第17話 英雄は、雇い主になる
松明の列が、村の中に入ってきた。
兵が二人ずつ、家の戸を叩いて回った。戸が開くと、中を照らして、男の顔を一人ずつ確かめた。女たちが子どもを抱えて、戸口に立っていた。誰も泣かなかった。泣けば、何かを知っていることになる。
コルムは、馬を寺の前で止めた。
村の年寄りが一人、寺から出てきた。村長だと名乗った。
「五の隊の者は、みんな死にました」
村長は、俺が昼に何度も聞いた言葉を言った。
「お城の名簿に、そう書いてあります」
「存じております」とコルムは言った。「その名簿が誤っているかもしれないので、確かめに参りました」
コルムは、寺の脇の石を見た。十四の名前を。
「誤りは、正さねばなりません」
俺は、納屋の戸の前に立っていた。
背中の戸の向こうに、九人がいた。息を殺しているのが、戸板ごしに分かった。
コルムが、馬を下りて、こっちへ歩いてきた。兵が四人、後ろについた。
「版元殿。そこを、お退きください」
「この納屋には、麦しかありません」
「では、見せていただけますね」
「城の伝記係が、村の納屋の麦の番をしてはいけませんか」
コルムは、少し笑った。
「版元殿。あなたは、城から禄をいただいている。逃亡兵を匿えば、あなたも同じ罪です」
俺は、頭の中で、書庫の名簿をめくった。
「コルム殿。名簿を見たことはありますか。退き戦の、殿の隊の名簿です」
「拝見しております」
「五の隊の頁には、二十三の名前があります。全部に、戦死と書いてあります。日付は退き戦の翌朝。隊長殿の署名で」
「それが何か」
「隊長殿の署名が正しいなら、五の隊の者は、全員死んでいます。この村にいるはずがない」
俺は、一つ息を吸った。
「この村にいる誰かを五の隊の者だと言うなら、隊長殿の署名が、間違っていたことになります。隊長殿は、確かめもせずに二十三人を死んだことにした。そう、城に申し上げることになる」
コルムの笑いが、消えた。
「どちらにしますか」
松明の火が、風で揺れた。
コルムは、しばらく黙って俺を見ていた。賢い男だった。どちらを選んでも、主人の首に縄がかかることが、すぐに分かったのだ。
「……では、版元殿」
コルムは、穏やかな声に戻った。
「この納屋にいるのが五の隊の者でないなら、何者です。名前のない男たちが九人。どこから来て、何をしている者です」
俺は、答えられなかった。
名前のない男たち。名前を捨てた男たち。それを何と呼べばいいのか、俺の頭の中の紙には、書いてなかった。
コルムが、兵に顎で合図した。兵が、俺の腕に手をかけた。
そのとき、村の入口のほうで、蹄の音がした。
*
馬が、十騎ほど駆けこんできた。
先頭の男は、外套の喉元に銀の留め金をつけていた。肩を布で吊っていた。手綱を片手でさばいて、寺の前で馬を止めた。
グレンだった。
その後ろに、ダグがいた。トマがいた。義勇兵の、鍛冶屋の息子と粉屋の三男がいた。
ヴェイル隊の兵たちが、松明を持ったまま、一歩下がった。
英雄の顔を、みんな知っていた。葦辺の歌を、みんな聞いていた。
グレンは、馬を下りなかった。馬の上から、コルムと、俺と、俺の腕をつかんだ兵を、順に見た。
「俺の兵に、何の用だ」
コルムが、ゆっくり振り返った。
「英雄殿の、兵」
「その納屋にいるのは、俺の兵だ」
グレンは言った。
「橋の西にいた、名前のない雇われの一隊だ。宿で、そう言ったはずだがな。あの退き戦のあと、行き場がなかったから、俺が南へ逃がした。この村に、世話を頼んだ」
宿で言った、と。
麦の穂亭で、耳の欠けた男に返した、その場しのぎの嘘だった。ブラントの従者が西へ運び、西から城へ戻ってきて、今では城下の誰もが知っている。英雄は、橋の西にいた雇われの隊長だった。
