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ひろきの人生の寄り道  作者: こうた
第三章「越えてしまった境界線」

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第17話 孤独の言い訳

1 変わらない日常


病院での相談から、四日が過ぎた。


ひろきは、まなみと話す時間を少しずつ増やそうとしていた。


朝食のとき、学校であったことを聞く。


帰宅したとき、疲れていないか尋ねる。


寝る前には、明日の予定を確認するだけでなく、今日一日がどうだったのかを聞くようにした。


以前なら、仕事の話をして、食事を済ませ、互いにスマートフォンを眺めながら眠る。


そんな毎日だった。


今は違う。


少なくとも、ひろきは違うものにしようとしていた。


「今日、三年生の子が進路のことで相談に来たの」


夕食の後片付けをしながら、まなみが話した。


「就職するか、進学するかで迷ってるんだって。親は大学に行ってほしいみたいなんだけど、本人は早く働きたいらしくて」


「難しいな。親の気持ちもわかるし、本人の気持ちもあるし」


「そうなの。だから、どっちが正しいかじゃなくて、本人が何を大切にしたいのか、一緒に考えようって話した」


まなみは濡れた皿を布巾で拭きながら、少し笑った。


「私も、あの子くらいの年齢のときは、自分がどんな大人になるのかなんて、ちゃんと考えてなかったけどね」


「先生になりたかったんじゃないの?」


「なりたかったよ。でも、先生になったらなったで、思いどおりにならないことばかり」


そう言って、まなみは肩をすくめた。


「それでも、悪くない人生だと思えるようにはなってきたかな」


ひろきは、その言葉を聞いていた。


まなみは自分の人生を、もう一度考え始めている。


子どもを授かることだけを目標にするのではなく、教師として働き、自分の時間を持ち、夫婦としての生活を考え直そうとしている。


それは、ひろきが望んでいた変化でもあった。


なのに。


「そっか」


ひろきの返事は、それだけだった。


もっと話を聞けばよかった。


何が悪くない人生だと思わせてくれるのか。これから何をしたいのか。自分と一緒に、どんな未来を考えているのか。


尋ねたいことはあった。


けれど、ひろきは食卓の上に置いていたスマートフォンに目を落とした。


通知はない。


それを確認した自分に気づき、慌てて画面を伏せた。


まなみは気づかなかったのか、気づいていても何も言わなかったのか。


「ねえ、今度の日曜日なんだけど」


「うん?」


「久しぶりに友達と会ってこようと思うの。由美と、ほかの先生も何人か」


「いいんじゃない?」


「夕方には帰るね」


「ゆっくりしてきたらいいよ」


まなみは、ほっとしたように笑った。


「ありがとう」


その笑顔を見たとき、ひろきの胸に小さな寂しさが生まれた。


以前なら、まなみが休日に出かけると言えば、少しは自分との時間を作ってほしいと思ったかもしれない。


今は、まなみが自分の世界を取り戻そうとすることを、応援したいと思っている。


それなのに。


彼女が自分のいない場所で楽しそうにしている姿を想像すると、取り残されたような気持ちになった。


自分勝手だ。


わかっている。


まなみには、自分の人生がある。


自分が寂しいからといって、彼女の時間を独占する権利などない。


そう理解しているのに、心のどこかでは、こんなことを考えていた。


――俺のことも、もっと必要としてほしい。


その願いを、ひろきは口にしなかった。


口にすれば、まなみが何かを変えようとするだろう。


そして、その変化に自分が応えられるのか、わからなかった。


### 2 返事の遅い妻


翌日の夜。


ひろきが帰宅したのは、午後九時を過ぎてからだった。


仕事が長引いた。


現場との調整、書類の修正、上司への報告。


どれも特別な出来事ではない。


ただ、疲れていた。


玄関を開けると、まなみはリビングで学校の書類を整理していた。


「おかえり。遅かったね」


「うん。ちょっと仕事が立て込んで」


「ご飯、温める?」


「いや、もう食べてきたから大丈夫」


実際には、コンビニのおにぎりを二つ食べただけだった。


それでも、ひろきはそう答えた。


