↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英雄を作る ~兄の汚名のために書いた嘘の英雄伝、領主に本人を連れてこいと言われたので詐欺師を雇いました~  作者: 久賀ラトル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/22

第4話 英雄は、紙を読まない

城の寝台には、毛布が三枚あった。


グレンは三枚とも自分の上に積んで、その下から顔だけ出していた。息を吸うたびに、布を巻いた胸のあたりで毛布が小さく上下した。


「町の宿なら、一枚で銅貨二枚取られる」とグレンは言った。「三枚で六枚だ。騎士ってのは、寝てるだけで儲かる」


「肋の分を引け」


「引いても儲かってる」


家令が来たのは、朝の鐘のあとだった。白い髭の、背筋の伸びた男で、俺には目もくれずに寝台の脇に立った。


「閣下のお言葉をお伝えします」


副官の処刑の記録を開くかどうかは、副官の主であるグレン殿に任せる。明日の叙任の場で答えよ。開くなら、ブラントとグレン殿が書庫で読む。封じた記録の慣いにより、写しは取らせない。家の者は入れない。


最後の一つだけ、家令は俺のほうを見て言った。


家令が出ていくと、グレンは毛布の下で小さく笑った。笑って、胸を押さえた。


「うまいな、あの領主」


「何がだ」


「断れば、副官のことを隠した領主になる。開ければ、自分の城の判決を人目に晒した領主になる。だから英雄に決めさせた。どっちに転んでも、決めたのは俺だ」


グレンは天井を見た。


「断ろう。肋が痛むとでも言って」


「断っても、問いは消えない」


「消えなくていい。中身の分からない箱は開けない。薬売りの決まりだ」


グレンは毛布を一枚、胸の上まで引き上げた。


「せっかく三枚あるんだ」


俺は窓の外を見ていた。中庭の敷石が見えた。四十二枚。


一年前に窓口で突き返された記録が、あの石の向こうのどこかにある。


「開けろと言え」


「……聞いてたか。記録に俺はいないぞ」


「知ってる」


「なら」


「開けなければ、あの騎士は、英雄は副官を見捨てたと言う。開ければ、少なくとも一人は、あれを読む」


一年、誰も読まなかった。俺も読めなかった。


グレンは長いこと俺を見ていた。それから、毛布をはいだ。


「なら、先にあの騎士を買っておく」


   *


ブラントは、兵舎の裏で馬の蹄を見ていた。


グレンは胸を押さえながら近づいて、挨拶もそこそこに切り出した。浅瀬のことだ。うちの版元で八百のほうの本を写し直して、北にも南にも流す。三人の名前を、今度こそ詩人に歌わせる。