その嘘が、今、九人の前に立っていた。
「雇われの隊なら」とコルムは言った。「名前を、お聞かせいただけますか」
「雇われに名前はない」
グレンは、肩をすくめた。肩の傷が痛んだのか、少しだけ顔をしかめた。
「詩人は、雇われの隊なんか歌いたがらない。だから名前が残らない。名簿にも載らない」
グレンは、俺を見た。
台本を寄こせ、という顔だった。
「隊長殿の名簿には、五の隊は全員死んだと書いてあります」と俺は言った。「英雄殿の雇われの隊なら、隊長殿の名簿に載っていなくて、当然です」
コルムは、俺とグレンを交互に見た。
ヴェイル隊の兵の一人が、後ろで小さく言った。
「英雄殿の兵に手を出したら、城下に戻れねえぞ。石を投げられる」
別の兵が、うなずいた。
コルムは、その声を聞いていた。聞いて、計算していた。
英雄の兵を、英雄の目の前で捕らえる。捕らえて城へ連れていけば、名簿の署名の話になる。英雄と、城下じゅうと、隊長殿の署名を、一度に敵に回す。
コルムは、丁寧に頭を下げた。
「失礼いたしました。隊長殿に、そのようにお伝えいたします」
松明の列が、村から出ていった。
*
納屋の戸を開けると、九人が、暗がりの中に立っていた。
リクが、最初に出てきた。グレンの馬の前まで来て、立ち止まった。
グレンは、ようやく馬を下りた。
「あんたが、英雄グレンか」
「そう呼ばれてる」
「あの人を、知ってたのか」
ベンも、納屋の戸口に出てきていた。九人が、グレンを見ていた。
グレンは、しばらく黙っていた。
それから、九人にだけ聞こえる声で言った。
「知らない。一度も会ったことがない」
俺は、グレンを見た。
「橋の西にも、いなかった。あの晩、俺は南の宿場で、効かない薬を売ってた」
村の者たちが、遠巻きにこっちを見ていた。ダグが、何も言わずに腕を組んでいた。
ベンが、低く笑った。
「知ってたよ」
グレンが、ベンを見た。
「あの晩、橋の西にいたのは、俺たちと、敵と、あの人だけだ。英雄なんか、どこにもいなかった。歌を聞いたときから、知ってた」
ベンは、グレンの吊った肩を見た。
「だが、今夜あんたは来た」
リクが、俺のほうを向いた。
「あの人の名前を歌にしたのは、誰だ」
「俺だ」
リクは、俺の顔を長いこと見ていた。何か言いたそうにして、言わなかった。
*
その晩、俺とグレンは、寺の軒下で毛布をかぶった。
「どうして来た」と俺は訊いた。
「トマが、あんたの後ろを荷運びの馬がつけていくのを見た。門番は、あんたが紙を買いに町へ行ったと言った。町は東だ。あんたは南へ行った」
グレンは、毛布の中で肩の位置を直した。
「顔に出てなくても、足に出てる」
「婆さんとの約束は」
「行き先を言わない、だ。言ってない。あんたが自分で見つけた」
グレンは、少し黙った。
「守る、とは約束してなかった。入れておけばよかった」
「騎士領の話は」
「領主には、受ける、と言った」
グレンは、目を閉じた。
「いつ受けるとは、言ってない」
俺は、笑いそうになって、やめた。
本当の白河を、書かせるとは言った。いつとは言ってない。
この男は、前にも同じことを言った。
「明日、城へ戻ったら、隊長が動く」とグレンが言った。「英雄の雇われの隊が、名簿に載らずに九人いる。なら、英雄の隊として使えばいい。春の戦に出せ、と言ってくる」
「断れるか」
「断れない。雇われは、戦うのが仕事だ」
納屋の戸が、少しだけ開いて、閉じた。誰かが聞いていたのだ。
嘘が、また一つ重くなった。
兄貴が名前を消して守った九人は、今夜から、英雄の兵になった。
(第17話 了)