まなみは「わかった」と言って、書類に視線を戻した。


それだけだった。


ひろきは上着を脱ぎ、手を洗い、リビングのソファに座った。


テレビをつける。


何を見ているのか、自分でもよくわからなかった。


まなみは仕事をしている。


自分は疲れている。


話しかければ、彼女はきっと返事をしてくれる。


それでも、ひろきは話しかけなかった。


なぜなら、彼女から話しかけてほしかったからだ。


「今日は大変だった?」


「何か嫌なことでもあった?」


「疲れてるなら、少し話を聞こうか?」


そんな言葉を、待っていた。


しかし、まなみは書類をまとめると、明日の準備を始めた。


「私、先にお風呂入るね」


「ああ」


その背中を見ながら、ひろきは思った。


――まなみは、もう俺を必要としていないのかもしれない。


その考えは、事実ではなかった。


まなみは彼のために食事を用意し、帰宅を気にかけ、治療についても一緒に考えようとしている。


彼女なりに、夫婦の関係を立て直そうとしていた。


ただ、それはひろきが期待している形ではなかった。


ひろきは、誰かに自分の気持ちを察してほしかった。


何も説明しなくても、寂しさを見抜いてほしかった。


自分から求めるのではなく、相手から求められたかった。


そのほうが、ずっと楽だった。


そして、その願いがかなわないことを、ひろきはまなみの気持ちが離れた証拠にしようとしていた。


スマートフォンを手に取る。


連絡先の一覧を開く。


九条まさこ。


その名前を見つけた瞬間、ひろきの表情がわずかに変わった。


まさこと話しているときは、言葉を選びすぎなくてよかった。


自分の弱さを見せても、情けない男だと思われない気がした。


まさこもまた、誰にも言えない苦しさを抱えていた。


だからこそ、自分の言葉が届く。


自分が必要とされている。


ひろきは、その感覚を思い出していた。


けれど、同時に健吾の忠告も思い出した。


「必要とされることと、相手を幸せにすることは違う」


あのときは、確かにそうだと思った。


今も、そう思っている。


それなのに。


ひろきは、まさこの名前をタップした。


メッセージ画面が開く。


最後のやり取りは、数日前のものだった。


ひろきは文字を入力した。


『最近、どうですか?』


送信ボタンの上で、指が止まった。


何をしているのだろう。


まさこは、しんいちと向き合おうとしている。


自分も、まなみと向き合うと決めた。


それなのに、また別の場所に安らぎを求めようとしている。


ひろきは入力した文章を消した。


スマートフォンを伏せる。


これでいい。


そう思った。


けれど、数分後。


再びスマートフォンを手に取った。


今度は、別の文章を入力した。


『この前の話、その後どうなりましたか?』


自分のことではない。


まさこのことを気にかけているだけだ。


困っているなら、話を聞くくらいはいいだろう。


それに、以前から相談し合ってきた仲だ。


突然連絡を絶つほうが、かえって不自然ではないか。


ひろきは、いくつもの理由を並べた。


どれも、完全な嘘ではなかった。


だからこそ、厄介だった。


自分の欲望を正当化するために、事実の一部だけを拾い集めている。


そのことに、ひろきは気づいていた。


気づいていながら、送信ボタンを押した。


### 3 まさこの返事


九条家の寝室で、まさこは翌日の予定を確認していた。


しんいちは書斎にいる。


最近、彼は少しずつ変わろうとしていた。


以前なら、九条家の行事を優先し、まさこに予定を伝えるだけだった。


今は、彼女の都合を尋ねる。


通院の日程も、自分の仕事を調整して付き添うと言った。


不器用ではある。


何かを尋ねても、すぐに答えられないことがある。


それでも、まさこが話している間、以前より長く耳を傾けるようになった。


その変化を、まさこは認めていた。


けれど、長い年月で積み重なった寂しさが、数日の努力だけで消えるわけではない。


夫を信じ直したい気持ちと、今さら何を信じればいいのかわからない気持ち。


その両方があった。


スマートフォンが震えた。


画面には、ひろきの名前が表示されていた。


『この前の話、その後どうなりましたか?』


まさこは、しばらく画面を見つめた。


