動画
夏休みの大学は、普段よりずっと静かだった。
昼を少し過ぎた頃。
講義棟と研究棟の間にある、学生向けの広場。
中央には大きな木が一本立っていて、その周囲にベンチがいくつか設置されている。蝉の鳴き声が頭上から降り注ぎ、舗装された地面には強い日差しが照りつけていた。
そのベンチに、五人が集まっていた。
新田慎二。
磯山智美。
神崎優香。
石上徹。
そして藤田亮太。
「お前ら、例の動画、再生回数すごいぞ」
開口一番。
藤田がスマートフォンを掲げた。
「……動画?」
慎二が聞き返す。
「ほら。あの廃病院のやつ」
「ああ……」
慎二は思い出した。
廃病院から帰って、三日ほど。
藤田が撮影していた動画のことなど、すっかり忘れていた。
「お前、投稿したのか」
石上が藤田のスマートフォンを覗き込む。
「した。WhoTubeに」
「マジかよ」
「何で勝手に投稿してんのよ」
神崎が眉をひそめた。
「いや、ちゃんと顔はカットしてあるって」
「やだ、顔映ってないよね」
「映ってないって」
藤田は画面を操作する。
「ほら」
「……本当だ」
神崎が確認する。
「それより、見ろよ」
「何?」
「再生回数」
藤田が画面を見せた。
「……結構いってるじゃん」
慎二が驚く。
「だろ?」
「何でそんな伸びてんの?」
「タイトルが良かったんじゃね?」
藤田が得意げに言う。
「『【ガチ廃病院】深夜に心霊スポットへ行ったらヤバすぎた』」
「うわ」
慎二が顔をしかめた。
「いかにもって感じ」
「いいだろ別に」
藤田は笑った。
「コメントも結構ついてる」
画面をスクロールする。
「『雰囲気ある』」
藤田が読み上げる。
「『普通に怖い』」
「『不法侵入じゃね?』」
石上が吹き出す。
「おい」
「『通報しときました』」
「おいおい」
「何だよそれ」
神崎も画面を覗く。
「……あ」
「何?」
「これ」
神崎が指差した。
「『人影なかった?』だって」
「人影?」
慎二が眉を寄せた。
「どこに?」
「知らない」
藤田が答える。
「俺らが撮った動画なんだから、俺ら以外いないだろ」
「でも、こういうコメントって気になるじゃん」
神崎はスマートフォンを受け取った。
そのままコメント欄をスクロールする。
「……あれ?」
「今度は何?」
「『何か聞こえる』」
「音?」
石上が覗き込む。
さらに下へ。
「『○分○秒あたり、何か声入ってない?』」
「……」
慎二の表情が変わった。
「何だそれ」
「知らねえよ」
藤田が言った。
しかし、その顔には先ほどまでの余裕がなかった。
「でさ」
藤田がスマートフォンを取り戻す。
「それについて、俺も気になって調べてみたんだよ」
「何を?」
「動画」
「動画なら見たじゃん」
「いや、もう一回」
藤田が再生ボタンを押した。
「この辺」
画面に映ったのは、あの夜の廃病院だった。
暗い廊下。
懐中電灯の光。
五人の足音。
慎二は何気なく画面を覗き込んだ。
廃病院の内部を撮影した映像が流れていく。
そして。
地下の隔離病棟。
「……」
慎二は少しだけ身を固くした。
あの場所だ。
廊下の両側に並んだ、鍵付きの個室。
鉄格子。
そして。
突き当たりの部屋。
『何室だよ』
石上の声が、スマートフォンから流れた。
「ここ」
藤田が一時停止する。
画面には、掠れた文字が映っている。
「俺たち、この部屋に入ったよな」
「入ったね」
神崎が頷く。
「で、磯山が言った」
藤田が再生する。
『ここ、すごく嫌な感じがする』
画面の中の智美が、部屋の入口に立っている。
現在の智美は。
「……」
何も言わずに画面を見つめていた。
「ここからなんだよ」
藤田が言う。
「何が?」
「音」
動画の画面が、部屋の外の廊下へ向く。
誰もいない。
薄暗い廊下。
それだけ。
すると。
――キィィィィン……。
「……何?」
神崎が顔をしかめた。
高い音。
耳鳴りのような音が、スマートフォンのスピーカーから流れた。
「これ、撮影したときに聞こえた?」
石上が聞く。
「いや」
藤田が答えた。
「俺は聞いてない」
慎二も首を振った。
「俺も」
神崎も。
「聞いてない」
そして。
――ザザッ……。
ノイズ。
その中に。
『……番、……木……郎……室に……ます』
「……は?」
石上が固まった。
「今、何か喋ったよな?」
藤田は答えない。
もう一度、再生する。
――ザザッ……。
『……番、……木……郎……室に……ます』
「何これ?」
神崎が眉をひそめる。
「病院の放送?」
「いや」
藤田が首を振る。
「こんなの、現地じゃ流れてなかった」
「じゃあ何?」
「知らん」
「知らんって……」
動画が続く。
画面の中。
隔離病棟の廊下。
両側には、いくつもの扉。
そのうちの一つ。
閉ざされていたはずの扉が。
――ギ……。
「……」
ゆっくり開く。
「え?」
神崎が画面に顔を近づけた。
――ギギギ……。