俺はそんな話を一言も聞いていなかった。


ブラントは蹄から目を上げなかった。


「やめろ」


「金は取らない」


「浅瀬のことを、紙にするな」ブラントは馬の脚を下ろした。「紙にすれば、次の詩人が三千にする。浅瀬にいたのは三人だ。紙の上では、そのうち三十人になる」


グレンは口を開いて、閉じた。もう一度開いて、何も言わずに閉じた。


ブラントは馬の首を軽く叩いて、俺を見た。


「話があるのは、そっちだろう」


「記録は、開けさせます」と俺は言った。


「決めるのは英雄だ」


「英雄は、開けろと言います。ただし、読みません。読むのは、あなた一人です」


ブラントの目が、俺からグレンへ移った。


「なぜ英雄は読まない」


「読めば、顔に出るからです」


嘘ではなかった。


グレンが、ゆっくり横を向いた。見られたくない顔を隠す男の動きだった。そう見えるように、隠していた。


「読んだら、兄のことを教えてください。何が書いてあったか」


「お前の英雄のことも、書いてあるかもしれん」


「書いてあるかもしれません」


ブラントは長いこと黙っていた。


「白河の浅瀬では、二十人が持ち場を離れた。残ったのは三人だ」


馬の首に手を置いたまま、ブラントは言った。


「持ち場を離れた男を、俺は許したことがない。お前の兄が逃げていたら、俺は広間でそう言う。伝記の副官は、逃げた男だと」


「逃げていません」


「それを確かめに行く」


ブラントは馬から手を離した。


「書いてあることは教える。代わりに、お前の兄がどういう男だったか、俺に話せ。紙には、人の顔は書いてない」


厩のほうへ歩き出しかけて、ブラントは一度だけ振り返った。


「昨日、背負われていたのはお前だ。だが、背負わせたのもお前だな」


答えは待たれなかった。


   *


部屋へ戻る回廊で、グレンが言った。


「名前じゃなかった」


「何が」


「あの騎士が欲しかったものだ。名前を歌われたかったんじゃない。紙にされたくなかったんだ」


「白河の本の約束は、どうする」


「書かせるとは言った。いつとは言ってない」


その夜、俺は台詞を三行だけ書いた。グレンは二度読んで、紙を俺に返した。


「紙に書いてよこすにしちゃ、妙な台詞だな」


「覚えたか」


「覚えた。紙は返す」


   *


叙任は、広間で行われた。


グレンは領主様の前に進んで、片膝をついた。膝が床に着く前に、息が一度止まった。止まったのを、広間の全員が見ていた。一昨日の中庭で、この男が何を背負って歩いたかを、みんな覚えていた。


隠せばいいのに、と俺は思った。グレンは隠さなかった。隠さないほうが効くのだと、少し遅れて俺は気づいた。


領主様の剣が、グレンの両肩に一度ずつ置かれた。


「グレン殿。副官の記録を、開くか」


「開けてください」


広間がざわめいた。グレンはひざまずいたまま続けた。


「ただ、私は読みません」


ざわめきが止まった。


「あの人のことは、背中で覚えています。あの人を殺したのは、紙でした。私は、あの人を紙で知りたくない」


グレンは顔を上げて、広間の端に立つブラントを見た。


「読むなら、あの人を一番疑っている方に」


あの人、と書いたのは、俺だった。


ブラントは何も言わなかった。顔も動かなかった。


領主様は、しばらくグレンを見ていた。


「英雄が紙を読まぬなら、紙は騎士に読ませよう」領主様はブラントに目を移した。「ブラント。読め。読んだことは、私にだけ申せ」


「承知いたしました」


私にだけ。


その一言で、昨日の取引の半分が消えた。


   *


書庫は、中庭の奥にある石造りの建物だった。


ブラントが入っていくとき、戸の脇で鍵束を持っていた書記が、俺の顔を見た。若い書記だった。一年前、役所の窓口で、記録は封じられています、と言った顔だった。向こうも覚えていたらしい。何も言わずに戸を閉めて、鍵をかけた。


俺は中庭で待った。敷石を数えた。四十二枚あった。昨日も四十二枚だった。


ブラントが出てきたのは、昼を過ぎてからだった。まっすぐ回廊へ行き、しばらくして戻ってきて、俺の前で止まった。


「閣下に申し上げた」


「兄のことは」


「読んだことは、他言するなと言われた」


ブラントの顔は変わらなかった。


「だから、言わない。訊くだけだ。お前の兄は、西に知り合いがいたか」


「……いません」


「そうか」


兄貴が最後に戦ったのは、西の国境からの退き戦だった。兵は東へ退いた。西は、敵がいたほうだ。


「お前の兄は、口の重い男だったか」


「いいえ。よく笑う男でした」


「そうか」


ブラントはそれだけ言って、少し黙った。


「七日、国境の見回りに出る」


それから、言った。


「戻ったら、広間で英雄に訊く。副官に密命を出したのなら、西で何をさせたのか、知っているはずだ」


記録の中身を、他言するわけじゃない。英雄に、問いを一つ訊くだけだ。


「お前の英雄に、そう伝えろ」


ブラントは厩のほうへ歩いていった。


俺は中庭に立ったまま、敷石を見ていた。


逃げる男は、敵のいるほうへは走らない。


記録には、兄貴が西へ行ったと書いてある。兄貴が何も言わなかったと書いてある。でなければ、あの騎士はあんなことは訊かない。あれだけよく笑った男が、自分の首がかかった場で、一言も。


   *


その夜、グレンの部屋で、昼のことを話した。


グレンは毛布の上に座って、指を折っていた。


「七日あれば、国境の向こうまで行ける」


「行けばいい。金貨の三分の一を持って」


グレンは指を折るのをやめた。


「……毛布が三枚あるんだ」


それから、俺を見た。


「西で何があったか、あんたは知らないのか」


「知らない」


「作れるか」


「作れば、あの男には分かる」


グレンは毛布を一枚、膝に掛けた。


「なら、紙じゃなくて人に訊くしかないな。あんたの兄貴と同じ隊にいた奴が、どこかで生きてるだろ」


俺は窓の外を見た。中庭の敷石は、暗くてもう数えられなかった。


一年前、俺はこの世にいない男を一人作った。ひと月かかった。


今度は、たしかにいた男が西で何をしたのかを、七日で見つけなければならない。


(第4話 了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。