ひろきは、自分の話を聞いてくれた人だった。


九条家の妻でもなく、誰かの跡継ぎを産むための存在でもなく、ただの一人の人間として話を聞いてくれた。


あの時間があったからこそ、まさこは自分の気持ちをしんいちに伝えようと思えた。


だから、感謝していた。


ただ、ひろきと話すと、自分の心が少し軽くなる。


それは確かだった。


まさこは返信した。


『少しずつですが、夫と話しています。まだ不安はありますけど、前よりは話せるようになったと思います』


送信してから、少し迷った。


これで終わりにしてもよかった。


けれど、指はもう一度動いた。


『ひろきさんのほうは、どうですか? 奥様と話せましたか?』


送信する。


まさこはスマートフォンを置いた。


自分から尋ねたのは、ひろきのことが心配だったからだ。


それだけだと、まさこは思った。


しかし、返事が届くまでの間、何度も画面を確認してしまう自分がいた。


自分もまた、誰かから必要とされることを求めているのだろうか。


そう考えたとき、胸の奥に小さな痛みが生まれた。


しんいちに求めていたものを、別の男性との会話に見つけようとしている。


それが何を意味するのか、まさこにはまだわからなかった。


ただ、ひろきと話す時間が、自分にとって特別なものになり始めていることだけは、否定できなかった。


### 4 善意という逃げ道


ひろきは、まさこからの返信を読んだ。


夫と少しずつ話している。


前よりは話せるようになった。


それを読んで、ひろきは安心した。


本当に、安心したのだ。


まさこが夫と向き合い、少しでも穏やかに暮らせるようになるなら、それは喜ばしいことだった。


だが、その次の文章を読んだ瞬間、心が揺れた。


『ひろきさんのほうは、どうですか? 奥様と話せましたか?』


自分のことを気にかけてくれている。


その事実が、ひろきの心を温めた。


まなみとの会話では、感じられなかったものだった。


いや、正確には、まなみも自分のことを気にかけてくれている。


ただ、ひろきが求めているのは、まなみからの気遣いではなく、まさこからの特別な関心だった。


その違いを認めるのは、苦しかった。


ひろきは返信した。


『話はしています。でも、なかなか難しいですね。お互いに変わろうとしているんですけど、すぐに何かが変わるわけではなくて』


嘘ではない。


まなみと話しているのも、本当だ。


変わろうとしているのも、本当だ。


けれど、ひろきは書かなかった。


まなみが自分の人生を取り戻そうとしていること。


自分もまた、彼女の気持ちを聞こうとしていること。


そして、自分が今、まさこと話すことで満たされていること。


伝えた言葉のどれも間違ってはいない。


しかし、伝えなかったことの中に、自分にとって都合の悪い真実が隠れていた。


まさこから返信が届いた。


『そうですよね。長い時間をかけてできたものは、すぐには変わらないですよね』


そのあとに、もう一通。


『でも、ひろきさんが奥様と話そうとしていることは、大切だと思います』


ひろきは画面を見つめた。


まさこは、自分を責めていない。


むしろ、応援してくれている。


その優しさに、胸が痛んだ。


彼女は自分のことを、夫婦の問題に向き合おうとしている一人の男性だと思っているのかもしれない。


自分も、そうでありたい。


そうでありたいのに、まさことつながっていたいと思っている。


彼女に励まされたい。


彼女に自分の弱さを理解してほしい。


できることなら、これからも自分を特別な存在として見てほしい。


ひろきは、スマートフォンを握りしめた。


そして、返信した。


『ありがとうございます。まさこさんに話を聞いてもらえると、少し楽になります』


送信した直後、ひろきは息を止めた。


一線を越えるような言葉ではない。


好きだとも、会いたいとも言っていない。


しかし、それは相手に、自分の心の居場所を求める言葉だった。


まさこからの返信は、すぐには届かなかった。


その数分間が、ひろきには長く感じられた。


やがて、画面が光った。


『私も、ひろきさんと話していると、無理に強がらなくていい気がします』


ひろきは目を閉じた。


その言葉を、何度も読み返した。


自分だけではなかった。


まさこも同じように感じている。


そう思った瞬間、胸の奥で何かが動いた。


