第5話:スクランブル発進! 西方鉄鋼砦へ
大陸同盟通信監視局から届いた、西方国境『鉄鋼砦』の陥落危機を告げる緊急救援要請(SOS)。
夜天守護騎士団本部の作戦司令室で、お菓子好きの少年総隊長ユリアスが下した冷徹な決断とは──!?
鳴り響くサイレン、緊迫する隊舎、そして初めての実戦に胸を高鳴らせるカナタ。
特務遊撃第7小隊、重装軍用馬車にて死の灰吹き荒れる荒野へスクランブル発進!
聖王都アストリアの威容を象徴する夜天守護騎士団本部──その最上階に位置する総隊長執務室は、眼下に広がる白亜の街並みと天蓋結界を一望できる、静謐な空間だった。
部屋の中央に置かれた重厚な黒檀の執務机の上には、うずたかく積まれた各防衛拠点の報告書。
その書類の山の隙間から、サクッ、と小気味よい音が響いていた。
「……ん、今日のピスタチオのマカロンは生地の焼き加減が素晴らしいね。クリームの甘みと香ばしさのバランスが絶妙だよ」
「ユリアス様!!」
甲高い叱責の声とともに、書類を束ねたバインダーが机の端を激しく叩いた。
仁王立ちし、涼やかで知的な切れ長の目を尖らせているのは、専属副官兼メイドのリーゼだ。
「執務中にまたつまみ食いですか! 西方防衛ラインへの備蓄資材承認書と、工廠からの魔導砲弾配分表、まだサインをいただいておりません! 早くペンを執ってください!」
「むぅ……リーゼは相変わらず手厳しいなぁ」
プラチナブロンドのさらさらとした前髪を揺らし、不満げに頬を膨らませたのは、華奢な身体つきの美少年だった。
年は十五、六歳ほど。陶器のように透き通った白い肌に、星の光を溶かし込んだような紫の星彩瞳。豪奢な夜天紺の総隊長軍服に身を包んだその姿は、一見すると名門貴族の箱入り息子そのものにしか見えない。
少年は指先についたマカロンの粉を上品にナプキンで拭いながら、紫の瞳を細めて微笑んだ。
「人間、思考を巡らせるには糖分が必須なんだよ? 特に僕のようなデリケートな頭脳労働者にはね」
「貴方様のどこがデリケートなのですか、人類最高戦力の頂点(第1席)が! ほら、サインを──」
リーゼが羽ペンを差し出した、まさにその瞬間だった。
──キィィィィィィィンッッ!!
壁一面に埋め込まれた真鍮の魔導通信盤が、けたたましい共鳴音とともに真紅の警告光を放った。
通信盤の水晶が激しく明滅し、大陸各地の電信を統括する『大陸同盟通信監視局』からの至急暗号コードが、ガタガタと印字機を狂ったように叩き始める。
執務室の空気が、瞬時に凍りついた。
リーゼの表情から小言の気配が吹き飛び、即座に通信盤へ駆け寄って印字テープを素早く読み解く。
「……っ! 大陸同盟通信監視局より緊急全軍打電! 西方国境防衛線・第3区『鉄鋼砦』より最高優先度の緊急救援要請(SOS)を受信! 局地的な白灰の暴風雨が発生、未登録の超巨大灰燼種を含む大軍勢によって外壁第1防衛区が突破されました!」
ユリアスの紫の瞳から、子供っぽさが完全に消え失せた。
すっ、と少年が立ち上がった瞬間──執務室全体を、肌が粟立つような絶対零度の覇気が支配した。
背後の空間がわずかに歪み、無数の星辰の光刃が虚空から垣間見えるほどの、圧倒的な質量を持つ魂の熱量。
人類最強の守護者、夜天守護騎士団・第1席──ユリアス・ヴァルハイトの真の姿だった。
「西方国境の『鉄鋼砦』か……」
ユリアスの冷徹な声が、静まり返った部屋に落ちる。
「あの外壁第1区を容易く突破するとなると、並の個体ではないね。観測された超巨大灰燼種……間違いなく『十二灰将』クラスの厄災だ」
「迎撃部隊の編成は如何いたしますか? 正規騎士団の第2大隊と第4大隊を動員すれば、三時間後には出撃可能ですが……」
「それでは遅い。到着する頃には鉄鋼砦は完全に陥落し、西方の防衛線は崩壊しているよ」
ユリアスは窓の外、遥か西方の空を見据え、迷いのない声で命を下した。
「正規部隊の出撃準備は継続させつつ、先行して即応性と突破力に長けた部隊を現地へ急行させる。……クロードの特務遊撃──第7小隊を出撃させろ」
「第7小隊……! しかしあそこには、今朝登録されたばかりの新兵がいるはずですが」
「あの黒炎なら、どんな死線からでも活路をこじ開けてみせるさ。それに……工廠の測定器の針をへし折ったというその新兵の白銀、どれほどのものか前線で試すには絶好の舞台じゃないか」
ユリアスはふっと口元に薄い笑みを浮かべ、机の上の書類へ流麗な筆跡でサインを叩きつけた。
「至急、第7小隊へスクランブル発進の特命を伝達。──急がせろ、一秒も無駄にするな」
「はっ!」
ウゥゥゥゥゥゥーーーーーーッッ!!
