滅蝕
俺たちのスマートフォンが、一斉に鳴った。
――ピコン。
静まり返った部屋に、場違いな電子音が響く。
画面には、同じ通知が表示されていた。
WhoTube――新着動画。
藤田が投稿した動画の続編だった。
そこに映っていたのは、ついさっきまで俺たちの目の前で起きていた、神崎の最期だった。
「……なんで」
俺は呟いた。
「なんで、こんなものが投稿されてるんだよ……」
誰にも分からない。
藤田も、磯山も、そして俺も投稿していない。
なのに。
動画は、確かに存在していた。
霊能者――神宮寺霊幻は、険しい顔でスマートフォンの画面を見つめていた。
「……あのようなものは、初めてです」
霊幻が低い声で言った。
「神崎さんの血液そのものが、穢れを帯びていた」
「血液が……?」
「先ほどの儀式で、私を含め、皆さんも少なからず彼女の血を浴びたでしょう」
その言葉に、俺は自分の服を見た。
確かに。
袖や手には、神崎の血が付着している。
「じゃあ……」
嫌な考えが頭をよぎる。
「俺たちも、いずれあんな風になるってことですか?」
声が震えた。
霊幻は答えなかった。
その沈黙だけで十分だった。
「……早ければ」
霊幻がようやく口を開く。
「明日中にも、ここにいる全員が、血の穢れによって命を失うでしょう」
「そんな……」
磯山が呟いた。
顔は青ざめている。
藤田も何も言わない。
俺は、自分の手を見つめた。
この血が。
俺を殺す。
「どうすれば……」
磯山の声が震える。
霊幻は少し考えた後、藤田を見た。
「穢れの根源を叩くしかありません」
「根源……?」
「藤田さん」
霊幻が手を差し出した。
「廃病院の動画を見せてください」
藤田は震える手でスマートフォンを操作した。
動画が再生される。
暗い廊下。
隔離病棟。
そして。
突き当たりの、あの部屋。
映像を見た瞬間。
「……止めてください」
霊幻が言った。
藤田が停止する。
画面には、掠れた文字で何かの部屋名が書かれた扉が映っていた。
「ここが……原因です」
霊幻は画面を見つめたまま、絶句した。
「……何という、ひどい場所だ」
そして、ぽつりぽつりと話し始めた。
「過去に、かなりの数の人間がここで亡くなっています」
「……」
「しかも、単なる事故や病死ではない」
動画が再生される。
白い入院着を着た人影。
誰もいないはずの場所で。
何かに襲われる。
映像の中では、見えない何かが人間の身体を弄んでいるようにしか見えない。
霊幻の顔が強張った。
「この人を解体している、見えない存在」
霊幻は画面を指差した。
「これこそが、全ての元凶です」
「……あれを封印すれば?」
「少なくとも、そうしなければ誰も助かりません」
霊幻は立ち上がった。
「本部には応援要請を出します。しかし……」
霊幻は時計を見る。
「待っていては、手遅れになるかもしれません」
そして。
「すぐに向かいましょう」
* * *
それから十分もしないうちに、俺たちは藤田の車に乗り込んでいた。
霊幻は寺から持ってきたらしい道具を、次々と車のトランクへ詰め込んでいく。
札。
数珠。
何に使うのか分からない金属製の器具。
そして、いくつもの奇妙な箱。
「……本当に、これで大丈夫なんですか?」
藤田が聞く。
「大丈夫かどうかは、行ってみなければ分かりません」
「……」
俺はため息をついた。
また、あそこへ行く。
廃病院。
昨日、俺たちはあそこへ行った。
そして。
石上が死んだ。
神崎も死んだ。
今度は。
俺たち自身が殺されるかもしれない。
車が走り出した。
俺は窓の外を眺める。
ふと隣を見る。
磯山が座っていた。
彼女の手が、小さく震えている。
「……磯山」
「え?」
「怖いよな」
「……うん」
磯山は俯いた。
「私……あそこに行きたくない」
「……俺もだ」
少しだけ沈黙が流れる。
「でも」
俺は前を向いた。
「行かなきゃ、死ぬんだろ」
「……うん」
俺は拳を握った。
「だったら、やるしかない」
強がりだった。
本当は。
俺だって逃げたかった。
それでも。
