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まとわりつく声【夏のホラー2026・音】  作者: A.N.C.


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9/10

怪終

朝日が、山の稜線から顔を出し始めていた。


 昨夜まで闇に包まれていた廃病院が、薄い橙色の光に照らされている。


 しかし。


 そこに、新田慎二と磯山智美の姿はなかった。


 あるのは、崩れかけた病院の建物。


 そして、そのエントランスに転がる巨大な肉塊だった。


 その周囲には、昨夜まで存在しなかったものがいくつも並んでいる。


 軍用車両。


 高輝度照明。


 大型の計測装置。


 薬品の入ったコンテナ。


 そして、白い防護衣に身を包んだ数十人の作業員。


 病院周辺は、まるで事故現場か、危険物処理施設のようになっていた。


 上空からローター音が響く。


 ――バラバラバラバラ……。


 一機の軍用ヘリが病院前の開けた場所へ降下してくる。


 砂埃が舞い上がる。


 ヘリが着陸すると、側面の扉が開いた。


 中から一人の男が降りてくる。


 三十代ほど。


 黒いスーツ。


 青いネクタイ。


 そして、この異様な現場に似つかわしくないほど穏やかな表情。


 防護衣を着た作業員の一人が駆け寄った。


「お疲れ様です」


「お疲れ様」


 男は軽く手を上げた。


「状況は?」


「現地の霊能者からの報告を受け、対高濃度イビルマナ汚染装備を整えました」


 作業員は携帯端末を確認する。


「現在の大気魔力係数は、マイナス2.3です」


「ほとんどダンジョンと同じレベルだね」


 男は周囲を見回した。


「で、あれは?」


 視線の先。


 廃病院のエントランスに、巨大な肉塊が横たわっている。


 数十分前。


 磯山によって二つに断ち切られたはずの肉塊。


 しかし今では、その断面から新しい肉が伸び始め、半分近くまで再生していた。


「この廃病院の怪異の元凶と見て間違いないと考えられます」


 男は肉塊をじっと眺めた。


「マナレベルは?」


「1です」


「一般人か」


 男は少し意外そうな顔をした。


「魔力係数は?」


「マイナス3.2です」


「典型的なマナ欠乏症の最終段階だね」


 男は淡々と告げる。


「このままだと、いずれ破裂して周囲へイビルマナを撒き散らす可能性がある」


「はい」


「封蝕剤を投与して、研究所へ送ってくれる?」


「既に投与済みです。搬送手配も完了しています」


「そう」


 男は満足そうに頷いた。


「じゃあ、あとはよろしく」


 そして、廃病院を指差す。


「ちょっと中を見てくるから」


「承知しました」


 男は軽く手を振りながら、病院のエントランスへ向かった。


 その足元で。


 肉塊が微かに蠢いた。


「と……も……ミ……」


 男が足を止める。


「ん?」


 肉塊から、途切れ途切れの声が聞こえる。


「せ……いど……れ……」


 男はしゃがみ込んだ。


「まだ意識があるのか」


 肉塊を観察する。


「すごいね、君」


 まるで患者を励ます医師のような口調だった。


「安心してよ」


 男は微笑む。


「有用なデータが取れるうちは、研究所で治療し続けるからさ」


 そう言って立ち上がる。


 肉塊を避けながら、何事もなかったかのように病院へ入っていった。


 その背中を、一人の作業員が見つめていた。


「主任」


 隣の作業員へ小声で尋ねる。


「あの人、防護衣を着なくていいんですか?」


「……」


「この濃度ですよ。イビルマナに汚染されたら、怪異化するんじゃ……」


「ああ」


 作業員Bは淡々と答えた。


「あれはいいんだよ」


「え?」


「そもそも、人じゃないからね」


 作業員Aが固まった。


「……まさか」


「ああ」


 作業員Bは周囲を確認してから、さらに声を落とした。


「アンドロイドだ」


「……」


「しかも本社から派遣されている」


「本社って……」


「垓亜重工」


 その名前を聞いた瞬間、作業員Aは口を閉じた。


「機密クラスAだ」


 作業員Bは作業へ戻る。


「あまり詮索しないほうがいい」


「……はい」


 作業員Aも、それ以上は何も聞かなかった。


 * * *


 廃病院。


 地下隔離病棟。


 そこには、凄惨な光景が広がっていた。


 多数の手術台。


 床に散乱する医療器具。


 そして。


 幾つもの遺体。


 かつて人間だったもの。


 怪異化した肉人形。


 男は周囲を見回した。


「……通報してきた霊能者は?」


「こちらです」


 作業員が指差す。


 そこには、全身を焼かれた神宮寺霊幻の遺体があった。


「こりゃ、ひどいな」


 男が近づく。


「酸……いや、正確には酸化性の強いイビルマナ反応か」


 手袋を装着する。


「メモリが生きていればいいんだけど」


 懐から刃物を取り出し、


 霊能者の遺体の頭部に突き立てて肉を削ぎ落し始めた。


 やがて、銀色の金属の骨格が現れた。


 作業員が息を呑む。


「……え?」


 男は手慣れた動作で内部を確認する。


 そして。


「やっぱり」


 透明な細長いチップを取り出した。


「メモリは無事だ」


 男はポケットから黒いケーブルを取り出す。


 その片方を自分の首元へ接続する。


 スーツの襟に隠れていた場所。


 そこには、人間には存在しない端子があった。


 もう片方をメモリへ接続する。


 ――ピッ。


 数秒。


 男の瞳が一瞬だけ青く光った。


「……同期完了」


 ケーブルを外す。


 メモリを透明な袋へ入れ、ポケットへしまった。


「これは……」


 男の表情が初めて変わった。


「どうされました?」


 作業員が尋ねる。


「いや」


 男はすぐにいつもの笑顔へ戻った。


「こちらの話だ。気にしないでくれ」


 そして周囲を見回す。


「それより、今後のことだが」


「はい」


「生体サンプルと、この施設に残っている資料は全て回収」


「了解しました」


「その後、施設全体に祓蝕剤を散布して」


「承知しました」


 男は少し間を置いた。


「それと」


「はい?」


「くれぐれも、アーガスノルン社から情報開示の要求があった場合でも、最低限のデータしか提供しないように」


「……分かりました」


「頼んだよ」


 * * *


 病院の外。


 作業員たちが大型タンクを背負っている。


 背中から伸びたホースの先には、シャワーノズル。


 そこから、無色透明の液体が噴射されていた。


 床。


 壁。


 廊下。


 手術室。


 そして、地下隔離病棟。


 施設全体へ祓蝕剤が散布されていく。


 男は、その光景を少し離れた場所から眺めていた。


 やがてスマートフォンを取り出す。


「私だ」


 短い沈黙。


「……ああ」


 男の表情が変わる。


「生き人形を見つけた」


 風が吹いた。


 男の青いネクタイが揺れる。


「それも……恐らく、過去に一度怪異になっている」


 もう一度、病院を振り返る。


 朝日に照らされた廃病院。


 男は目を細める。


「私の立場では判断できない」


 そして。


「至急、管理者リブートプロトコルを実行してくれ」


 電話を切った。


 男はスマートフォンをポケットへしまう。


 軍用ヘリへ向かって歩き出す。


 その途中。


 ふと、病院の方を振り返った。


「……磯山智美」


 小さく名前を呟く。


 しかし、その表情には感情らしいものはなかった。


 男はヘリへ乗り込む。


 ローターが回り始める。


 ――バラバラバラバラ……。


 機体が浮上していく。


 廃病院が、徐々に小さくなっていった。

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