王都全域に鳴り響くサイレンと、外壁の重々しい鐘の音が反響する中、第7小隊の隊舎内は戦場さながらの緊迫感に包まれていた。
リビングの扉を蹴破るようにして戻ってきたカナタたちの足元で、無数の薬品瓶や弾薬箱が慌ただしく行き交う。
「フェリちゃん、徹甲魔導弾の予備マガジンは持ったかしら? シエルちゃん、煙幕と耐灰布の在庫は!?」
エレナがいつもの穏やかな笑みを引っ込め、てきぱきと指示を飛ばしていた。
豊満な胸元を革のハーネスで締め上げ、大型の耐灰医療トランクへ、高濃度灰化中和薬のガラスアンプルと清潔な包帯を猛烈な速度で詰め込んでいく。
「弾丸ならここにあるにゃ! 全弾、徹甲弾頭に換装済みだにゃ!」
ローテーブルの上に飛び乗ったフェリが、愛用の二丁拳銃をカチャカチャと目にも留まらぬ速さで組み上げ、マガジンを力任せに叩き込んだ。
青いショートヘアを激しく揺らし、青い三角耳をピンと立てて周囲の音を警戒している。お尻のあたりから伸びたふさふさの青い尻尾が、戦闘への高揚感と怒りで太く膨らみ、左右へ激しくビュンビュンと音を立てて揺れ動いていた。
「アタイたちのナワバリを荒らしに来た灰どもめ、蜂の巣にしてやるにゃ!」
「……準備完了」
壁の影から、銀白髪を高い位置でポニーテールに束ねたシエルが音もなく現れた。
夜天紺の忍び装束の袖口や太もものホルダーに、鋭利なクナイや影縫いの符を次々と滑り込ませていく。
「西方の天候、局地的灰嵐。視界不良、乱戦の可能性極めて高し。……新兵、逸れないように注意」
感情を押し殺した無機質な声。だが、ポニーテールの隙間から伸びた長いエルフ耳は、カナタの気配を敏感に察知して、ピコピコッと小刻みに震えていた。
「…………」
カナタは、リビングの片隅で立ち尽くしていた。
腰の刀帯に差した黒漆の太刀──『不知火』の柄に手を添える。
その指先が、微かに震えていた。
(実戦……)
脳裏に蘇るのは、昨夜の寒村の地獄絵図。
触れただけで肉体が白い灰へと崩れ去る理不尽な怪物たち。
自分を庇って胸を貫かれ、灰となって風に消えていった父ソウマの最期の顔。
心臓が早鐘のように鳴り響く。
今朝の鍛錬で、自らの意志で白銀の熱を引き出す感覚は確かに掴んだ。だが、ここは安全な訓練場ではない。一歩足を踏み外せば、命が紙屑のように消し飛ぶ本物の戦場なのだ。
自分のような木工見習いの新兵が、本当にあの怪物たちと戦えるのか。恐怖で足が竦みそうになる。
「……何を震えておるのじゃ、たわけが」
不意に、首元へ柔らかな温もりがぎゅっと押し当てられた。
コハクだ。
白銀の毛並みを持つ白狐が、カナタの首元にふかふかの尻尾を二重に巻きつけ、小さな前足でカナタの頬をペチペチと叩いた。
「案ずるなカナタ。妾がこうして首元を温めてやっておるのじゃ。妾の主たる者が、灰ごときの気配に怯えてどうする。そなたの白銀は、決して冷たい灰などに呑まれはせぬぞ」
「コハク……」
「そうですよ、カナタ君」
