覚醒
身体が動かない。
意識が、深い水の底へ沈んでいるようだった。
――寒い。
私はゆっくりと目を開けた。
「……ここ……は……?」
視界がぼやけている。
天井。
裸電球。
そして、鼻を突く薬品とカビの臭い。
身体を動かそうとした。
――動かない。
「……え?」
両腕も、両脚も。
胴体さえも、太いベルトで手術台に固定されていた。
「なに……これ……」
必死に身体を捩る。
ガチャガチャ、と金具が鳴った。
その時だった。
「……!」
横を見る。
少し離れたところに、もう一台の手術台があった。
そこに。
「新田くん……!」
新田くんが横たわっていた。
私と同じようにベルトで身体を固定され、目を閉じている。
「新田くん!」
声をかけても反応はない。
その先。
部屋の奥に、人影が立っていた。
見覚えのある姿。
「……藤田くん?」
眼鏡。
細身の身体。
間違いない。
「智美ちゃん」
藤田くんが、こちらを振り返った。
「大丈夫?」
「藤田くん……生きてたんだ」
胸の奥から、安堵が込み上げる。
「良かった……」
私は声を絞り出した。
「でも、気をつけて。私たち、誰かに眠らされたの」
「……」
藤田くんは答えなかった。
手には注射器が握られていた。
「藤田くん。それ……」
「ああ、これ?」
藤田くんは注射器を眺めた。
「二人とも、二時間くらいは眠ってると思ったんだけどな」
そして。
「まさか智美ちゃんが、二十分足らずで目を覚ますなんてね」
笑った。
「量、間違えたかな?」
「……何を言ってるの?」
嫌な予感がした。
「お願いだから、これを外して」
「だーかーらー」
藤田くんが笑う。
「二人を眠らせたのは、俺なの」
頭の中が真っ白になった。
「……え?」
「拘束を解くわけないでしょ?」
その瞬間。
今まで感じていた安心感が、すべて消えた。
「……どうして?」
藤田くんは楽しそうに笑っている。
「いやあ」
彼は部屋の隅を見た。
「まさか、結合人形を壊すとは思わなかったよ」
「……結合人形?」
「あの怪物だよ」
藤田くんがこちらを見る。
「二人とも、あれを視認できたし、精神操作も効きにくかったな」
そして。
「俺と同じように、能力に目覚めたってことかな?」
「……まさか」
私は息を呑んだ。
「あなたが……全部、仕組んでいたの?」
「さっきからそう言ってるじゃないか」
藤田くんの口元が歪んだ。
「俺は選ばれた人間なんだよ」
「選ばれた……?」
「二か月前」
藤田くんは、静かに語り始めた。
「俺は一度、ここへ来たんだ」
「……あの時が、初めてじゃなかったの?」
「ああ」
藤田くんは笑った。
「別のメンバーと一緒にな」
そして、自分の頭を指で軽く叩いた。
「その時、頭の中に声が聞こえてきた」
「声……?」
「他の奴らの心の声だった」
藤田くんは愉快そうだった。
「しかも面白いことに、俺はそいつらの心の中へ直接話しかけることができた」
「……」
「そしたらさ、他の連中が言うんだよ」
藤田くんの声が低くなる。
「『変な声が聞こえる』って」
笑い声。
「面白いよなあ?」
私は何も言えなかった。
「それだけじゃない」
藤田くんは続けた。
「時間が経つにつれて、幻覚まで見せられるようになった」
「何のために……」
震える声で尋ねた。
「そんなことをして……何のために?」
「憂さ晴らしさ」
「……え?」
藤田くんの顔から笑みが消えた。
「どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがって」
声が低い。
「気に食わない奴は、ここへ連れてきた」
「……」
「俺の力を浸透させて」
藤田くんが両手を広げる。
「操り人形にしてやった」
背筋が凍る。
「面白かったぞ?」
藤田くんは笑った。
「どんな屈強な男でも俺の言いなりになる」
そして。
「女だって、すぐに股をひらく」
「……最低」
思わず呟いた。
「優香の死に様なんて傑作だったろ?」
「……!」
「石上とお揃いで、全身切り刻んでやった」
私は息を呑んだ。
「あいつが俺を振ったからいけないんだ」
「そんな……」
目の奥が熱くなる。
「ひどすぎるよ……」
声が震えた。
「友達だと思っていたのに……」
藤田くんが、ゆっくりと私の顔へ近づいてきた。
そして。
ニタァ、と笑った。
「心配しないで、智美ちゃん」
その笑顔には、もう人間らしい温度がなかった。
「他の奴らみたいに、肉人形にはしないから」
「……」
「こんなお人形みたいな可愛い娘」
藤田の顔が、さらに近づく。
「全身くまなく堪能しないと勿体ないじゃないか。」
そして、耳元で囁く。
「一生、大事に使ってあげるよ」
「……っ」
全身に鳥肌が立った。
怖い。
この人は。
私が知っている藤田くんではない。
――違う。
最初から。
この人は。
* * *
藤田が、新田くんの手術台へ向かった。
「コイツはいらないな」
新田を見下ろす。
「いつも智美ちゃんと話しやがって」
藤田が舌打ちする。
「邪魔なんだよ」
「藤田くん……」
「そうだ!」
藤田が何かを思いついたように笑った。
「新しい結合人形の素体にしようかな」
――ガタン。
金具が鳴った。
「……?」
藤田が振り返る。
そこに。
誰もいなかった。
「……あれ?」
「智美ちゃん?」
暗闇の中。
何かが光った。
――キィン!
