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英雄を作る ~兄の汚名のために書いた嘘の英雄伝、領主に本人を連れてこいと言われたので詐欺師を雇いました~  作者: 久賀ラトル


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第12話 英雄は、砦へ行く

灰川の砦は、焼けた橋から北へ半里のところにあった。


川の東の岸の、少し高くなった土地に、石を積んだ壁が四角く巡らせてある。四十年前の戦のあとで築いたものだと、『灰川合戦記』に書いてあった。壁の上から、川の西が見渡せた。葦の原と、その向こうの低い丘と、丘の裾にかたまった葦辺の屋根。


二百人の義勇兵は、砦には入れてもらえなかった。


「英雄殿の兵は、鴉が丘へ」


ヴェイル隊長は、砦の中の一室で、卓に広げた地図を指で叩いた。


鴉が丘は、砦の南の、川に面した小さな丘だった。木が一本もなく、川の西から丸見えだった。誰がそう呼び始めたのか知らないが、伝記の題にあやかって、出陣の前の月に名前が変わったらしい。


「丘の上に、英雄の旗を立てる。義勇兵は、旗の周りに天幕を張る。数を多く見せろ。夜は火を多く焚け」


「戦わせないのですか」と俺は訊いた。


俺は、領主様の命で出陣についてきていた。英雄の働きを近くで見て書け、と言われていた。ヴェイル隊長は、俺がその場にいることを嫌がりもしなかった。


「西の国は、この夏は様子を見に来るだけだ。本攻めは来年の春になる」


ヴェイル隊長は、俺を見ずに答えた。


「様子を見に来た斥候が、川の向こうから英雄の旗と二百の天幕を見る。英雄が灰川にいると、国へ持って帰る。それで、この夏の仕事は終わりだ」


旗は、見せるためのものだ。動かないことに意味がある。


「浅瀬は、誰が守る」


部屋の隅から、ブラントが言った。


ブラントも、領主様の命でこの砦に来ていた。ヴェイル隊長の下ではなく、領主様の騎士として、目付けの役だった。


「雪解けの水が、まだ引いていない。浅瀬は渡れない」とヴェイル隊長は言った。


「一昨年の秋、渡った男がいた」


部屋の空気が、少し固くなった。


ヴェイル隊長は、地図から顔を上げなかった。


「一人ならな。兵の列は渡れない。浅瀬の東の岸には、二十人置いてある。古い戦記にある、目印の柱の跡にな。それで足りる」


ブラントは、それ以上言わなかった。


   *


その晩、俺は丘の天幕で、『灰川合戦記』の写しを開いた。


覚えていることは分かっている。それでも頁をめくった。


四十年前、西の国の兵は、灰川の浅瀬を渡ってきた。橋は守りが固かったから、下流へ回った。浅瀬の目印の石の柱を目当てに、夜明け前に。


その柱は、三十年前の大水で流れた。マルタがそう言った。


流れたあと、浅瀬がどこにあるのかを知っているのは、川のそばに住んでいる者だけだ。


隊長の二十人は、四十年前の紙に書いてある場所を守っている。もうない柱の跡を。


「あの夜、何もないところを渡ったやつがいた」


マルタの声を思い出した。


兄貴は、浅瀬の場所を知っていた。誰に教わったのか。


葦辺の者だ。


それなら、西の国の斥候も、浅瀬の場所を知る方法は一つしかない。葦辺の者に訊く。訊いて答えなければ、答えるまで訊く。


葦辺は、川の西にある。


俺は天幕を出た。


   *


砦の門の前で、ヴェイル隊長の従士に止められた。用件を言うと、しばらく待たされて、それから隊長の部屋に通された。


ヴェイル隊長は、蝋燭の下で書き物をしていた。


「葦辺の者を、東の岸へ移してください」


俺は言った。


「西の国の斥候が浅瀬を探すなら、葦辺の者に訊きます。斥候が来るのは、浅瀬の場所を知るためです。英雄の旗を見るためじゃない」


ヴェイル隊長は、筆を置いた。


「版元。お前は、戦記を何冊写した」


「二百冊は」


「戦に出たことは」


「ありません」


「なら、一つ教えてやる」


ヴェイル隊長の声は、広間のときと同じで、穏やかだった。


「葦辺は、川の西だ。川の西は、持ち場ではない。持ち場でない場所に兵を出せば、兵が戻れなくなる。戻れない兵は、死ぬ」


隊長は、蝋燭の火を見た。


「俺は一度、それを見ている」


俺は、何も言えなかった。


この男は、五の隊のことを言っているのだ。橋の向こうに置いてきた隊のことを。置いてきたことを、悔いている声ではなかった。正しかったと、確かめている声だった。


「英雄殿の兵は、丘から動かすな。旗は動かないことに意味がある。それが、英雄殿の持ち場だ」


ヴェイル隊長は、また筆を取った。


「下がれ」


   *


丘に戻ると、グレンとダグが、旗の下で火に当たっていた。トマが、薪をくべていた。


俺は、隊長の部屋でのことを話した。


ダグは、火を見たまま唾を吐いた。


「同じだ。一年半前と、一字も変わらねえ」


グレンは黙って聞いていた。それから、川の向こうを見た。


葦辺の屋根は、もう暗くて見えなかった。


「あの婆さんの舟は、まだ東の岸につないであるのか」


「この時期は、西の岸だと言ってた」と俺は言った。「村の者が、舟で薪を運ぶから」


「なら、婆さんは逃げられない」


グレンは、膝の上で指を組んだ。


「持ち場か」


誰に言ったのでもない声だった。


ダグが、グレンを見た。何か言いかけて、やめた。言えば、グレンを動かすことになる。逃げたら、ばらすと言った男が、持ち場を離れろとは言えない。


俺も、何も言わなかった。


丘から動くな、と隊長は言った。動けば、英雄は持ち場を離れたことになる。兄貴と同じ罪になる。偽物の英雄が、持ち場を離れたかどで裁かれれば、伝記も、兄貴の名前も、一緒に終わる。


それを、俺は分かっていた。


分かっていて、何も言わなかった。言わないことで、グレンに決めさせようとしていた。


自分で、それが分かった。


夜半を過ぎたころ、トマが立ち上がった。


「英雄殿」


トマは、川の西を指さしていた。


葦辺のあたりに、赤い光が一つ見えた。


それから、二つになった。三つになった。


火だった。


屋根が、燃えていた。


(第12話 了)

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