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英雄を作る ~兄の汚名のために書いた嘘の英雄伝、領主に本人を連れてこいと言われたので詐欺師を雇いました~  作者: 久賀ラトル


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第11話 古参兵は、英雄を殴る

グレンは、柵の前まで歩いていった。


急がなかった。酒場で大男の卓に歩いていったときと同じ歩き方だった。義勇兵たちが、天幕の間から道を空けた。トマが後ろからついてこようとして、グレンに手で止められた。


男は、グレンより頭半分大きかった。日に焼けた顔に、古い刀傷が一本走っていた。


「あんたが英雄か」


「そう呼ばれてる」


「どこにいた。あの晩」


「橋の西だ。雇われの一隊でな」


グレンは、宿で言ったのと同じことを言った。


男の顔が歪んだ。


「橋の西にいたのは、五の隊だけだ。俺は東の袂で、オルドの横にいた。一晩じゅうな」


男の拳が動いた。


グレンは避けなかった。避けられなかったのか、避けなかったのか、俺には分からなかった。拳はグレンの頬に入って、グレンの首が横を向いた。


義勇兵たちが声を上げて、何人かが駆け寄った。


「手を出すな」


グレンは、横を向いたまま言った。それから、ゆっくり顔を戻した。口の端が切れて、血が顎に垂れていた。膝は、曲がらなかった。肋を折った男が、立ったまま殴られて、立ったままだった。


「気が済んだか」


「済まねえ」


男は拳を下ろさなかった。


「済まねえが、二度目は殴らねえ。殴っても、あんたは本当のことを言わねえ顔をしてる」


   *


俺は男を、厩の裏へ連れていった。


義勇兵たちには聞かせられなかった。男も、それを分かっていたらしい。黙ってついてきた。右脚を引きずっていた。


「ダグさん、ですね。二の隊の、オルドの十人隊の」


男は俺を見た。


「名簿を見たのか」


「負傷により除隊。退き戦の七日後」


「負傷か」


ダグは右の膝を叩いた。


「裁きの前の晩に、こいつを樫の棒で折られた。口をきく前にな」


「……俺は、オルドの弟です」


ダグは、しばらく黙って俺の顔を見ていた。


「似てねえな」


「よく言われました」


「あいつは、もっと笑ってた」


ダグは厩の壁に背中をつけて、ずるずると座った。脚を伸ばすとき、顔をしかめた。


「何があったか、聞きたいんだろう」


「聞きたい」


「いいだろう。紙には書くなよ」


ダグは話し始めた。


あの晩、殿の隊は灰川の橋の東の袂を守っていた。夜半を過ぎて、隊長から伝令が来た。橋を焼け、と。


「オルドは、焼かなかった。五の隊がまだ西にいる。明け方までには戻る。それまで焼くな、と言って、松明を持った兵を橋から下がらせた」


一刻ほどして、もう一度伝令が来た。今度は、隊長の従士が自分で来た。油の樽を積んだ荷車と一緒に。


「オルドは、もう一度、焼くなと言った。従士は聞かなかった。隊長の命令だ、とだけ言った。油がまかれて、火がつけられた。俺たちは、見てるしかなかった」


橋が燃え落ちるのを見たあと、兄貴はダグに言ったという。


隊を頼む、と。


「それから、一人で下流へ歩いていった。何をしに行くのか、言わなかった。俺も訊かなかった。訊かなくても、分かった」


ダグは、膝の上で拳を握った。


「裁きの場で、俺は言うつもりだった。オルドは焼くなと言った。橋を焼いたのは隊長の命令だ。五の隊は、焼かれた橋の向こうに置いていかれた。そう言うつもりだった。だから、前の晩に脚を折られた」


「誰に」


「暗かった」


ダグは、それ以上言わなかった。


「なぜ、今になって来たんですか」


ダグは、腰の袋から、手垢で黒くなった紙の束を出した。『鴉の口のグレン』の写しだった。誰かが写した写しの、また写しだ。字が下手で、ところどころ抜けていた。


「南の宿場の酒場で、こいつを読み上げてるのを聞いた。副官オルド。英雄の密命で戦列を離れた、ってな」


ダグは、紙の束を俺の胸に押しつけた。


「オルドに命令したやつなんか、いねえ。隊長は焼けと言った。あいつは、焼くなと言った。誰の命令でもなく、自分で決めて、自分で川を渡った。それを、どこの馬の骨とも分からねえ英雄の手柄にしやがって」


俺は、紙の束を受け取った。


自分の書いた文章だった。


英雄の密命で、副官は戦列を離れた。一年前、俺はそう書いた。兄貴が逃げたのではないと言うために。兄貴を守るために。


その一行が、兄貴が自分で決めたことを、他人の命令にしていた。


「……第二巻に、あなたのことを書きます」


俺は言った。


「東の袂で、副官の横にいた兵として。橋を焼くなと言った副官を、最後まで見ていた兵として」


ダグは笑った。笑い方は、兄貴とは似ていなかった。


「嘘の中に入りたくねえ」


「嘘じゃない部分を」


「嘘の本の中に書かれりゃ、全部嘘になる。お前の英雄が偽物だってばれた日に、俺の話も一緒に燃やされる」


ダグは膝を押さえて、立ち上がった。


「お前の兄貴の本当を書け。英雄の話じゃなくてな」


「書けません。今は」


「なら、俺が言う。あの英雄は偽物だ。牧草地の真ん中でな」


   *


「言えばいい」


厩の角から、グレンが出てきた。顎に濡れた布を当てていた。いつから聞いていたのか、分からなかった。


「いつでも言える。今日でも、明日でも」


ダグはグレンをにらんだ。


「だが、今日言えば、明日の朝には二百人の義勇兵の半分が村へ帰る。英雄が偽物なら、命を張る理由がない」


グレンは布を顎から離した。血は止まっていた。


「春に、西の国が来る。灰川を越えてな。そのとき、川を守る兵が足りない」


ダグは何も言わなかった。


「あんたの十人長が一晩かけて渡った川を、今度は敵が渡る。それで、あんたの気は済むのか」


長い沈黙があった。厩の中で、馬が一頭、鼻を鳴らした。


「……条件がある」


ダグが言った。


「お前を、伝記に恥じねえ男にしてやる。剣は今さら覚えなくていい。兵の前に立つやり方を教える。逃げたら、その日にばらす」


グレンは、厩の角の向こうを見た。


トマが立っていた。俺たちの話を、全部聞いていたらしい。布を巻いた手を、胸の前で握っていた。


グレンは、トマから目を離さないまま言った。


「受けた」


   *


翌日から、ダグは牧草地にいた。


グレンに剣は持たせなかった。代わりに、牧草地の真ん中に丸太を一本渡して、その上に立たせた。


「橋の上に立つ指揮官はな、前を見るんじゃねえ。後ろを見るんだ。後ろの兵が、自分の顔を見てる。お前が顔を動かしたら、兵は逃げる」


グレンは丸太の上で、何度も足を滑らせた。そのたびに、義勇兵たちが笑った。グレンも笑った。笑って、また上った。


俺は柵にもたれて、それを見ていた。


ダグの話は本当だ。隊長が橋を焼かせ、兄貴は焼くなと言った。


けれど、ダグは脚を折られて除隊した兵だ。名簿には、負傷と書いてある。隊長の署名で。


隊長の署名と、脚の悪い元兵士の言葉。どちらが信じられるか、この国の者なら誰でも知っている。


夕方、城から使いが来た。


出陣は、十日後。西の灰川の砦へ。


ヴェイル隊長の隊の下に、英雄の義勇兵が入る。


(第11話 了)

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