ということだった。
俺は顔を上げた。
「これを、どこで」
「刑場から城へ、持ち物を運んだのが俺だ」馬方は銅貨をしまいながら言った。「剣と靴は兵が分けた。残りは箱に入れて、書記に渡した。紙を一枚だけ抜いた。裏が白かったからな」
兄貴の持ち物は、箱に入って、書記の手に渡った。封じた記録と同じ場所に、今もあるのかもしれない。
「ほかに、あの男の持ち物を探しに来た者は」
馬方は少し考えた。
「先月、同じことを訊きに来た男がいた。字の書いてあるものはないか、ってな。あんたらより、ずっと払いがよかった」
「誰だ」
「名乗らなかった。身なりのいい男だ。紙のことは、黙ってた。払いのいい奴ほど、あとで面倒になる」
馬方は帽子をかぶって出ていった。
グレンが言った。
「裏を見ろ」
裏返した。白くはなかった。下の端に、炭で小さく何か書いてあった。字の読めない男には、汚れにしか見えなかっただろう。
兄貴の字だった。
『水車小屋 五の隊 十一』
「五の隊ってのは」とグレンが訊いた。
「知らない」
兄貴の隊じゃない。知らない隊の、知らない十一。兄貴は西で、何かを数えていた。
グレンは紙から目を上げて、天井を見た。
「俺は今日から、橋の西にいたことになってる」
「お前が言った」
「なら、その水車小屋がどこにあるかくらい、知ってなきゃならないわけだ」グレンは胸の布を押さえた。「五日で、行ったこともない場所の思い出を作る。肋一本じゃ割に合わないな」
「作るんじゃない。見に行く」
言ってから、自分で驚いた。城から西の国境までは、馬で二日かかる。
宿の窓の外で、蹄の音がした。ブラントの従者が、西の街道へ馬を出していくところだった。
俺たちが今日何を買ったかは、三日もしないうちに、あの騎士の耳に入る。
俺は紙を畳み直した。
人の字を下手だと言えるような字じゃなかった。
残りは、五日だった。
(第5話 了)




