第21話 英雄は、本物になる
祝宴の日は、朝から晴れていた。
広場は、昼前に人で埋まった。城下の者だけではなかった。近くの村から、荷車に乗って来た者がいた。葦辺の者たちが、寺の宿坊から揃って出てきていた。マルタが、その真ん中で杖をついていた。西の見張りの隊の六十人が、一か所にかたまって、まだ包帯を巻いている者もいた。
義勇兵の列の端に、麦野村の八人がいた。リクが、いちばん前にいた。
ダグは、広場の隅の、井戸の縁に腰かけていた。
台の上に、領主様の椅子があった。その右にヴェイル隊長、左にブラント。グレンは、杖をついて、領主様の椅子の少し前に立っていた。英雄の場所だった。
俺は、台の端の、書記の机の横に立っていた。ミーレが、机の前に座って、祝宴の記録をつけていた。
酒が配られて、領主様が杯を上げた。
「灰川の勝ちに」
広場が、それに応えた。
「英雄グレン殿に」
広場が、もっと大きな声で応えた。グレンは、杖をついたまま、軽く頭を下げた。名乗らなかった。
それから、領主様は俺を見た。
「版元。第二巻の一章を」
台の脇に、城の詩人が控えていた。日付の入っていない頁を、手に持っていた。
俺は、詩人の前に出た。
「伝記係の私が、読ませていただきます。作者が読むのが、筋かと」
領主様は、少しだけ目を細めた。それから、手で促した。
俺は、懐から本を出した。
城の詩人が持っている頁ではなかった。一昨日、親父と写した三十部の、手元に残した一冊だった。
一頁目を開いた。
「英雄グレンと、鴉の口の戦は、この私が作った」
広場が、静かになった。
最初は、誰も意味が分からなかったのだと思う。それから、広場の端から、ざわめきが寄せてきた。
台の下で、城の兵が二人、動いた。
領主様が、肘掛けの指を、ほんの少しだけ上げた。兵が、止まった。
ここで作者を台から引きずり下ろせば、広場の全員が、領主が何かを隠したと思う。この人は、それを一瞬で数えたのだ。
俺は、読み続けた。
鴉の口の戦は、どこでも起きていない。三百の兵も、二千の敵も、旗の策も、副官への密命も。英雄を名乗る男は、私が雇った。騎士の試しの段取りも、広間の台詞も、私が書いた。
読み上げるうちに、声が震えなくなった。
自分の嘘を、自分の口で、全部並べた。並べ終わったとき、広場は、誰も喋っていなかった。
頁をめくった。
「ここから先は、私が書いたものではない。あなたがたが見たものだ」
葦辺の浅瀬のこと。四度渡ったこと。子どもを抱えて、肩に矢を受けたこと。
広場の葦辺の者たちの中から、声が上がった。
「見た」
マルタの声だった。
灰川の橋のこと。狼煙が上がっても、橋を焼かなかったこと。
「見た」
西の見張りの隊の六十人が、一度に言った。包帯を巻いた腕を、上げている者がいた。
「俺が、その最後の一人だ」
五十八人目の、肩を射抜かれた兵だった。
俺は、最後の頁をめくった。
「副官オルドについて、私は何も書かない」
広場が、また静かになった。
「十人長オルドが、二年半前の秋の夜、何をしたのか。私の言葉は、もう信じなくていい。その夜を見た者に、訊け」
俺は、本を閉じた。
それから、台の上で、黙って立っていた。
*
最初に台へ上がってきたのは、ダグだった。
右脚を引きずって、段を一つずつ上ってきた。城の兵は、止めなかった。止めていいのかどうか、分からなかったのだ。
ダグは、台の真ん中に立って、広場を見下ろした。
「殿の隊、二の隊のダグだ。名簿じゃ、負傷により除隊ってことになってる」
ダグは、右の膝を叩いた。
「二年半前の秋、灰川の橋の東の袂で、十人長のオルドの横にいた。一晩じゅうな」
ダグは、台の上のヴェイル隊長を見た。
「夜半に、橋を焼けと伝令が来た。オルドは、焼くなと言った。五の隊がまだ西にいる、とな。二度目の伝令は、油の荷車と一緒に来た。オルドは、もう一度、焼くなと言った。橋は焼かれた」
広場の誰かが、隊長の名前をささやいた。
ヴェイル隊長は、動かなかった。広間のときと同じだった。
「それから、オルドは一人で下流へ歩いていった。俺が言えるのは、そこまでだ。その先は、俺は見てねえ」
ダグは、台の段を下りかけて、広場の葦辺の者たちを見た。
「見たのは、あっちだ」
マルタが、杖をついて、台の前まで出てきた。上ってはこなかった。台の下から、領主様を見上げた。
「浅瀬の場所を教えたのは、あたしだよ。あの十人長は、何もない川を三度渡って、死にかけた兵を十一人、こっちの岸へ連れ戻した。最後の一人を渡したところで、こっちの岸の松明に捕まった」