柔らかな足音とともに、エレナがカナタの前へと歩み寄ってきた。
ふわりと香る甘い薬草の匂い。エレナは慈愛に満ちた優しい瞳でカナタを見つめると、小さなガラス小瓶をカナタの胸ポケットへとそっと滑り込ませた。
「これは心を落ち着かせる精神安定の薬草水です。お守り代わりに持っていてください。……怖いのは当たり前です。でも、カナタ君は一人じゃありません。私たちが、絶対に背中を守りますからね」
「エレナさん……ありがとうございます」
仲間たちの温もりに触れ、カナタのこわばっていた肩の力が、すうっと抜けていくのを感じた。
「──行くぞ、お前ら!準備はできたか!」
ドスの利いた重低音がリビングに響き渡った。
武器庫の重い鉄扉を押し開けて現れたのは、重装の夜天紺ロングコートを羽織ったクロードだった。背中には、凶悪なまでの存在感を放つ漆黒の大太刀が斜めに背負われている。
その隻眼は、猛獣のように鋭く光り、戦場を前にした歴戦の剣士の気迫に満ちていた。
クロードの視線が、不知火の柄を握るカナタの手元へと落ちる。
大股で歩み寄ると、クロードの分厚い掌が、ドスッとカナタの背中を豪快に叩いた。
「ぐっ……!?」
「ビビってんのか、カナタ」
ニヤリと口元を歪めるクロードに、カナタは息を整え、真っ直ぐに師の隻眼を見つめ返した。
「……はい。怖くないと言ったら、嘘になります」
「へっ、上等だ!」
クロードは白い歯を見せて笑った。
「戦場で死ぬのが怖くねえ奴は、ただの命知らずの馬鹿だ。そういう奴から真っ先に灰になって消える。恐怖を知ってる奴だけが、生き残るために刃を研ぎ澄ませられるんだよ」
クロードはカナタの肩を力強く掴んだ。
「お前のその腰の太刀『不知火』と、今朝俺の黒炎を受け止めた白銀の熱を信じろ。親父さんから叩き込まれた薪割りの呼吸を忘れなきゃ、お前は絶対に死なねえ。……行くぞ、俺の可愛い弟子」
「……っ! はい、クロードさん!」
カナタの胸の奥底で、カチリと迷いが消え失せた。
恐怖は消えない。だが、それ以上に仲間たちと共に誰かを守りたいという熱い意志が、心臓の奥底で白銀の炎となって灯っていた。
「よし! 特務遊撃第7小隊、スクランブル発進だ! 馬車へ乗り込めッ!!」
隊舎裏の石造りの車庫から引き出されたのは、第7小隊専用の『特務重装軍用馬車』だった。
通常の民間馬車とは比較にならない巨大な車体。全面がドワーフ謹製の黒鉄耐灰装甲板で隙間なく覆われ、小窓には分厚い強化魔導ガラスが嵌め込まれている。
それを牽引するのは、胸元にアウラの光膜を纏った、筋肉質の四脚の巨馬四頭。蹄が石畳を蹴るたびに、重々しい火花が路上へと散った。
「第7小隊、乗り込めッ!舌噛まねえように奥歯噛み締めとけよ!」
クロードが御者台へと身軽に飛び乗り、太い革の手綱を両手で握り締めた。
「早く乗るにゃ、カナタ! 置いていくにゃ!」
フェリがカナタの腕を引っ張り、カナタ、エレナ、シエル、そして首元に巻きついたコハクが次々と客室へと飛び込む。
バタンッ!!
