第12話 「知ってますか?百合って1種類じゃないんですよ」絶壁を砕く、奇跡のダブル百合空間
畳に顔を押し付けられ、俺はギリッと歯を食いしばった。
屈強なSPの腕が俺の首根っこと背中を押さえつけ、ピクリとも動けない。
「やめろ……離せっ!」
「いいからやっちまえ! そいつをつまみ出せ!」
見合い相手の資産家が唾を飛ばしてわめく。
雫さんの百合波動が俺への恋心(狂信)に上書きされてしまったことで、俺の【ユリ・レゾナンス・プレッシャー】は完全に霧散していた。ただの総務部平社員の筋力では、プロの巨漢たちに敵うはずもない。
(くそっ……俺の壁としての使命は、ここで終わるのか……?)
絶望が脳裏をよぎった、その瞬間だった。
「そこまでになさい」
凛とした、冷徹で透き通るような声が、騒然とした個室に響き渡った。
全員の動きがピタリと止まる。
開け放たれた襖の向こう。そこには、完璧な仕立てのスーツを纏った氷室社長と、優雅なドレス姿の篠宮さんが立っていた。
「相馬くん、事後報告一つ入れずに単独で飛び出していくなんて……私たちを置いていく壁は減点ですよ」
篠宮さんが呆れたように、しかしどこか安堵したように息を吐く。
「お、お姉ちゃん……!」
雫さんが弾かれたように顔を上げる。
篠宮さんは、激怒する資産家やSPたち、そして実家の両親の存在すらも完全にガン無視して、一直線に妹の元へと駆け寄った。
「ごめんね、雫。お姉ちゃんが気づくのが遅くて……1人で抱え込ませて、本当にごめんなさい」
「お姉ちゃん……私、お姉ちゃんのためなら自分を殺してもよかった……! お姉ちゃんが社長さんと幸せに笑ってくれるなら、それでよかったのに……っ!」
雫さんが篠宮さんの胸に顔をうずめ、「すぅぅぅぅぅぅ……っ!」と限界まで息を吸い込む。
「ああ……お姉ちゃんの成分……。私の乾ききった肺胞に直接染み込んでくる……っ。やっぱり私、お姉ちゃんの呼気を吸い続けないと生きていけない体質なんだ……一生、お姉ちゃんのテラリウムの中で養分として飼育されたい……っ!」
一般的には完全にドン引きレベルの気持ち悪いクソデカシスコン感情。だが、篠宮さんはそれに一切引くことなく、愛おしそうに妹の背中を撫でてきつく抱きしめ返した。
「ええ。あなたは一生、私の可愛い妹よ。誰にも渡さないわ」
その瞬間だった。俺の百合センサーが、爆発的なシグナルを受信した。
(こ、これは……!!)
極上の【百合姉妹の波動】。
狂信的なまでの妹のシスコン感情と、それすらもすべて受容する姉の重たい愛情が共鳴し、目に見えない光の柱となって立ち上る。
だが、奇跡はそれだけでは終わらない。
ゆっくりと歩み寄った氷室社長が、涙ぐむ篠宮さんの華奢な肩を、背後から優しく、けれど力強く抱き寄せたのだ。
「もう1人で背負う必要はないわ、澪。あなたの愛する家族も、私が――私たちが守るのだから」
「凛花……」
篠宮さんが振り返り、氷室社長と熱い視線を交わす。
互いの家族の人生すらも共に背負い合う覚悟。それは主従関係という枠を完全に凌駕した、実質的な『魂の夫婦』としての特大の感情だった。
2人の思いが激しくぶつかり合い、今度は極上の【百合夫婦の波動】が部屋の中心で発生した。
(な、なんだこの異常な空間は……ッ!?)
SPに組み伏せられたまま、俺は目を剥いた。
百合姉妹の尊さと、百合夫婦の尊さ。本来なら別々に味わうべき二つの特大波動が、部屋のど真ん中でマーブル状に混ざり合い、致死量を超える前代未聞の『ダブル百合空間』を形成していく。
「う……う、うおおおおおおおおっ!!」
俺の身体が、勝手に熱を帯びて跳ねた。
空を覆うほどのダブル百合波動が、床に押さえつけられている俺の身体へとダイレクトに降り注ぐ。
(奇跡のダブル・ユニゾン……!! 乾ききった細胞に、致死量の百合が供給されていくゥゥゥ!!)