震えている磯山を見ていると、自分だけ怖がっているわけにはいかない気がした。
* * *
午後六時五十分。
廃病院に到着した。
空は既に薄暗い。
山中に建つ巨大な建物は、昨日よりもずっと不気味に見えた。
俺たちは懐中電灯を手に、院内へ入る。
湿った空気。
カビの臭い。
床に散乱した紙。
壁に残る黒い染み。
そして。
地下へ続く階段。
俺たちが階段の前に差し掛かった、その時だった。
――キィィィィン。
耳障りな音が響いた。
俺の心臓が跳ねる。
続いて。
『ザザッ……』
館内放送。
『藤田亮太さん』
「……!」
藤田が顔を上げた。
『飛沫吸引のため、肺を摘出します』
「……何だよ、それ」
『午後七時四十分までに、地下一階・蝕肉解体室へお越しください』
放送が切れた。
霊幻が時計を見る。
「始まった」
「……」
「あと一時間もありません」
霊幻は数珠を握りしめた。
「急がねば」
そして、歩きながら祝詞を唱え始めた。
――ジャラ。
数珠が鳴る。
「皆さん」
霊幻が大きなリュックを開いた。
「これを持ってください」
中から、小刀が三本。
そして。
大型の銃が三丁。
「……銃?」
俺は目を疑った。
「霊力を込めています」
霊幻は平然と言う。
「もしもの時は、これで対処してください」
「いや、これ……」
どう見ても普通の銃ではない。
「使い方を説明します」
霊幻は手早く説明した。
「かなりの反動があります」
銃を持ち上げる。
「象を仕留められる程度の威力がありますので、取り扱いには注意してください」
「象……」
俺は銃を握った。
今さら銃刀法なんて考えている場合ではない。
俺たちは地下階段を下りていった。
* * *
地下は、昨日よりも冷たかった。
長い廊下。
両側に並ぶ、金属製の扉。
隔離病棟。
俺たちは慎重に進む。
その時。
――ギイ。
廊下の奥から音がした。
「……!」
ライトを向ける。
一つの扉が開いていた。
霊幻が銃を構えながら近づく。
俺も後ろから続く。
「……誰もいない」
部屋の中には簡素なベッドがあるだけ。
霊幻がベッドに手を触れた。
そして。
「……まだ、暖かい」
「え?」
「何かが、ここにいた」
その瞬間。
磯山が呟いた。
「……藤田くんがいない」
「何?」
振り返る。
そこに。
藤田はいなかった。
「藤田!」
返事はない。
次の瞬間。
廊下の奥から。
「うああああああああああ!」
悲鳴。
俺たちは走り出した。
「藤田さんが危ない!」
霊幻が叫ぶ。
「奥へ!」
廊下を曲がる。
そして。
見覚えのある扉。
あの部屋。
――キィィィィン。
放送が鳴った。
『藤田亮太さん』
俺は息を止めた。
『肺摘出完了』
霊幻が扉を開ける。
ライトを向ける。
床には藤田のスマートフォンが落ちてた。
ライトを上を照らすと
手術台の上に胸部をえぐり取られた血まみれの肉塊があった。
「……くそっ」
俺は歯を食いしばった。
「藤田まで……」
その直後。
廊下から。
――ギイ。
――ギイ。
――ギイ。
扉が次々と開く音がした。
「……?」
続いて。
――ダダダダダダッ!
複数の足音。
「うおおおおおおおお!」
雄叫び。
扉が勢いよく開いた。
「――来るぞ!」
大量の人影が廊下からなだれ込んできた。
それは。
人間のような姿をしていた。
だが。
身体には皮膚がほとんど残っていない。
赤黒い筋肉がむき出しになっている。
人間だったもの。
その群れが、一斉にこちらへ向かってくる。
「怪異――」
霊幻が呟いた。
「欠心肉塊です」
「何だよ、それ!」
「頭を狙ってください!」
霊幻が銃を構えた。
――ダンッ!
轟音。
先頭の怪異が倒れる。
「やるしかないのか……!」
俺も銃を構えた。
――ダンッ!
「うわっ!」
強烈な反動で身体が後ろへよろめく。
弾丸は外れ、怪異の腕を吹き飛ばした。
それでも。
怪異は止まらない。
「来るな!」
俺は小刀を握った。
突っ込んできた怪異の頭部へ刃を突き立てる。
その身体が崩れ落ちた。
「新田くん!」
磯山も銃を構える。
――ダンッ!
