侯爵領が落ちた日から一月
「ごしゅじんっさっまっ。いそいでぇ。」
俺が屋敷に着くと、待ちかまえていた使用人が不安そうに俺を見つめてきた。普段のおおらかな笑顔はなく絶望したような表情と目には涙を浮かべ声も震えている。思いの外尋常では無い様子に俺は困惑した。
領地の土の状況を調べるための土集めも一段落し、そろそろ帰ろうと考えていたところに屋敷から使いがきた。
「おっくさまがっ。びょうきぃぃ。」
使いの者が息も絶え絶えに俺の足にすがりついた。俺は帰路につき、その使いにオリビアの様子を訊ねた。返答が曖昧で全く要領を得ない説明と「あかい」と言い続ける使いをおきざりにして、俺は屋敷に滑り込んだ。
「オリビアは。何があった。」
俺の鋭い誰何に、女達が謝りだした。
何があったのか全く分からないこの状況に苛立ち、俺は女達をかき分け寝室の奥のベッドにできた人だかりに近づき、そこでオリビアの姿を見つけた。そこには目を閉じ静かに横たわるオリビアがいた。血の気の引いた顔と体中に医療用の葉を巻きつけられて微動だにしないその姿に、最悪の結果しか思い浮かばず俺は息を飲んだ。
「オリビアッ。」
叫び声が、震える唇から絞りだされた。
「どうしたのですか。」
突然目を開けたオリビアが不思議そうに俺を見ていた。緊張感の、全くない眼差しで。
「どうしたじゃない。一体、何が起きたんだ。」
張りつめていた糸が緩むように俺は崩れ落ちた。安堵と怒りで声が震えた。
「何、とは、どういうことでしょうか。今日は朝から屋敷の大掃除をしていたのです。私は少し疲れてしまって、ここで休憩していました。」
そう言いながら起き上がったオリビアが、自分の体を見て目を丸めた。まあ、と呟いてから不思議そうに首を傾げている。
「これは、一体何が起きたのでしょう。」
すると集まって泣いている女達が、あかいあかい、と言い始めた。
「赤い。」
私とブライクさまの声が重なって響いた。
「赤い」と言っているのか、私が使用人達に聞き返すと皆が頷いている。最後に、若い医師が葉をまくりながら何度もくり返した。
「真っ赤なんっでっす。冷やっしてくっださい。」
「おっくさまっの、しっろいはだがーーーー。」
「そとなんかっ、いったらだめだ。」
「おっらたちが、そっとにつれだしたからっ。」
使用人達がさめざめと泣いていた。
「これ。これのことですの。」
私は自分の腕を指さしてから、呆れて笑い出した。
「これは、ただの日焼けですわ。しかもほんのちょっと赤くなっているだけなのに、そんなに、泣くなんて。うふふ。」
ようやく状況を理解したブライクさまも力なく笑っていた。とてつもない勘違いをしていたようで、普段はひょうひょうとしていて行儀の悪さはないブライクさまが、ベッドに座っている私の腰あたりに抱きついたまま動く気配がない。小さな子供のようなブライク様の頭を私は撫でてみた。
私とブライクさまをよそに、まだ使用人達が騒いでいた。
「あっのまっしっろいはだが、いい。」
コクコクと勢いよく頷きながら女達が私の細い腕に巻かれた葉に消毒用の薬を塗り込み、それを丁寧に私の腕に巻き直しているのを見て、私の心境は複雑だ。
人の国では「色白」だなんて言われたことのない私は、みなの慌てようが大げさなのか普通のことなのかが判断できないでいた。まるで生きる芸術品のような扱いを受けているけれど、私はそういった感じの人間ではないはず。いえ、むしろ、容姿を褒められたことは一度もない。
それに正直ここに来て、肌が白いのはむしろ私が働いていないこと、私の無能さを証明しているのではと思えて気落ちしているのに、皆は、私の肌が、白いままがいいだなんて。
「おっくさまはっ、なんっにもしないで、ずっとねててくだせぇ。」
「そっとには、ぜったいに、いったらだめだっよ。」
女達は微動だにしないブライクさまの様子を横目で確認してから、気をつかって寝室を出て行った。
私は肩を落とした。
「そんな。私も、何かしたいのに。」
私のため息に答えたのは、家令だった。
「奥様。」
家令はこの騒動を見て、どうやら大笑いをしていたようで未だにおさまっていない笑いをこらえながら床に膝をつき、私と目線を合わせてくれた。
「奥様。今までは人手も物も足りず、奥様の手も借りたい状況だったのでしょう。しかしながら今は、人も集まり使用人達も仕事を覚え、屋敷の中は落ち着いてきました。」
家令は穏やかな表情で私を見つめていた。
「これを機に、奥様は細々としたことは他に任せ、奥様の時間を作られては如何でしょうか。」
家令からの予期せぬ申し出に私は驚いて、知らずのうちに難色を示していた。
「え。私の、時間。それは、ちょっと。」
私はそう呟いて、首を横に振った。
「それに、何をすればいいか、見当もつかないわ。」