失われていた力が、過去最大の出力となって俺の奥底から噴き出した。
――【ユリ・レゾナンス・プレッシャー】、限界突破。
「なっ……なんだこいつ、急に力が!?」
俺を押さえつけていたSPたちが、まるで弾き飛ばされるように手を離して後ずさった。
俺はゆっくりと立ち上がる。もはや小細工は不要。全身から立ち上る純度200%の百合オーラだけで、部屋の空気がビリビリと震えていた。
「この神聖な空間を汚すノイズは、俺が排除する」
俺は、震え上がる見合い相手の資産家を真っ直ぐに指差した。
限界突破した俺の百合センサーは、膨大なエネルギーの副作用として新たな機能に目覚めていた。純潔な百合空間を脅かす外敵の邪悪な感情を、悪臭として嗅ぎ分ける【百合阻害因子探知機能】だ。
「貴様から鼻をつく不純な悪臭がするぞ! 『女は金と権力で従う』という軽薄な見下し、そして『あわよくば姉妹まとめて愛人にしてやろう』というドロドロしたゲスな欲望……! その薄汚れた魂で、尊き百合の花に触れようなどと一万年早い!!」
「なっ!? なぜそれを……!」
客観的な証拠など何一つない、センサーの受信結果をそのまま叫んだだけだ。だが、男の顔面が一瞬にして土気色になったことが、覚醒した探知機能の恐るべき精度を証明していた。
「ひぃっ……!」
俺の放つ壁としての異常な覇気と、隠し事を暴かれた恐怖に耐えきれず、男は腰を抜かしたまま逃げるように部屋から転がり出していった。SPたちも慌ててその後を追う。
残されたのは、呆然とする雫さんの両親だけだ。
「な、なんだあの男は……! しかし、お前たちが縁談を壊したせいで、我が篠宮家の経営は終わりだぞ!」
父親が青筋を立てて怒鳴る。
すると氷室社長が、ふっと冷酷で美しい笑みを浮かべた。
「澪を育てた実家ごと、私が買い取ってあげるわ」
「な、なんだと!?」
「我が氷室グループの傘下に入りなさい。澪の大切な故郷は、愛する澪のプライベートガーデンとして私が保護する。その代わり、今後一切、澪と雫の自由に口を出すことは許さない」
それは、ビジネスの論理を完全に無視した、圧倒的な財力による『愛する秘書への極大の百合的エゴ』だった。
有無を言わさぬ真の百合の強者の前で、両親もついにひれ伏し、沈黙する。
そしてなぜか、先ほどまで無双していたはずの俺も、両親の隣に並んで深々と平伏(土下座)していた。
(なんというスケール……あまりにも美しき百合の覇王……! 尊すぎる……!)
俺はただの壁であることを忘れ、1人の熱烈な信徒として畳に額を擦りつけていた。
---
すべてが終わり、俺たちは4人で夜のホテルを出た。
夜風が心地よい。俺は壁としての使命を完璧に全うし、至福の疲労感に包まれていた。
「師匠……」
不意に、右腕に柔らかい感触が押し付けられた。
見ると、雫さんが両手で俺の腕にぴったりと抱きつき、うっとりとした乙女の顔で俺を見上げている。
「師匠、最高にかっこよかったです。わたし、一生ついていきます……」
「え? あ、いや、俺はただの壁だから……」
困惑する俺。だが、本当に恐ろしいのはここからだった。
ピリッ、と。
背後から、氷室社長と篠宮さんの気配が変わるのを感じた。それは以前の修羅場で見せたような、完璧に息の合ったシンクロナイズド・カモフラージュ……いや、もっと重たい『共有の独占欲』だ。
「あら、雫ちゃん。悠真は少し疲れているみたいなの。ほら、離れて」
氷室社長が、有無を言わさぬ笑顔で俺の左側に立ち、すっと腕を絡ませてくる。
「ええ。それに、彼は『私たちの』大切な夫ですから。いくら可愛い妹でも、抜け駆けは許しませんよ」
篠宮さんが社長と完璧に息を合わせるように俺の右側に回り込み、雫さんから俺を引き剥がすようにシャツの袖をギュッと掴む。
(ああ……)
俺を中央に挟み、強固なスクラム(絶対領域)を組んで妹を牽制する氷室社長と篠宮さん。
俺は、その完璧な包囲網の中で幸せに目を細めた。
(『私たちの』……なんと尊い響きだ。俺という壁を共有財産として扱うことで、お2人がどれほど『一心同体』であるかを妹に見せつけているのか……! 息の合った完璧な百合的マウント。俺という小道具をダシにして愛を確認し合うなんて、やはりこの百合夫婦の結束は最高だな……)
尊き百合を見守る俺の『壁としての矜持』は、最後まで一切ブレることはなかった。
かくして、強烈な感情を抱えた雫さんという特大の火種(襲来者)を新たに抱えながら、俺たちのドタバタ同居生活はさらなる波乱の幕を開けるのだった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
「相馬の壁ムーブが面白い!」「ヒロイン達のすれ違いが尊い!」と少しでも楽しんでいただけましたら、
ぜひページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】を(★★★★★)にして評価で応援していただけると、作者のモチベーションが爆上がりします!
※本作はすでに全20話まで執筆済みです。毎日「朝7:00」と「夜19:00」の1日2回、完結まで毎日更新します。ぜひ明日もお待ちしております!