扉が開いていく。
そして。
中から。
一人の人間が出てきた。
「……」
五人の間から、言葉が消えた。
白い入院着。
痩せ細った身体。
髪のない頭。
異様に青白い肌。
その人間は、ゆっくりと廊下へ出てくる。
「……何だよ、これ」
石上が呟いた。
だが。
画面の中の五人は。
誰も振り返らない。
白い人間は、五人の背後を通り。
そのまま。
五人が入った部屋へ入っていく。
「……待って」
神崎の声が低くなった。
「これ……」
画面の中。
『もういいだろ』
石上の声。
『何もねぇな。どうする?』
五人は、何も知らない。
カメラが部屋の中を映す。
手術台。
その上にこびりついた黒いシミ。
その向こう。
白い入院着の人間が立っている。
俯いている。
しばらく。
動かない。
やがて。
ゆっくりと手術台によじ登った。
仰向けになる。
「……」
誰も口を開かない。
――ザザッ。
『……番、……処置……ます』
「何だよ……」
石上が呟いた。
その瞬間。
白い人間の身体が。
――ビクッ。
跳ねた。
「……!」
胸部から腹部にかけて。
一直線に。
身体が裂ける。
「うわっ!」
神崎が思わずスマートフォンから顔を逸らした。
だが。
すぐに画面を見る。
裂けた身体から、内臓がゆっくりと溢れ出している。
「……何これ」
慎二の声が震えた。
腸が。
――ズル……。
動いた。
誰かが引っ張っているように。
ゆっくり。
空中へ持ち上がっていく。
――ズルズル……。
そして。
何もない空間へ。
消えた。
「……」
石上が絶句する。
白い人間は激しく痙攣していた。
手足が跳ねる。
身体が手術台の上で震える。
そして。
突然。
動かなくなった。
――ザザッ……。
『……、……み……る……室……ます』
そこで動画が終わった。
広場に。
蝉の鳴き声だけが響いた。
慎二は画面を見つめたまま動かなかった。
背筋に。
冷たいものが走っている。
「……何だよ」
最初に口を開いたのは石上だった。
「今の」
藤田を見る。
「あんなの無かったろ!」
「……」
藤田も黙っている。
「俺たち、あの部屋にいただろ?」
「いた」
「こんなの見てねぇぞ!」
「だから言ってるだろ」
藤田が答える。
「俺は何もしてない」
「どうせ、これ合成なんだろ?」
「違うって」
「じゃあ何なんだよ!」
「何も無い所をカットした以外は、そのままだ」
藤田がスマートフォンを掲げる。
「動画編集したのは、何もないところを切っただけ。音も加工してない」
「……」
「な?」
藤田が少し笑った。
「凄いだろ」
「凄いじゃねぇよ!」
石上が怒鳴った。
「洒落にならねぇぞ!」
「お前らも乗り気だったろ!」
「そういう問題じゃねぇ!」
神崎も声を荒げる。
「藤田! どうしてくれるのよ!」
「だから俺だけのせいじゃねぇって!」
「こうなるなんて、思わなかったんだよ!」
五人の間に険悪な空気が流れる。
慎二は二人を眺めながら。
ふと。
智美に目を向けた。
「……磯山?」
「……」
智美は答えなかった。
画面を見ている。
その顔は。
いつも以上に青ざめていた。
「どうした?」
慎二が聞く。
「……あの放送」
智美が小さく呟いた。
「え?」
「あの放送……ずっと聞こえてた」
「……」
慎二は意味が分からなかった。
「ずっと?」
「あの部屋に入ってからずっと。
病院から出るまで」
智美は画面から目を離さない。
「誰も気付いてなかったけど」
「……何で言わなかったんだよ」
慎二が聞く。
智美は少しだけ俯いた。
「言っても……」
「誰も信じないと思ったから」
「……」
その言葉に。
慎二は何も返せなかった。
藤田が口を挟む。
「じゃあ、やっぱり現地で聞こえてたってこと?」
「うん」
「何て言ってた?」
「分からない」
智美は首を振った。
「ずっとノイズが混ざってたから」
「でも、何か聞き取れたんだろ?」
「……最後のほう」
「何?」
智美が動画の最後を指差した。
「さっきの……」
スマートフォンから。
もう一度。
小さなノイズが流れる。
――ザザッ……。
『……、……み……る……室……ます』
「……」
智美が呟いた。
「これ」
「何?」
「ずっと、同じだった」
神崎が智美を見る。
「……怖いこと言わないでよ」
「ごめん」
智美は小さく謝った。
石上が頭を掻く。
「……もう消せよ、この動画」
「俺もそう思ってる」
藤田が言った。
「でも、もう結構拡散されてる」
「コメントもどんどん増えてる」
「じゃあ消しても意味ないじゃん」
広場では。
蝉が鳴いている。
夏の日差し。
大学生たちの笑い声。
このときの五人は、まだ知らなかった。
あの動画が。
ただの心霊動画ではなかったことを。
そして。
あの廃病院で見つけたものが。
もうすでに。
自分たちのところまで来ていることを。
この後、あんなことになるなんて。
――誰も知る由もなかった。