それが恋愛感情なのか。


孤独を埋めたいだけなのか。


自分を必要としてくれる人を失いたくないだけなのか。


ひろきには、まだ区別がつかなかった。


いや、区別をつけることを避けていたのかもしれない。


もし、それが単なる孤独なら。


もし、自分がまさこを求めているだけなら。


自分は、まなみと向き合う努力を途中で投げ出そうとしていることになる。


それを認めるのが怖かった。


だから、ひろきは自分に言い聞かせた。


――まだ何もしていない。


――ただ、話をしているだけだ。


――お互いに苦しい時期だから、支え合っているだけだ。


その言葉を繰り返すたび、ひろきの心は少しずつ軽くなった。


同時に、何かが少しずつ壊れていく気がした。


### 5 まなみの休日


日曜日。


まなみは、久しぶりに由美たちと食事をしていた。


職場の話、授業の話、生徒たちの進路の話。


何気ない会話に笑い、デザートを選び、帰りに小さな雑貨店をのぞいた。


特別なことは何もなかった。


それでも、まなみは楽しかった。


誰かの妻としてではなく、教師としてでもなく、ただの自分として過ごす時間。


ずっと欲しかったはずなのに、いつの間にか遠ざけていた時間だった。


「最近、少し顔色がよくなったね」


帰り道、由美が言った。


「そう?」


「うん。前は、いつも何かを我慢している感じだった」


まなみは苦笑した。


「我慢していたのかな」


「自分では気づいていなかったの?」


「たぶんね」


駅前の信号が赤になり、二人は足を止めた。


まなみは車道の向こうを見つめながら言った。


「私、子どもが欲しかったんだよね。今も、欲しい気持ちはある。でも、子どもがいない自分の人生を、ずっと失敗みたいに思っていた気がする」


由美は黙って聞いていた。


「治療を頑張れば、いつか報われると思っていた。でも、頑張れば必ず望んだ結果になるわけじゃないんだよね」


「うん」


「だから、最近は怖いんだ。治療をやめることも、続けることも。どっちを選んでも、後悔する気がして」


まなみは少し笑った。


「でも、後悔するかもしれないからって、何も決めずにいるのも違うのかなって」


信号が青に変わった。


二人は歩き出した。


「まなみが決めることだよ。旦那さんと一緒に考えることも大事だけど、まなみ自身がどうしたいかも大事だから」


「うん。そうだね」


まなみは頷いた。


ひろきと、これからどう暮らしていくのか。


治療を続けるのか、休むのか。


子どものいない人生をどう受け止めるのか。


まだ、答えは出ていない。


けれど、答えが出ていないことを、以前ほど恐れなくなっていた。


まなみは、自分の人生を自分で考え始めていた。


その頃、ひろきは自宅でスマートフォンを眺めていた。


まなみから、夕方にメッセージが届いていた。


『今から帰るね。今日は楽しかったよ』


ひろきは返信した。


『よかった。気をつけて帰ってきて』


短い文章だった。


まなみはすぐに返事をした。


『ありがとう。ひろきは何してた?』


ひろきは画面を見た。


何をしていたのか。


まさこと、メッセージを交わしていた。


ただ、それだけだ。


しかし、そのことを正直に伝える気にはなれなかった。


『テレビ見てたよ』


そう返信した。


まなみから、笑顔の絵文字が一つ届いた。


ひろきは、スマートフォンを伏せた。


嘘をついた。


大きな嘘ではない。


誰かと会ったわけでもない。


肉体関係を持ったわけでもない。


そう考えれば、たいしたことではないように思えた。


けれど、まなみが自分の人生を正直に考えようとしている一方で、自分は正直に話すことを避けていた。


その違いを、ひろきはわかっていた。


それでも、彼は自分の行動を止めなかった。


### 6 孤独は、免罪符ではない


その夜。


まなみは、寝室で翌日の授業の準備をしていた。


ひろきは隣に座り、彼女の横顔を見ていた。


「今日、楽しかった?」


「うん。久しぶりに、ゆっくり話せた」


「よかったな」


「うん」


まなみは書類をまとめて、ひろきのほうを向いた。


「ひろきも、たまには友達と出かけたら?」


「俺は別にいいよ」


「どうして?」


「いや、特に理由はないけど」


「私が出かけるのは、気にしなくていいからね」