マルタは、それだけ言って、葦辺の者たちの中へ戻っていった。
広場の真ん中で、人が動いた。
リクだった。
義勇兵の列から出て、台の前まで歩いてきた。懐から、紙を出した。布告の写しだった。
リクは、それを頭の上に掲げた。
「この春、灰川の浅瀬で戦った。名簿の誤りは問わない、と書いてある」
リクは、紙を下ろした。
それから、自分の名前を言った。
麦野村の、寺の脇の石に彫ってある名前だった。十四の名前の、上から三番目。
「俺は、名簿で死んだ五の隊の兵だ」
広場が、どよめいた。
「水車小屋で、あの人を待ってた。橋が燃えて、もう誰も来ないと思った。あの人が来た。名前も言わないで、俺たちを担いで川を渡った」
リクの声が、かすれた。
「最後に、松明のほうへ歩いていった。手を上げて。俺たちが葦の中にいるのを、隠すために。あの人の名前がオルドだって知ったのは、一昨年の夏だ。歌で知った」
リクの後ろに、七人が並んでいた。
一人ずつ、自分の名前を言った。石に彫ってある名前を。名簿で死んだ名前を。
最後の一人が言い終わると、ブラントが、椅子から立ち上がった。
ブラントは、台の端まで出てきて、広場を見下ろした。
「私は、閣下のお許しを得て、十人長オルドの処刑の記録を読んだ」
広場が、静まった。
「記録には、持ち場を離れ、西へ向かった、と書いてあった。申し開きなし、と書いてあった」
ブラントは、リクを見下ろした。
「申し開きをすれば、この者たちの居場所を言うことになった。だから、言わなかったのだ。今、その理由を聞いた」
ブラントは、領主様に向き直った。
「閣下。白河の浅瀬で、二十人が持ち場を離れました。東へ。私はあの二十人を、今も許しておりません。十人長オルドは、持ち場を離れました。西へ。私には、この男を許すことも、裁くこともできません。この男は、私が守った浅瀬の、反対の岸に立っていた」
ブラントは、元の場所へ下がった。
*
広場の目が、台の上の一人に集まった。
グレンだった。
偽物の英雄。作者が自分で作ったと言った男。
グレンは、杖をついて、台の真ん中に立っていた。逃げなかった。顔も、動かなかった。
一年前、酒場の卓に足をかけて、俺がグレンだと叫んだ大男がいた。今、台の上の男は、何も叫ばなかった。
誰かが叫んだ。
「偽物か」
グレンは、広場を見回した。
台本は、何も言うな、だった。
グレンは、少しだけ息を吸った。
「俺は、鴉の口にはいなかった。橋の西にも、いなかった」
広場が、ざわついた。
「だが、灰川の橋の袂には、いた」
西の見張りの隊の六十人が、何か叫んだ。義勇兵の列が、それに続いた。葦辺の者たちも。
声が、広場を埋めた。
グレンは、副官の名前を、言わなかった。
最後まで、言わなかった。
*
領主様が立ち上がったのは、声が引いてからだった。
広場の全員が、領主様を見た。
「当家は、偽書の作者に欺かれた」
領主様は、穏やかな声で言った。
「鴉の口の戦は、当家の書庫にもない。だが、灰川の橋の袂に立った男は、偽書の中の男ではない。騎士グレンは、そのまま当家の騎士とする」
広場が、どっと沸いた。
領主様は、手を上げてそれを鎮めた。
「十人長オルドの判決は、持ち場を離れたことにおいて、軍の法に照らして正しい」
広場が、また静まった。
「だが、その行いは、十一の兵の命を救った。町の布告を、改めさせる。逃げたのではない。持ち場を離れ、西へ向かい、兵十一を連れ戻した、と」
領主様は、ヴェイル隊長を見なかった。
「第二巻は、出さない。偽書の続きは、要らぬ」
日付の入っていない頁を持った城の詩人が、その頁を、そっと懐にしまった。
「灰川の橋を焼いた件は、二年半前のものも含めて、戦場での隊長の判断として問わない」
ヴェイル隊長が、初めて、わずかに頭を下げた。
それで、あの人は、ヴェイル家を残した。差し替えは、もう二度と口にできない。
最後に、領主様は、俺を見た。
「偽書の作者は、この地より追放する。七日のうちに、出ていけ」
俺は、頭を下げた。
台の下で、城の兵が、俺の腕を取った。強くは、なかった。
書記の机の前で、ミーレが筆を動かしていた。祝宴の記録だった。
台を下りるとき、その字が見えた。
『十人長オルド、持ち場を離れ、西へ向かう。五の隊の兵十一を連れ戻す』
ミーレの字は、兄貴の字より、ずっとうまかった。
(第21話 了)