銃弾が怪異の頭部を撃ち抜いた。
怪異が倒れる。
「……」
俺たちは必死に戦った。
銃声。
叫び声。
肉塊が床へ倒れる音。
そして。
静寂。
どれほど時間が経ったのか分からない。
最後の怪異が倒れた。
霊幻が息を切らしながら立ち上がる。
「……もう時間がありません」
霊幻が周囲を見回す。
「元凶となる怪異は、まだこの廃病院に潜んでいる」
そして。
「近くに感じます」
霊幻が数珠を握り直した。
「すぐに封印措置を――」
その時。
――ずぶぶぶぶ。
「……?」
嫌な音。
霊幻の動きが止まった。
「ゴフッ……」
口から血が流れた。
「まさか……」
霊幻の腹部から。
巨大な剣鉈が突き出ていた。
何者かが背後から突き刺したのだ。
「そういう……ことだったのか……」
剣鉈が横へ動く。
霊幻の身体が大きく揺れた。
「霊幻!」
俺は叫んだ。
霊幻が崩れ落ちる。
その背後に。
何かが立っていた。
身長は二メートルを超えた巨体。
薄汚れた布を纏っている。
細長い身体。
青白い皮膚。
全身に残る縫合痕。
頭部にも、まるで何度も切り開かれたかのような縫い跡が走っている。
髪はほとんどない。
異様に細長い頭。
白濁した眼。
それは。
人間ではなかった。
「この怪異は……」
霊幻が震える声で呟く。
怪異が口を開いた。
――ゴポッ。
大量の黒い液体が吐き出される。
「うわっ!」
液体を浴びた霊幻の身体から、白い蒸気が立ち上った。
「ぐ……あ……」
霊幻は苦しそうに身体を震わせ、全身が焼け爛れた。
そして。
動かなくなった。
怪異が淡々と呟いた。
「神宮寺霊幻さん」
その声は。
まるで病院の館内放送だった。
「体液汚染の侵蝕部位、消毒完了」
「……」
怪異がこちらを見る。
白濁した眼。
感情がない。
ただ。
俺たちを。
獲物として見ている。
俺と磯山は、同時に銃を構えた。
「磯山」
「うん」
「弾は?」
「あと一発くらいだと思う」
「さっき補充した」
俺は自分の銃と、予備の弾が入った銃を交換した。
「こいつを使え」
「でも、新田くんは?」
「俺は、この一発とナイフで何とかする」
俺は怪異を睨んだ。
「磯山は離れたところから撃ってくれ」
「……分かった」
怪異が剣鉈を持ち上げる。
――ズン。
床が震えた。
怪異が突進してくる。
俺と怪異の間にある複数の手術台や器具などを
剣鉈を左右に振り回して薙ぎ払いながら。
「来るぞ!」
剣鉈が振り抜かれる。
俺はナイフで受け止める。
「ぐっ……!」
――ドンッ!
凄まじい力。
俺の身体が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
「新田くん!」
「……大丈夫だ!」
俺は壁に手をつき、立ち上がる。
怪異が迫ってくる。
剣鉈を高く振り上げた。
「大したことないな……!」
強がりだった。
足は震えている。
それでも。
「こんなもんか!」
怪異が剣鉈を振り下ろした。
――ダンッ!
銃声。
怪異の腕が弾ける。
続けて。
――ダンッ!
もう片方の腕が崩れ落ちる。
剣鉈が床に落ちた。
――ダンッ!
片脚が砕ける。
――ダンッ!
もう片方の脚も崩れた。
怪異が倒れる。
それでも。
白濁した眼だけが、磯山を見ていた。
「……磯山智美さん」
怪異が口を動かす。
「重度侵蝕……」
磯山が息を呑む。
怪異の言葉は。
病院の館内放送そのものだった。
「――」
磯山が銃を構える。
――ダンッ!ダンッ!
怪異の頭部と胴体が大きく弾けた。
巨体が床に倒れる。
そして。
動かなくなった。
「……終わった?」
磯山が呟いた。
「たぶん……」
俺は息を吐いた。
「これで終わりか?」
俺は重い身体を起こそうとした。
「……くそ」
身体中が痛い。
その時。
首筋に。
チクリ。
「……?」
小さな痛み。
「何だ……?」
指で触れる。
何もない。
なのに。
急激に視界が暗くなっていく。
「……磯山」
「新田くん?」
声が遠い。
身体から力が抜けていく。
その時。
すぐ近くから。
声が聞こえた。
「新田慎二さん」
――誰だ。
「磯山智美さん」
声がする。
「重度侵蝕状態」
「……」
視界が霞む。
「全身解体します」
「……な……」
俺は必死に磯山を見る。
彼女の背後。
そこに。
人影が立っていた。
「いそ……やま……」
磯山が振り返る。
「え?」
次の瞬間。
人影が磯山の首筋へ何かを押し当てた。
「……っ」
磯山の身体が崩れ落ちる。
「いそ……や......ま……」
俺は手を伸ばした。
だが。
届かない。
視界が暗くなる。
最後に見えたのは。
床に倒れた磯山と。
その背後に立つ。
何か。
そして。
俺の意識は完全に途絶えた。