家令は、そうですね、と少し考え込んでから、例えば、と切り出した。
「刺繍でも、遠乗りでも、植物の研究でも構いません。美容に時間とお金を使っても、いいと思います。」
家令のまたしても予想外の返答に驚いて私は声を上げた。
「そんな。皆が働いているのに私だけが好きなことをやるなんて。」
そんな私を宥めながら、家令は続けた。
「奥様。奥様は、貴族の女性としての教育を受けています。知識があり、教養もある。そのような方には、使用人達の働く、とは異なる働き方が存在するのです。」
私は口を閉じ、家令に先を促した。
「奥様が刺繍をすれば、使用人達もそれを覚えるでしょう。この辺鄙な地には美しい刺繍などないので、売れるでしょう。それに伴い、布、針や糸を作る技術は進歩し職人達の腕もあがるでしょう。それが領地の発展になり、資金の調達に繋がります。遠乗りも美容も同じです。新しい知識や技術は、宝です。」
なるほど、私は頷いた。
「ですから細々としたことはどうか私共使用人に任せ、奥様は、奥様のするべきことを好きなようになさってください。」
家令の言葉通り、私が少し料理の準備を手伝ったところで大した助けになどならない。けれどもし身についている知識を応用できれば、何か大きな動きを作れる可能性は、あるかもしれない。私は少し考え込んでからまた頷いた。
「わかりましたわ。私は、私のすべきことをしますわ。気づかせてくれてありがとう。」
私は強い決意とともに、家令に感謝を述べた。
ばつの悪そうな表情をして、家令が深々と頭を下げてきた。
「私ごときが奥様の行動に意見するなど、出過ぎた真似だと思ったのですが。」
家令は恐縮しながら、私を傷つけないよう言葉を選んでいるようだった。
「いいえ。貴方の助言は的を得ていて、いつも助かっています。私はまだ経験もあまりなく、世間知らずです。それにいつも思うのですが、貴方の考えには愛がありますわ。」
私はいつも、この家令がなんとなく亡き侯爵、ユージーンに似ていると感じていた。侯爵が育てた人材だと、なんとなく感じるのだ。
「では、私の学校を開こうかしら。私の持っている知識は、全て無償で、いいえ、安売りは良くないわね。」
私は暫くの間、私ができること、教えられそうなこと、お金になりそうな知識について考えをめぐらせた。そしてフとある考えが浮かんで、それを相談してみようと思った。
「この屋敷で使用人として働いてもらう場合、今まで通りの働き方と賃金を受け取る方法と、賃金は今の半分になるけれど将来お金になる私の知識を学べる、という二つの選択肢から選べる、というのはどうかしら。」
私の案に、私の腰に抱きついていたブライクさまが体を起こし、私の耳元に顔を寄せ私にだけ聞こえるように囁いた。
「手元に金がない我が領地に、優秀な人材を集め、この地に留めるためには使えるかもしれない。ただそういう知識は、将来金になるとは限らない。」
ブライクさまの的確な指摘に私はまた考えをめぐらせた。
「確かに、お金になるまでに長い時間や環境が必要になるかもしれませんね。でもそれは私が、なんとかしますわ。」
そう囁き返した私に、ブライクさまがクスクスと笑っていた。
「君も随分、大きいことを言うようになったな。」
私もクスクス笑いながら、また囁いた。
「誰の影響かしら。」
「なんだか私達夫婦は、詐欺師のようですわね。無い物をあると言ったり、先の見えないものにお金を出させようとしたり。」
私は使用人達に申し訳ない気持ちになりながらつぶやいた。
「確かにそうだな。ただ『偉大な成功者は、最初は大ボラ吹きだった』という話はよくある。祖父にも最初は嘘があって、それを全てひっくり返したことで、全てを誠にしたと。」
ブライクさまが楽しそうに昔の話しをしていた。
私は、侯爵家の異端児、大天才と呼ばれているブライクさまの亡き祖父であるキース様の噂を思い出した。あまりにも頭が良すぎて孤高の人だったキース様に愛を教えたのが、平民で学のない片足の小さな魔法士だったハナ様で、二人の愛は人の国に降り注いだと言われている。キース様は自分の能力を悪用することはなく、二人のおかげで一気に人の国の歴史は進み、栄えた。
「偉大な成功者。なれるかしら、私達も。」
キース様とハナ様夫婦とまではいかなくても、歴史に名を残せるくらいの領主になれたら素敵だと私が考え妄想していると、ブライクさまが私の頭をなでてきた。
「なれるかは分からないが、なれないとも限らない。運次第か。ただ運は、望んだ者だけが手に入れられる。」
ブライクさまが何かを掴もうと自分の手を握り込むと、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「運次第。でしたら大丈夫ですわ。私達二人とも、強運の持ち主ですもの。」
私の言葉にブライクさまが笑って頷いた。