シーズン2外伝・第2話:過去の影と、新しい絆の手ざわり
外伝・第2話をお読みいただき、ありがとうございます!
平和を取り戻した世界で、かつて加害者や被害者の立場にいた人々はどのように過去と向き合い、手を取り合っていくのか。
オルテア村を訪れた一人の「元・帝国の騎士」の姿を通して、再生への葛藤と希望を描く第2話をお楽しみください。
オルテア村の小さな広場では、夕暮れに近づくにつれて香ばしいスープの匂いが立ち込めていた。
今日は村の新しい畑で収穫されたばかりの根菜をふんだんに使った煮込み料理が振る舞われる日であり、住民たちは思い思いに木製のテーブルや椅子を並べ、楽しげなざわめきに包まれていた。
その賑わいから少し離れた村の端、井戸の近くに、見慣れない一人の男がたたずんでいた。
旅人用のくすんだ外套を羽織り、顔の半分を深いフードで覆っている。その足元には荷物を詰め込んだ古びた旅行鞄が置かれており、彼はじっと広場の様子を見つめていた。しかし、その背中にはどこか怯えの色が漂い、村の中へ足を踏み入れることを躊躇しているように見えた。
「――ねえ、あなた。そんなところで突っ立ってないで、スープをご馳走になっていったらどう?」
ふわりと掛けられた柔らかな声に、男はびくりと肩を揺らして振り返った。
そこに立っていたのは、銀の髪をきれいに結んだセレスティアだった。彼女の手には、湯気の立つスープが入った木製のボウルが乗せられている。その瞳には警戒の色はなく、ただ穏やかな気遣いだけが宿っていた。
「あ……いや、私は……その……」
男は慌ててフードを押し上げ、居住まいを正した。
その顔には生気を失ったような青白い肌と、深く刻まれた疲労の影があった。そして何より、彼の制服の名残である衣服の端には、かつて世界を恐怖に陥れた『大国アルカディア帝国』の紋章のステッチが、荒々しく糸切バサミで切り取られた跡として残っていた。
彼は元・帝国の近衛騎士だった男だった。
皇帝の命令に従い、国内の反逆者を抑え込み、他国から奪い取った生贄の管理を任されていた者の一人だった。帝国が崩壊し、宮殿が崩れ去ったあの夜、命からがら逃げ延びたものの、自分がしてきたことの重圧と罪悪感に耐えかねて、宛てのない旅を続けていたのだ。
「帝国の紋章、上手に消してあるわね」
セレスティアは男の洋服の裾をちらりと見て、静かに言った。その声には棘もなければ、怒りの感情すらなかった。
「でも、怯えなくてもいいわ。この村には、昔の身分も、国籍も、誰がどんな立場だったかなんて気にする人は誰もいないもの。ここにあるのは、ただ今日をどう生きるかという話だけよ」
「……私を、恨まないのですか?」
男の声は震えていた。彼はセレスティアの顔を直視できず、泥のついた地面に視線を落としたまま絞り出すように言った。
「私は……私はあのとき、帝国の命令のままに、あなたたちの国を踏み躙る手伝いをした……。直接剣を抜かなくとも、私はあの狂気に加担していた人間の一人だ。それなのに……どうしてそんなに平然と……」
男の脳裏には、ダマシテ王国がミステ王国を裏切り、帝国がその権力を笠に着て世界を蹂躙していた日々の記憶が焼き付いていた。自分が加害者だったという事実は、彼が新しい一歩を踏み出すための足枷となり、どこへ行っても糾弾される恐怖に怯えさせていた。
セレスティアは静かに息をつき、手元のスープのボウルを近くの切り株の上に置いた。
そして、真っ直ぐに男の目を捉えて、こう告げた。
「恨んでいなかったと言えば、嘘になるわ」
その率直な言葉に、男の体がビクッとこわばった。
「私たちの国は奪われ、多くの尊い命が失われた。あの絶望の淵にいたときは、あなたたちを恨み、呪うことだけで息をしていた時期もあったわ」
セレスティアは少しだけ目を細め、遠くの空に広がり始めた夕焼け雲を眺めた。
「でもね、あの終わりの日――すべての欺瞞が崩れ去り、世界が一度ゼロになったとき、私は気づいたの。憎しみに囚われ、誰かを断罪し続けることの無意味さにね。あのとき、世界を滅ぼそうとした『澱みの王』の正体は、まさに私たち人間が抱えていた『お互いを疑い、犠牲にし合うエゴ』そのものだったわ」
男は息を呑み、セレスティアの言葉に耳を傾けた。
「だからこそ、私たちはもう過去の亡霊に縛られて生きるのをやめたの。あなたがどんな過ちを犯したとしても、今日ここで生きているなら、あなたには新しく明日を選ぶ権利がある。……罪を背負うことは大切よ。でも、それに押し潰されて動けなくなるのは、あの世界を終わらせた者たちのやり方と同じだわ」
セレスティアの言葉は、男の胸の奥深くに染み入るように響いた。
彼がずっと恐れていたのは、過去の報復でも、怒りの声でもなかった。ただ、「自分には生きる資格がない」という絶望そのものだったのだと、その時初めて気づいた。
「……私は、これからどうすればいいのでしょうか」
男の目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ち、地面の泥を濡らした。それは、長い間張り詰めていた心がようやくほどけた音のようだった。
「まずは、その固い顔をほぐすことかしら」
セレスティアはふっと柔らかく微笑み、再びスープのボウルを手に取って男の前に差し出した。
「あそこの広場を見てごらんなさい。ルリエルが一生懸命にお皿を配っているわ。手伝いが必要な人は、いつだって大歓迎よ。――さあ、温かいうちに食べて」
男は震える両手でボウルを受け取り、湯気の向こう側で自分を温かく見守るセレスティアの姿を見た。
胸の奥で、何かが音を立てて溶けていくような気がした。
夜のとばりが降りる頃、オルテア村の広場には大きな焚き火が焚かれ、人々の一際賑やかな笑い声が響いていた。
その輪の中に、先ほどの男の姿もあった。最初はぎこちなく、村の子供たちにスープを配る手伝いをしていた彼だったが、ルリエルが差し出した笑顔に釣られるように、いつの間にか自然な表情を取り戻し、楽しそうに会話の輪に加わっていた。
少し離れた木陰から、その様子を眺めていたライルが、面白そうに口元を緩めた。
「おいおいお嬢、あいつは元・帝国の近衛騎士だぜ。村に入れたりして、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫よ」
セレスティアは両腕を組み、穏やかな笑みを浮かべたままで答えた。
「私たちはもう、誰かを疑い、切り捨てる必要のない世界に生きているのだから。過去がどうであれ、ここで共に生きようとする意志があるなら、誰もが私たちの仲間よ」
「はっ、相変わらず懐が深いこって」
ライルは肩をすくめながらも、どこか誇らしげな笑みを浮かべて愛用の剣の柄を軽く叩いた。
夜空には、すべてを優しく包み込むような満天の星が広がっていた。
かつてエゴと裏切りによって引き裂かれた世界は、名もなき村の小さな焚き火の温もりを通じて、確実に、そして静かに一つになり始めていたのだった。
シーズン2外伝・第2話をお読みいただき、ありがとうございます!
元・帝国の近衛騎士である男がオルテア村を訪れ、セレスティアの言葉によって過去の罪と向き合い、新しい一歩を踏み出す姿を描かせていただきました。
加害者も被害者も関係なく、誰もが自分の足で明日を選べる世界へと、世界はゆっくりと再生を続けています。
それでは、外伝・第3話でお会いしましょう!




