第35話「絶望の手」
## 第35話「絶望の手」
### 【あらすじ】
川田たちは生還した。
だが、妻の杏奈は帰らぬ人となった。
各々が、各々の喪失を抱えながら、次の朝が来る――
### 【本文】
翌朝。
川田が目覚めると、すでに起きていた真衣が、配給された朝食を小さなデスクの上に並べていた。
「おはようございます。川田さん」
体を起こすと、もぞもぞと、まだ寝ている澪が動いた。
「……寝かせてあげてください。昨日、かなり思い詰めてたみたいで」
「…………そうですか」
真衣は、ポットからマグカップへお湯を注ぐ。
「…………“おっさんに、酷いこと言っちゃった”って――」
「……え?」
川田は混乱した。
(澪が……? なぜそんなことを――)
記憶が混濁する川田は、必死に昨日のことを思い出す。
バンの荷台で、真衣と澪が、川田にかけた言葉は――
『……なに自分が一番不幸みたいな顔してんだよ――』
「……あ」
思い出した。
澪が、絶望する川田にかけた言葉。
「違う……あの言葉は、澪が怒るのは当然で……」
「澪の中では違ったみたいです」
川田は、ベッドの隅で丸まっている澪に目をやった。
その目は、泣き腫らしたように赤かった。
「…………澪」
「コーヒー、飲みますか?」
真衣は川田にコップを差し出した。
川田は黙ってそれを受け取る。
「パン、これ……どうぞ」
真衣はそう言いながら、自分の分を取って川田の隣に座った。
「…………奥さんのこと、残念です」
「…………」
「聞かせてくれませんか? なにがあったのか」
川田は、意を決して、昨日起こったことを、真衣に話した。
保護局に行き、ロボットと戦い、ジュニアに会ったこと。
一緒に子供たちが収容されているショッピングモールに行き、そこで、杏奈と再会したことまで。
「…………杏奈は、ロボットに撃たれていました。即死だっただろうと」
「……そう、ですか」
真衣のマグカップに、水滴が落ちた。
「私……ごめんなさい……川田さんの方が辛いのに、私が泣いてちゃ――」
真衣の目から、大粒の涙が落ちる。
「いえ……すみません。俺のためなんかに」
「そんなこと……言わないでください」
「…………もう、起きてしまったことですから」
「だって……川田さん、会った時からずっと――家族のために……また会うために……っ……これまで――」
「…………」
川田は、真衣の背中をさする。
「……本当は、私が川田さんを慰めなきゃいけない立場……ですよね。ごめんなさい」
「いえ……いいんです。こうやって……一緒に悲しんでくれる人がいるだけ、俺は幸せですよ」
川田は、一見立ち直ったような立ち居振る舞いを見せる。だが……それは見せかけだった。
「っ…………!」
真衣の背中をさする、その手は震えていた。
愛する妻を、目の前で失った男の、精一杯の強がり。
この場にいる真衣と、澪に心配をかけまいと、平常心を装っている。
◇◇◇◇◇◇
今朝、早朝のことだ。
配給を受け取りに、真衣が部屋を出た時、彼女は榊女医に呼び止められた。
「ねえ……あなた」
榊女医の表情は暗い。おそらく、昨日なにがあったのか聞いたのだろう。
「…………残念だわ。川田さんのこと、聞かせてもらった」
「……はい。そうですね」
「あの人……昨日、エレベーターホールの隅で、ずっと泣いてたの」
「……えっ?」
「声をかけようか迷ったけど、とてもそんな雰囲気じゃなかった」
「川田さん……」
「あの人……強い人ね。誰にも迷惑をかけないように、居住区から離れたところで――」
真衣の拳に力がこもる。
その時、自分が隣にいたら、川田を励ますことができただろうかという自問自答。
答えは、否。
真衣には、その資格がなかった。
「強い人だけど、だからこそ、人に話せないこともあると思うわ」
榊女医は言う。
「だから……無理しない範囲で、お話、聞いてあげて」
彼女はそう言い残し、真衣の前から去った。
◇◇◇◇◇◇
(私……ダメだな……話聞こうとしたのに、慰められちゃってる)
真衣は、平常心を取り戻そうとすればするほど、心を乱される。
家族との繋がりはとうに消え、自分の命すらも形を見失うほどの自分が、最愛の人を失った人に背中をさすられている。
真衣は、背中で、悲しみと、絶望に耐えている男の手を感じた。
その感触が、真衣の心をいっそう深く抉った。
「…………俺、どうしたらいいんでしょうね」
川田が口を開く。
「俺、杏奈のためにも、絶対に……千花を救い出したいってそう思うんです」
「でも、もう……それも怖いんです」
「今回みたいに……俺が千花を探せば、その分誰かに危険が及ぶ」
「そんな……」
「そうでしょう? 結果的に、俺が急がなければ、杏奈は死なずに済んだんです」
「それは違います!」
真衣が川田の方を向いた。
「……それは、違います。川田さんは、奥さんのために――家族のために行動したんです」
「…………そうでしょうか」
「どうして……そんなこと――」
その時。部屋の扉がノックされた。
「飯島だ。話がある」
「…………どうぞ」
川田が応える。
「早朝にすまない。盗み聞きしたわけじゃないが――」
扉を開けた飯島は、気まずそうに壁にもたれかかった。
「……真田さんの言う通りだ。自分を責めるな」
飯島はそう言いながら、部屋の様子を確認した。
「どういう……意味ですか」
「そのままの意味だ。お前が行かなくても、保護局襲撃自体は計画されていた」
「……そう……だったんですね」
「…………俺も、目の前で妻を失った。気持ちはわかる……とまでは言わんが、同情はさせてくれ」
「……お気遣いありがとうございます」
「……で、ここまでは俺の個人的な話だ。ここからは、俺の仕事の話」
飯島が、姿勢を正し、一歩前に出た。
「……ジュニアという男……マズイかもしれん」
川田と、真衣の表情が曇る。
ジュニアの身に何が――
ジュニアは、撤退車両が地下基地についてから、真っ先に姿を消した。川田にはそのことを気にする余裕がなかったが、今になって、彼の姿が強烈に思い出される。
何発も撃たれた跡が残っていたジュニア。
――最悪の予想が、川田の頭をよぎった。