分厚い黒鉄のドアが閉まり、頑丈なカンヌキが落とされた。
──バチィィィィンッッ!!
クロードの鞭が、大気を切り裂いて巨馬たちの背に叩きつけられた。
ヒヒィィィンッ! とけたたましい嘶きとともに、四頭の巨馬が一斉に大地を蹴る。
ガガガガガッッ!!
重装馬車が地響きを立てて隊舎の木立を飛び出した!
馬車は石畳の路地を猛スピードで疾走し、王都のメインストリートへと突入する。
頭上では、緊急警報のサイレンがなおも鳴り響き、避難誘導を行う防衛兵たちが道を切り拓いていた。
目指すは、王都の西を塞ぐ巨大な外壁──三重の防護門だ。
『──緊急車両接近! 特務遊撃第7小隊、西方鉄鋼砦へスクランブル発進! 開門せよ、開門せよ──!!』
監視塔からの魔導拡声器の怒号が響き渡る。
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
大地を軋ませながら、まず第1の内郭防壁の巨大な鉄扉が持ち上がった。
馬車は速度を緩めることなく、その隙間をギリギリの高度で駆け抜ける。
続いて、鍛冶街『黒鉄区』を挟む第2の中郭防壁。ドワーフたちが槌を止め、火花が舞う中で拳を突き上げて第7小隊を見送る。
そして──最外郭、天を衝くような第3の重装甲主門が、轟音と共に左右へと開き放たれた。
──シュウウゥゥッ……!
主門をくぐり抜けた瞬間、耳元でパチパチと鳴っていた音が、プツリと途切れた。
聖王都アストリアを守護し続けていた、巨大な天蓋アウラ防護結界の境界線を越えたのだ。
窓の外の景色が、一変した。
そこに広がっていたのは──生命の色彩を完全に奪われた、荒涼たる白灰の死の世界だった。
木々は葉を落として白く風化し、大地は鉛色の砂塵に覆い尽くされている。
どんよりと重く垂れ込める灰色の空から、音もなく降り注ぐ無数の死の白灰。
馬車の分厚い装甲板に、チリチリと灰が当たる不気味な音が絶え間なく響いていた。
「……これが、結界の外……」
カナタが小窓から外を見つめ、息を呑む。
故郷の寒村を呑み込んだあの絶望の光景が、世界の果てまで果てしなく続いている。
「……安心しろ、小僧」
御者台の小窓が開き、風を浴びながらクロードが振り返った。
「ここから西方鉄鋼砦までは、この馬車の脚でぶっ飛ばしても丸一日かかる。道中、灰燼種の群れがうじゃうじゃ湧いて出るはずだ。……だが、俺たちが乗ってる限り、この馬車は絶対に止まらねえ」
クロードがニッと不敵に笑い、再び前方を睨み据える。
車内では、フェリが青い尻尾を抱えて座席に深く座り直し、シエルが目を閉じて精神統一に入り、エレナが静かに祈るように短杖を胸に抱いていた。
コハクはカナタの首元で、温かな体温を分け与えるように丸くなっている。
カナタは、腰の太刀『不知火』の鍔をそっと撫でた。
三日月の透かし彫りが、薄暗い車内で静かに光を返している。
遥か西方の地平線──国境の山脈の向こうには、黒煙と白灰が禍々しく渦を巻く巨大な嵐が見えていた。
孤立無援の中で助けを待つ、鉄鋼砦の兵士たちのもとへ。
特務遊撃第7小隊の、そして少年カナタの命を懸けた初陣が、今まさに幕を開けたのだった。
第5話をお読みいただき、本当にありがとうございました!
お菓子好きな美少年総隊長ユリアスの冷徹な決断、そして初陣の重圧に震えながらも仲間たちの温もりに支えられて覚悟を決めたカナタ。
特務遊撃第7小隊は、重装軍用馬車で死の灰吹き荒れる荒野へとスクランブル発進を果たしました!
第6話、過酷な荒野を爆走する車内で、少しずつ縮まるヒロインたちとの距離感!?
揺れる馬車の中でコハクがマフラー化し、エレナの特製スープが初陣の緊張を優しく解きほぐします!
どうぞお楽しみに!