藤田が咄嗟に小刀を構える。
ガキィン!
刃と刃がぶつかった。
火花が散る。
「……!」
私は小刀を握っていた。
藤田が驚いたように笑う。
「智美ちゃん、結構やんちゃだね」
私は距離を取った。
「新田くんには……」
小刀を構える。
「手を出させない」
「へえ」
藤田が舌なめずりをする。
「元気な女の子は好きだよ」
その口元が歪む。
「でも、あんまり暴れると……手加減できないよ?」
藤田が何かを呟き始めた。
――キィィィィン。
耳をつんざく音。
『ザザッ……』
頭の中へ直接、声が流れ込んできた。
『磯山智美さん』
「……!」
『素行不良のため――』
私は耳を塞いだ。
『思考矯正措置を行います』
「うっ……!」
頭が割れそうだった。
「これは……幻聴……」
私は必死に耐える。
「気を……しっかり持たないと……」
『思考矯正措置を行います』
『思考矯正措置を行います』
『思考矯正措置を行います』
「やめて……!」
藤田が笑っている。
「さあ」
小刀を構える。
「どこまで耐えられるかな?」
刃が迫る。
私は必死に受け流した。
ガキン!
ガキン!
何度も刃がぶつかる。
頭の中では、あの放送が繰り返されている。
身体が重い。
視界が揺れる。
少しずつ。
壁際へ追い込まれていく。
「っ……!」
足がもつれた。
私は床へ倒れた。
藤田が目の前に立つ。
その顔に、邪悪な笑みが浮かんだ。
「ちょっと痛いけど」
小刀が振り上げられる。
「我慢してね」
「ははははははははは!」
――ダンッ!
轟音。
藤田の身体が大きく揺れた。
「ぐはっ!」
胸から血が噴き出す。
藤田が振り返る。
そこに。
拘束を解いた新田くんが立っていた。
手には、煙を上げる銃。
「うっ……」
新田くんが苦しそうに息を吐く。
「間に合って良かった……」
「新田くん!」
藤田の顔が歪んだ。
「新田ああああああああああ!」
怒声。
「いつも……俺の邪魔をしやがってぇぇぇ!」
藤田が血を吐く。
私は新田くんのところへ駆け寄った。
「大丈夫?」
「……ああ」
その時。
藤田の身体から。
何かが蠢き始めた。
「……?」
皮膚の下が膨らむ。
腕。
脚。
胸。
腹。
無数の赤黒い腫瘍のような塊が、次々と浮き上がってくる。
「何……あれ……」
藤田の身体が膨張していく。
「もう……ゆルさないゾ……」
声も、人間のものではなくなっていた。
「治癒術ヲ……カケながラ……」
肉が膨らむ。
「エい遠に……リョうジょㇰ...しテやる……!」
壁を押し潰しながら、肉塊が巨大化していく。
「新田くん」
「……ああ」
「逃げよう」
「そうだな」
俺たちは部屋を飛び出した。
背後から。
――ズズズズズ。
巨大な肉塊が追ってくる。
廊下が震える。
壁が崩れる。
朝の光が見え始めた。
「出口!」
エントランスホール。
あと少し。
俺たちは走った。
その瞬間。
「うおおおおおおおおおお!」
背後から巨大な腕が伸びてきた。
「磯山!」
新田くんが私を突き飛ばした。
「え?」
代わりに。
新田くんの身体が捕まった。
「新田くん!」
「に……げろ……」
藤田の肉塊が、新田くんを締め上げる。
「い……そ……やま……」
「嫌!」
「は……やく……」
私は動けなかった。
「逃げろ……!」
その言葉に。
私は走った。
* * *
藤田の車。
トランクを開ける。
その中に。
一つの細長い木箱があった。
「……これ」
霊幻の言葉を思い出す。
――もしもの時は。
私は木箱を開けた。
* * *
病院のエントランス。
巨大な肉塊となった藤田が、新田くんを捕まえている。
「にったァぁ……」
声が濁っている。
「おマえの……セいだ……」
新田くんの身体を締め上げる。
「かヮを……ハいで……」
その時、
――ガガガガガガガガ!
凄まじい機械音が響く。
藤田の目の前には、チェンソーを構える磯山がいた。
新田くんが目を丸くしていた。
「い、そ、やま?」
私は、藤田をめがけて走り出す。
そして、地面を蹴り、大きく跳躍する。
「ともみぃぃぃぃぃ!」
藤田が叫んだ。
「まいにち……せいどれ……」
その言葉を最後まで言わせなかった。
私はチェンソーを振り下ろした。
――ガガガガガガガガ!
刃が、藤田の頭部へ食い込む。
肉を裂く感触。
血液が飛び散る。
それでも私は止めない。
さらに押し込む。
「……っ!」
ウイーーーーーーーーーン!
ズブブブブブブブブブブブ!
ブシャーーーーーーーーー!
両腕に力を込める。
「あたなに明日は来ない。これで終わり」
刃が身体を切り裂いていく。
そして。
巨大な肉塊は。
完全に二つへ分かれた。
ドサリ。
地面へ崩れ落ちる。
動かない。
朝の静寂が戻ってきた。
私は荒い息を吐いた。
「……はぁ……」
チェンソーを下ろす。
その身体には、藤田の血が大量に付着していた。
わたしは、新田くんに近づく。
そして、朝日を背にして、チェンソーを肩に担ぎながら、ほほ笑む。
「お待たせ。新田くん」




