06 消えてゆく人々
警視庁西東京署に、『女房が昨日から帰ってこない』という初老の男からの通報が入ったのは、木曜日の朝のことだった。
この通報の他、受験生の娘が塾から帰らない、夫が職場に行ったはずなのに、もう4日行方不明だ、といった『自発的失踪』とも採れる形での失踪の通報が相次いでいる。
生活安全課の女性警官、大神月光は調書のファイルを机に放り投げて、大きくため息を吐いた。
「あー……もうマジやってらんない……何なのマジで、消え過ぎじゃない?」
美しい清楚なお嬢様のような顔に似合わないセリフを吐いて、ペットボトルのコーヒーを豪快に一気飲み。
「大神さん、荒れてますね。どうしました」
「あ、熊川警部補、お疲れ様です……や、あの、ホントもう勘弁して欲しいっすよ。何なんスかマジで、この失踪の多さって」
「恐らくですが、歓喜観音会絡みでしょうね」
「あぁ、例のガンギマリ観音会っすか」
「歓喜、観音会です」
「同じっすよ、アムリタだかアンミカだか知らないっすけど、MDMAキメてラリってる連中っすよ。ガンギマリで充分っすよ」
熊川は思わず苦笑する。
大神は、いわゆる『黙って立ってれば美人』なタイプだが、実は恐ろしく手が早く、おまけに『米国TVドラマの24やXファイルにあこがれて警察官になった』という、ある意味危険人物だ。
戌井とは警察学校の同期で、戌井のことを『ワンちゃん』と最初に呼び始めたのは大神である、というのは西東京署では割と有名な話である。
警察官になってから今まで発砲した経験はないが、業務上いつか言ってみたいセリフが『両手を頭の後ろ組んで跪けこの◯◯◯野郎』という、変にアメリカかぶれした尖った人物である。
「今月だけで失踪の通報が8件っすよ? 8件! 8件って言ったら——」
「8件と言えば?」
「……8件っすよ! もうホントにガチのマジであり得ないっすよ! どこ行ったって言うんすか!」
「それを調べて探すのが、私達の仕事です」
はぁ、と忌々しげなため息を吐いて、長い髪をばさ、と大きく捌いて伸びをする。
身長175センチの長身に、グラドル並のスタイル、さらに長いストレートの黒髪に知的にメガネをかけた外見は、いかにも深窓のお嬢様のようだ。
いかにもアフタヌーンティーを優雅に楽しむか、そうでなければ和服を着て『一服差し上げます』と優雅に抹茶を点てていそうな雰囲気である。
が、同期の戌井から『外見詐欺罪だろ』と言われるほどのギャップを誇る大神は、好きな飲物はエナジードリンクと酎ハイと焼酎にテキーラと、かなりの酒豪であり酒好きである。
警察官ながら公然と『酒の一滴は血の一滴』と語り、若手の警察官からは『姐さん』と呼ばれている。
仕事の上ではずば抜けて優秀ではないが、どちらかというと警察官としては凡庸、中庸といったところだ。
「熊川警部補、例のガンギマリ——」
「歓喜観音会ですね」
「……その観音会、本部が登記されてる住所に住んでる猿渡っていうバアさん、しょっぴけないんすかね」
「戌井くんが事情聴取に行っていますが、まぁ任意同行を『お願い』するくらいしか出来ないでしょうね。味方によっては、その猿渡さんは被害者の側ですから」
「や、でも信者っすよ?」
「信者全員が極悪人というわけじゃありません。それより大神さん、昨日までの時点だと、たしか今月の失踪は7人だったと思いますが」
「あぁ、今日も1件来たんすよ」
メガネをかけ直して片眉を跳ね上げ、机の上の書類をばさばさと捌いて、1番上のコピー用紙を熊川に差し出した。
「……鯖江孝子、54歳主婦、八王子市内で、ご主人からの通報ですか」
「なんかやたら喚き散らすオッサンでウザいったらありゃしないっすよ。多分、単純に奥さんに愛想つかされて実家に帰られちゃっただけッスね」
「大神さん、予見は良いですが予断はよくありません。通報者の方とはどんな話を?」
「あぁ、確か——」
通報者、鯖江満は58歳の自営業の男だ。
個人で家電メーカーと提携した小さな電器屋を経営している、いわゆる『街の電気屋さん』だ。
通報者本人の供述では、彼はコロナ禍で経営が危機に陥ったものの何とか持ち直し、最近はエアコンの取付などで仕事は増えていたという。
妻の孝子は経理や事務を担当し、仕入れや販売、設置や修理などは満が担当する形で、もう20年以上店を維持し続けている。
満が言うには、確かに過去に浮気をしたことはあるが、ただの遊びだった。最近は親の身体も弱り認知症も進んで来たが、全て孝子にまかせていた。
自分は外できつい仕事をしている。還暦前の年齢で、エアコンを持ち上げて設置するのがどれだけきつい仕事か、妻は解っていない。
パチスロに行くのも飲みに行くのも、仕事への英気を養うための必要経費だ。そこを理解しない妻を持ってしまった自分は不幸だ、というのが聴取した内容だ。
「——だそうッスよ。これ絶対奥さんに逃げられただけっすよ。普通に店の仕事してんのに? 家事も? 親の介護も? 何もかも押し付けて自分はパチンコやって飲み歩いて。サイテーじゃないっすか」
「まぁまぁ、それが事実だとしても、通報してきたということは奥様のことを心配しておられるんじゃないですか」
「いや、絶対違いますって。話ししてるときの顔見た感じだと、アレ絶対親の介護を押し付ける相手がいなくて困ってるだけっすよ。賭けても良いっすね」
やれやれ、と苦笑しながら熊川は再び書類に目を落とした。
そこには、通報者である夫の満の言葉が記されていた。
「最近妻から、白檀のような変な臭いがするようになった。色気づいている。浮気をしているのではないかと疑っている……ですか」
八王子市内で電器店を営む鯖江満は、この時まだ気づいていなかった。
失踪した妻、孝子が店と家の銀行口座から、残高をほぼ全て引き出してしまっていたことに。




