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英雄を作る ~兄の汚名のために書いた嘘の英雄伝、領主に本人を連れてこいと言われたので詐欺師を雇いました~  作者: 久賀ラトル


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10/22

第10話 書記は、名簿を読ませる

書庫の屋根が漏る、とミーレがこぼしたのは、コルムが来た日の夕方だった。


「北の棚の、二十年前からの出納の帳面です。去年の長雨で、下の三段が濡れました。乾かしましたが、墨が流れかけています。写し直さなければ、来年には読めなくなります」


「誰が写す」


「私です」


ミーレは、俺の書いた頁に日付を書きこみながら言った。


「書記は私を入れて三人。二人は税の帳面で手一杯です。私一人で、一日に写せるのは二十枚。北の棚は、全部で四千枚あります」


「一日に、百枚」


ミーレが顔を上げた。


「俺なら、一日に百枚写せる。字は今の帳面と同じ書体にする。間違えない」


「代わりに、何をお望みですか」


ミーレは、俺が何か望んでいることを疑わなかった。


「西の退き戦の、兵の名簿を見たい」


「名簿は封じられておりません」


「知ってる。だから、頼んでる」


ミーレはしばらく黙っていた。


「封じた記録は、お見せできません。閣下のお許しがなければ」


「封じた記録は、いい」


「それと、もう一つ」


「何だ」


「処刑された兵の持ち物の箱が、書庫にあるはずだ。見るだけでいい」


ミーレは筆を置いた。


「一年前、窓口で、私はあなたの嘆願書を受け取りませんでした」


「覚えてる」


「規則だったからです。封じられた記録に関わる嘆願は、受け取ってはならない。私はそれを守りました」


ミーレは、俺の目をまっすぐ見た。


「今も、規則は守ります。名簿と、持ち物の箱は、規則で禁じられておりません。北の棚を写していただけるなら、お見せします。ただし、私の立ち会いで」


   *


書庫は、中庭の奥の石の建物だった。


前にブラントが入っていくのを、外から見ていた。中に入るのは初めてだった。乾いた紙と、黴と、古い蝋の匂いがした。天井まで棚があって、梯子が二つ掛けてあった。


俺は二日で、北の棚の濡れた帳面を百八十枚写した。ミーレは、一枚ずつ元の帳面と照らし合わせた。間違いは、一つもなかった。


三日目の朝、ミーレは何も言わずに、西の棚から綴じた名簿を一冊抜いて、俺の前に置いた。


退き戦の、殿の隊の名簿だった。


一の隊から、六の隊まで。各隊の十人長の名前と、その下の兵の名前。最後に、隊長の署名。


ヴェイル。


兄貴の名前は、二の隊の下の、十人長の欄にあった。


『オルド 十人長 持ち場放棄にて捕縛。のち処刑』


そこだけ、墨の色が違った。後から書き足したのだ。


同じ十人隊の兵の名前を、指でたどった。九人。そのうちの一人の欄に、『ダグ 負傷により除隊』とあった。日付は、退き戦の七日後だった。


五の隊の頁を開いた。


二十三の名前が並んでいた。名前の横に、全部、同じ言葉が書いてあった。


『戦死』


二十三回、同じ筆で。


日付は、退き戦の翌朝だった。


翌朝。兄貴が浅瀬で捕まったのと、同じ朝だ。マルタの話では、その朝、十一人はまだ川沿いを南へ歩いていた。


誰かが、確かめもしないで、二十三人を死んだことにした。橋の向こうに置いてきた隊の全員を、一晩で紙の上から消した。


「この署名は、隊長の手か」


「隊長殿の手です」とミーレは言った。「戦の名簿は、隊長が書いて署名する決まりです」


俺は頁を閉じた。


決まりどおりの紙だった。決まりどおりに、嘘が書いてあった。


   *


持ち物の箱は、地下の棚にあった。


腕で抱えられるくらいの木箱で、蓋に『処刑者オルド 遺品 一箱』と札が貼ってあった。


ミーレが、箱の脇に吊るした札の束をめくった。


「受け入れのときの目録です。毛布一枚。木の匙一本。砥石一つ。帯一本。覚え帳一冊」


蓋を開けた。


毛布。匙。砥石。帯。


それだけだった。


兄貴の毛布は、家で使っていたものだった。母親が生きていたころに織った、青い縞の毛布。俺は手を伸ばしかけて、やめた。触れば、何か崩れる気がした。


「覚え帳がない」


ミーレの声が、少し高くなった。


ミーレは札の束を、もう一度めくった。いちばん後ろに、別の紙が一枚綴じてあった。


「貸し出しの記録です」


ミーレの指が、一行の上で止まった。


『先月十日。閣下のお許しにより、ヴェイル家家令コルム殿へ貸出。同十三日、返却』


その下に、領主様の印が押してあった。


「返却のとき、中身を照らし合わせた記録が、ありません」


ミーレは、自分の書いた字でも読むように、その一行を見ていた。


「誰が受け取ったんだ」


「……私ではありません。その日は、税の帳面の締めで」


コルムは、兄貴の字の書いてあるものを買い集めていた。馬方のところにも行った。そして、書庫の箱まで、領主様の許しを得て借りていった。


兵の覚え帳には、十人長が毎日の持ち場と、兵の数と、受けた命令を書く。兄貴の覚え帳には、あの夜のことが書いてあったはずだ。橋をいつ焼けと言われたか。誰が言ったか。


それが、もうない。


ミーレは、札の束の最後の余白に、自分の筆で書き足した。


『覚え帳一冊、不在。返却時の照合なし』


日付と、自分の名前を添えた。


「記録と中身が違うなら、違うと書かなければなりません」とミーレは言った。「それが、書記の仕事です」


俺は箱の蓋を閉めた。


領主様は、ヴェイル家に箱を貸した。中身が消えることを、知っていたのか、知らなかったのか。


どちらにしても、あの印は、本物だった。


   *


その日の夕方、牧草地へ下りた。


義勇兵は村ごとに分けられて、天幕の前で飯を炊いていた。グレンが分けたのだ。同じ村の者を同じ天幕に入れると、喧嘩が減って、夜逃げも減る、と言っていた。


トマが、左手に布を巻いて、グレンの後ろをついて歩いていた。槍は握れない。代わりに、グレンの伝令になったらしい。天幕から天幕へ、走って言葉を運ぶ。


「足だけは速いんだ」とグレンが言った。俺のほうは見なかった。


坂でのことがあってから、俺たちは用のある話しかしていなかった。


「名簿を見た」と俺は言った。「五の隊は、退き戦の翌朝に全員戦死になってる。ヴェイルの署名でだ」


グレンは、ようやく俺を見た。


「翌朝か」


「翌朝だ」


「死んだのを確かめる暇も、なかった朝だな」


それから、グレンは何か言いかけた。


そのとき、牧草地の入口のほうで、怒鳴り声が上がった。


「英雄はどこだ!」


天幕の間から、義勇兵たちが顔を出した。


入口の柵の前に、男が一人立っていた。白髪まじりの、肩の広い男だった。右脚を少し引きずっていた。止めようとした義勇兵の腕を、片手で払いのけた。


「あの英雄は、誰だ」


男は、牧草地じゅうに聞こえる声で言った。


「俺はオルドの十人隊にいた。あの退き戦に、グレンなんて男はいなかった」


(第10話 了)

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