39 裏の顔
「宏子!」
「ヒロくん……」
東京都内にある、とある一軒家の玄関で、顔立ちのよく似た男女がひしと抱き合った。
数分もの間、じっと抱き合ったまま動こうともせず、言葉も交わさずにただお互いの温もりを確かめ合うかのように、しっかりと抱擁を交わし続けた。
「ごめんなさい……私、あの、ど、どうしても、ヒロくんが……自分を削り続けて、無くなっていくのが耐えられなかった……」
「分かってる。全部分かってるよ。双子なんだから。大丈夫。そんなことより宏子は大丈夫だったか? なにか警察に酷いことされなかったか?」
「ずいぶんと人聞きの悪いことを言ってくれるな、鵜殿宏和。それに鵜殿宏子」
一軒家の玄関ドアを閉めたのは、初老の鋭い目つきの男。
警視総監の龍ケ崎憲司郎である。
「念のために繰り返すが、これは取引だ。お前達2人には、今後警察に全面的に協力してもらう」
「良いのか? バレたら警察全体を揺るがす大スキャンダルになるぞ」
「その大スキャンダルとやらも、抑え込める目処がたったからな。鵜殿宏子、お前にも協力してもらう」
「ひ、ひぃ……あ、あの、あっ、ごめ、ごめんなさい、すみません……」
宏和は宏子をかばうように前に立ちはだかる。
相変わらず、宏子は身内以外の成人男性を見ると怯えて声が出せなくなってしまう。
「宏子が協力する条件は、俺が窓口になること。だったよな? 警視総監さん?」
「あぁそうだ。お前が開発したAI『ガネーシャ』の力を借りることになる。インターネットの広範囲を同時にハッキングできるような、とんでもないものを作り出してくれたからには、正しく使わねばならんからな」
警察による家宅捜索では、宏子が愛用していたハイエースは押収されている。
が、そこには『烏丸』も『ガネーシャ』もいなかった。
「神はどこにもおらず、同時にどこにでもいる、か……うまく出来たものだ。クラウド上のサーバで複数稼働させていれば、実体など無いも同然。それでいて世界中からいつでもアクセス出来る、というわけか」
「うまく出来てるだろ。宏子は天才だ」
「あぁ、業腹だがそこは認めざるを得ん。それに、天才というなら鵜殿宏和、お前の方が私にとっては恐ろしい。取調べした警官を短時間で洗脳するとはな」
「洗脳じゃない。ただ話を聞いて、『仲良くなった』だけだよ。まぁ、4人もプロポーズしてきたのには流石に驚いたけどね。警察っていうのはずいぶん息が詰まる組織みたいだな」
「当たり前だ。警察はそういうものだ」
プロポーズ、という言葉に反応してか、宏子は不安げな顔で弟の美しく整った顔を見上げる。
宏和にとって、美しい容貌は必殺の武器だった。
整った顔立ちに、低く優しくそして甘く異性の心のカギを溶かしてしまう声は、天が与えた最強の武器と言える。
加えて磨き抜かれた話術に、人の心理の微妙な変化を見抜く眼力と知識が組み合わされれば、短時間で人の心の奥底まで潜り込める、最強の『人たらし』が完成する。
各国がスパイとして潜り込ませる人材には、宏和と同じような素養を持つものが多い。が、宏和のレベルは日本にとって非常に危険な超大国が数多く送り込んでいるスパイ達を軽く凌駕していた。
「お前らの罪は罪だ。それ自体無かったことにはならん。だが、取引することは出来る。2人のその類まれな天禀を、我が日本国のために役立ててもらうぞ」
「それが、俺達姉弟が離れ離れにならず暮らせる代償、ってわけか。歓喜観音会はどうなる」
「あの団体なら、もうお前らがいなくても回るだろう。『烏丸』がいればな」
歓喜観音会のメカニズムは、すでに宏子から警察に明かされていた。
現在、奥多摩で捜索が入った拠点と、秩父の山奥の拠点では合計千人の信者が共同生活を送っている。
彼らを導いているのは、AIの烏丸だ。だが、現状烏丸は別のアバターを使い、別の名前を名乗っている。
「烏丸に鳩ヶ谷妙見を名乗らせるようにしたのは、鵜殿宏子、お前だな」
怯えたような表情で、宏子が宏和の背中に隠れたまま小さく頷いた。
烏丸が信者たちに姿を表したのは、警察による家宅捜索の日の夜のことだ。
教団施設内の全てのモニターに、宏子が演じていた「鳩ヶ谷妙見」の姿が現れた。
『教導師は、解脱のための修行をしなければなりません。今回の事は修行の一貫。皆は心穏やかに、一人でも多くの衆生を救うために甘露を作るのです。それこそが、皆を涅槃に導く功徳になるでしょう』
その言葉に、ある者は涙を流して手を合わせ、またある者は感涙にむせび泣いて額を床に擦り付けていた。
アムリタの在庫は、全て家宅捜索前に処分が完了している。
状況証拠だけは揃っていたが、警察は歓喜観音会の立件に難航していた。
結果、教導師である鵜殿宏和は大麻取締法違反および未成年者略取の罪で起訴され、有罪の判決を受けたことになっている。
「それに、うまくやったものだな。警察が押収した証拠からは大麻成分が検出されただけだ。MDMAの痕跡をよくもまぁこれほど見事に消せたものだと、科捜研も感心していたぞ。薬物を作れるラボで作っていたのが、まさかただのウィスキーボンボンだとは思わなかった」
「甘い物と酒は、人を幸せにするからな」
とぼけたセリフを吐いて、宏和は警視総監の龍ケ崎を真正面から見返した。
「最後に教えてくれ。お前たちの、歓喜観音会の目的は何だったんだ」
数秒の沈黙。
大きな深呼吸のあと、宏和が口を開いた。
「宗教家の目的なんて決まってるだろう。悩み苦しむ衆生の救済だよ。それ以外に何がある」
「……そうか、そうだったな。お前らは宗教家だったな……」
まるで宏和に続くかのように、龍ヶ崎も大きく吐く。
「お前らは別々に収監されたことになっている。名前も替えてもらうぞ。米国の証人保護プログラムを模倣したものだが、日本ではまだ試験運用中だからな」
「俺達はていの良い人柱か?」
「あぁそうだ。毎日居場所を確認させてもらう。それにスマホのGPSで追跡している。逃げようなどとは思うなよ。鵜殿宏和、お前は明日警視庁本庁の交渉係に公安外事の連中との面談。鵜殿宏子、お前も協力してもらう。本庁のサイバー特捜との打ち合わせに出てもらう。話せなければ筆談で構わん」
一気に、かつ一方的に言い切ると、龍ケ崎は回れ右をして玄関のドアノブに手をかけた。
「お前たちは救済のつもりだったかもしれんがな、大勢が巻き込まれた。死人も出ている。責任は取ってもらうぞ」
有無を言わさぬ言葉を残して、龍ケ崎は一軒家を後にした。




