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ビカットマン  作者: 蟹谷梅次
1 序章
3/49

3

 どうやらあと少し病院に運ばれるのが遅ければ死んでいた、というような出血の量だったらしく、彼は天井を見あげながら、「死んでなかったのか」と呟いた。


 見舞いには誰も来なかった。


「そりゃあそうだろうな」とは思いつつ、「善意の行動に見返りを求めるのもな」とはわかりつつ、少しイラッとする。


 社会的なルールやマナーは守らねばならない。


 それが、「自分は無害ですよ」「自分は誰も攻撃しません」とアピールするための唯一の方法だからだ。


 もし、不本意ながらも助けられたのならば「ありがとうございました」と言いに来るべきだ。


 本人はさすがに外に出るのもあれだろう。


 ならば親だの兄弟が顔を見せに来るのが常識ではないのか、と考えるが、そこまでの恩ではないのだろう。


 人間がわからない。


 昔から人間がわからない。


 本当に、お話にならないくらいマジでなんにもわからない。


 これは親にも兄弟にも、誰にも打ち明けていないことである。


 小さい頃に他者との違いを自覚してから、「普通の人間ノート」というのを作り始めた。


 実物は、家のクローゼットの上の段ボール箱の一番下に隠してあるので、心のなかでそれを思い浮かべ、想像上に書き殴る。


 今日の経験をもとに。


 《誘拐未遂を阻止してもらえた場合や、それと同等の騒動を鎮めてもらえた場合に感謝の言葉はかけなくてもよい》


 七月二十一日、日曜日。


 身体が十分動くようになったので、散歩をしてみることにした。


 病院内の談話室のようなところにおいてあるテレビで、あの誘拐未遂の事が話してあった。


 犯人はどうやら頭のおかしい団体のメンバーらしい。


 その団体が「イザマニクヒコ」という存在に生贄に捧げるために新沼朝飛を誘拐しようとしたのだというが、なぜ彼だったのかはわからない。


『ここまで放送できるのか……』


 朝飛の名前は伏せられていたが、団体の信仰しているだろう対象のことはずっぱりと言い切っていた。


 しかし、団体の実態は未だつかめていないそうだ。


 それをボケーッと眺めていると、警官がやってきた。


「君のお手柄だよ」

「そんなことはないです。助けを呼ぶ声が聞こえたから駆けつけることができたんです。私は、求められた事をしたまでです」

「立派な人だ」

「…………」


 頭の悪いお世辞だ、と思った。


 彼はそれを軽く流す。


「それじゃあ、私はこれで」

「いや、待ってくれ。尾島(おじま)……」

「すいません。本名、しっくりこないのでその名前で呼ばないでください」

「しかし」

「頼みます。なんだかムズムズするんです」

「……わかった。何と呼べばいいだろう」

「明後日までには考えておきます」

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