ひろきは、少し驚いた。


まなみは続けた。


「最近、私たち、少しずつ話せるようになってきたでしょう。だからって、何でも一緒にしなきゃいけないわけじゃないと思うの」


「……そうだな」


「お互いに、自分の時間も大切にしたいよね」


まなみは穏やかに笑った。


その言葉に、ひろきは何も返せなかった。


まなみは彼を縛ろうとしていない。


自分の時間を持つことを認め、彼にも同じようにしてほしいと思っている。


それは、信頼の表れだった。


しかし、ひろきはその信頼に応えるどころか、まなみに隠し事をしていた。


「まなみ」


「なに?」


「……いや、何でもない」


本当は、話したかった。


自分が寂しいこと。


誰かに必要とされたいと思っていること。


まなみとの関係を立て直そうとしているのに、別の女性とのつながりを手放せないこと。


それを話せば、まなみは傷つくだろう。


だが、話さなければ、何も変わらない。


わかっていた。


それでも、ひろきは黙った。


まなみは少し首をかしげたあと、再び書類に目を落とした。


「疲れてるなら、今日は早く寝よう」


「うん」


明かりを消したあと、ひろきは天井を見つめていた。


まなみの寝息が聞こえる。


同じ部屋にいる。


同じ家に帰ってきた。


それなのに、自分は孤独だった。


その孤独は、確かに本物だった。


誰かに気持ちを理解してほしいと思うことも、抱きしめてほしいと思うことも、必要とされたいと思うことも、悪いことではない。


しかし、孤独だからといって、何をしても許されるわけではない。


寂しいから嘘をついていいわけではない。


理解してくれる人が現れたから、その人との関係を隠していいわけでもない。


ひろきは、そのことを理解していた。


理解していたからこそ、苦しかった。


自分が今、何を選ぼうとしているのか。


本当は、もう気づいていたのかもしれない。


それでも、ひろきは自分に言い訳を与え続けた。


――まだ、引き返せる。


――まだ、何も起きていない。


――ただ、もう少し話したいだけだ。


翌朝、出勤前にスマートフォンを確認すると、まさこから新しいメッセージが届いていた。


『昨日はありがとうございました。ひろきさんも、無理しないでくださいね』


ひろきは、その文章を読んだ。


そして、返信を打った。


『ありがとうございます。また、時間があるときに話せたら嬉しいです』


送信した。


画面には、送信済みの文字が表示されている。


たった一通のメッセージ。


会う約束さえしていない。


それでも、ひろきは自分が何を望んでいるのか、少しずつ理解し始めていた。


まさこと話したい。


まさこに会いたい。


まさこに、自分を必要としてほしい。


その願いを、もう単なる善意だけでは説明できなくなっていた。


ひろきはスマートフォンをポケットにしまい、玄関へ向かった。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい。気をつけてね」


まなみの声を背中に受けながら、ひろきは家を出た。


扉が閉まる。


その音が、いつもより大きく聞こえた。


彼はまだ、まなみを愛していた。


その気持ちに嘘はなかった。


だからこそ、これから自分がしようとしていることを、簡単に正当化することはできない。


それでも、人は正しいとわかっている道を選べないことがある。


そして、選べない理由を、もっともらしい言葉で飾り始める。


ひろきにとっての孤独は、いつの間にか、まさこへ近づくための理由になりつつあった。


孤独は、彼を苦しめていた。


けれど、孤独が彼の代わりに選択するわけではない。


選ぶのは、ひろき自身だった。


### 次回予告 第18話「あなたに会いたかった」


まさことのやり取りが続くなか、ひろきは仕事帰りに彼女と会う機会を得る。


ほんの少し話すだけ。


そう自分に言い聞かせながら、待ち合わせ場所へ向かうひろき。


一方、まさこもまた、ひろきに会うことを楽しみにしている自分に気づき始めていた。


二人はまだ、何もしていない。


けれど、会いたいという気持ちを認めたとき、これまで守ってきた境界線は、以前よりもずっと曖昧になっていた。


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