↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英雄を作る ~兄の汚名のために書いた嘘の英雄伝、領主に本人を連れてこいと言われたので詐欺師を雇いました~  作者: 久賀ラトル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/22

第13話 英雄は、持ち場を離れる

グレンは立ち上がった。


旗の下の火に、薪を一本足した。それから、天幕の列のほうへ向いて、声を張った。


「起きろ」


大きな声ではなかった。それでも、天幕の中で人が動く気配がした。


義勇兵たちが、毛布をかぶったまま顔を出した。川の向こうの火を見て、誰かが小さく声を上げた。


「葦辺が焼かれてる」とグレンは言った。「西の国の斥候だ。浅瀬の場所を、村の者に訊いてる」


グレンは、天幕の間を見回した。


「隊長殿の命令は、この丘から動くな、だ。だから命令はしない。俺は行く。ついてくるやつは、ついてこい。残るやつは、残って火を焚け。全部の天幕の前で、火を倍にしろ。太鼓があるなら、叩け」


誰も動かなかった。


それから、一人が立った。鍛冶屋の息子だった。粉屋の三男が立った。四人、十人。


三十人ほどが、槍を持って旗の下に集まった。


「トマ」


グレンは、布を巻いた手の若者を呼んだ。


「砦へ走れ。英雄は葦辺へ行った、旗は丘に残してある、と隊長殿に伝えろ。嘘は一つも混ぜるな」


トマは口を開けて、何か言いかけた。


「走れ。足だけは速いんだろ」


トマは走っていった。


ダグが、グレンの横に立った。


「逃げたら、ばらすと言ったな」


「言った」


「これは、逃げるほうか」


グレンは答えなかった。ダグは、それ以上訊かなかった。槍を一本取って、杖の代わりに突いた。


   *


「浅瀬は、どこだ」とグレンが俺に訊いた。


四十年前の紙を、俺は頭の中でめくった。


浅瀬は、川幅がいちばん広いところにできる。流れが広がって、遅くなって、底に石が溜まる。『灰川合戦記』の浅瀬は、目印の柱の前だった。三十年前の大水が柱を流して、川の曲がり方を変えた。なら、浅瀬も動いた。


「下流の、柳の曲がりの先だ」


昼に丘から川を見下ろしたとき、柳の並んだ曲がりの先で、川がいちばん広がっていた。水面に、白い波が細かく立っていた。底が浅いところの波だ。


「オルドが下りていったのも、そっちだ」とダグが言った。


俺は外套を脱いだ。


「お前も来るのか」とグレンが言った。


「浅瀬を知ってるのは、俺の頭の中の紙だけだ」


グレンは、少しだけ笑った。坂のことがあってから、初めて見た笑いだった。


   *


雪解けの水は、膝に入った瞬間に、足の感覚を持っていった。


腰まで来た。流れに押されて、体が下流へ持っていかれそうになった。前を行くダグの槍の柄を、後ろからつかんだ。俺の後ろの若いのが、俺の帯をつかんだ。三十人が、一本の縄みたいにつながって、川を渡った。


西の岸に上がると、葦の原の向こうで、屋根が燃えていた。


人の叫び声と、馬のいななきが聞こえた。


「戦うな」とグレンは言った。息が白かった。「俺たちは、剣じゃ勝てない。斥候は二十人もいない。あいつらの仕事は、浅瀬の場所を持って帰ることだ。死ぬことじゃない」


グレンは、義勇兵たちを葦の原に広げた。十歩おきに一人。


「合図をしたら、全員で叫べ。英雄グレンが来た、と。槍で葦を叩け。できるだけ大勢に聞こえるように」


それから、川の東を指さした。


鴉が丘の上で、火が倍になっていた。太鼓が鳴り始めていた。


「向こうの丘の火と、こっちの声。斥候は、伝記を読んだか聞いたかしてる。英雄が来たと聞けば、国へ持って帰る話が増えたと思う」


グレンは、深く息を吸った。


「今だ」


三十人の声が、葦の原から一度に上がった。


英雄グレンが来た。


自分の名前を叫ぶ声の中で、グレンは黙っていた。名乗っていなかった。名乗っているのは、ほかの三十人だった。


村の中で、馬の蹄の音が乱れた。誰かが西の言葉で何か叫んだ。蹄の音が、村から丘のほうへ、西へ遠ざかっていった。


   *


村は、半分が燃えていた。


焼け残った家の前に、村の者が集まっていた。年寄りが一人、戸口の前に倒れていた。もう動かなかった。浅瀬の場所を、言わなかったのだ。


マルタは、舟のそばにいた。


「また、あんたかい」


「舟を出せるか」とグレンは言った。


「出せるよ。漕ぎ手がいればね」


「年寄りと子どもは舟だ。歩ける者は浅瀬を渡る。俺の兵が、縄みたいにつないで渡す」


マルタはグレンを見て、それから俺を見た。俺の服は、腰から下が濡れて、冷えきっていた。


「浅瀬の場所を、知ってたのかい」


「四十年前の紙で」と俺は言った。


マルタは鼻で笑った。


「柳の曲がりの先だよ。あの十人長にも、あたしが教えた」


それで、分かった。


兄貴に浅瀬を教えたのは、この婆さんだった。


   *


渡しは、明け方までかかった。


舟は、マルタが漕いだ。グレンが漕ぐと言ったが、マルタは櫂を渡さなかった。浅瀬では、義勇兵たちが腰まで水に浸かって、手から手へ、村の者を東の岸へ送った。俺は流れのいちばん速いところに立って、子どもを一人ずつ受け取って、次の手に渡した。


ダグは、東の岸で、上がってきた者に毛布をかけていた。


グレンは、最後まで西の岸にいた。


一度、西の丘から蹄の音が戻ってきた。英雄の兵が三十人しかいないと、斥候が気づいたのだ。矢が三本、葦の中に落ちた。


「最後だ、渡れ」


グレンが叫んだ。


そのとき、焼けた家の陰から、子どもが一人出てきた。五つか六つくらいの男の子で、泣きもせずに、川のほうへ歩いてきた。誰も、その子がいないことに気づいていなかった。


グレンが、葦の原を走った。


剣の使えない男は、走るのも速くはなかった。子どもを抱え上げたとき、矢が一本、グレンの左の肩に立った。グレンはよろけて、膝をついて、それから立った。


立って、子どもを抱えたまま、浅瀬に入った。


俺は流れの中から手を伸ばした。


グレンの腕をつかんだ。グレンの指が、俺の手首に食いこんだ。肩の矢が、水の中で揺れていた。


東の岸に、グレンと子どもを押し上げた。


マルタが、舟から下りてきた。濡れたグレンの顔を、長いこと見ていた。


「あの十人長と、同じことをしたね」


グレンは、岸に座りこんで、肩を押さえていた。


「十人長は、三度渡った。あんたは何度だい」


「数えてない」


「四度だ」と俺は言った。


数えていた。


グレンは俺を見て、それから、少し笑った。


   *


日が昇るころ、砦のほうから、騎馬が十騎ほど下りてきた。


先頭に、ヴェイル隊長がいた。その少し後ろに、ブラントがいた。トマが、ブラントの鞍の後ろに乗せられていた。


ヴェイル隊長は、岸に並んだ葦辺の者たちと、濡れた義勇兵と、肩に矢を立てたままのグレンを、順に見た。


それから、静かに言った。


「英雄殿は、持ち場を離れたな」


誰も答えなかった。


ブラントは、何も言わなかった。馬の上から、浅瀬を見ていた。


一年半前、兄貴が三度渡った浅瀬を。


(第13話 了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。