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35 寄り添う女

 チーママ伊立は、ちらりとキッチンに視線を向けてから、カウンターに身を乗り出して店の奥、熊川や鶴岡、木常ママへと顔を向ける。


「そのお姉さんの、宏子さんだっけぇ? その人の気持ち、分かるよぉ。もし私がその宏子さんの立場で、弟を止めたいって思ったとしたら……同じようなことしちゃうかなぁ。それかブン殴って骨の3本くらいへし折って止めるか」

「え、チーママ、気持ちわかるデすか?」

「うんうん。分かるなぁ。ま、完全に分かるかって言われたらちょっと違うかもだけど。やっぱねぇ、身内の年下の男の子がやらかしちゃった時って、その子が真面目で一途なほど『私が何とかしてあげたい』って思っちゃうのよねぇ。それにさ、仲が良ければいいほど、姉から見た弟って『護ってあげなきゃ』って思うモンなの。おねーさん分かるなぁ」


 一人納得したように繰り返し頷くチーママは、ふぅ、と大きくため息を吐いた。


「ほら、寅ちゃんがさ、試合でやらかしちゃった時もそう思ったもん」

「おいマコ姉」


 美真と真理亜はキョトンとした表情で、珍しくキッチンから顔をのぞかせて声を出した寅之介に視線を向ける。

 寅之介は、数年前総合格闘技の選手であった時、試合相手の生命を事故で奪ってしまった経験がある。

 この件は『両者合意のルールの元で行われた試合中の不幸な事故』として寅之介が罪に問われることはなかったが、この件がきっかけで寅之介は競技を引退することになった。

 以来、チーママ伊立の伝手で、このスナックFOXでバーテン兼用心棒、さらに真理亜のボディガードも務めるようになっている。


「えっ? トラ兄ちゃん、『マコねぇ』ってどゆこと? えっ?」

「あれぇ? 真理亜ちゃんにも言ってなかったっけ? 寅ちゃんて私の甥っ子。私の弟の息子だよ?」

「えっ? 嘘? お姉ちゃん、私聞いてなかったけど?」

「チーママ、私も初めて聞きマした!」

「え? 嘘ぉ、みんな知らなかったのぉ? だってほら、寅ちゃんてフルネーム『伊立寅之介』だよぉ? 伊立なんて苗字珍しいから、みんな知ってると思ってたけどぉ?」


 美真と真理亜は揃って首をブンブンと横に振る。

 ついでとばかりに、鶴岡も驚きの表情だ。


「いやぁ、チーママが寅ちゃんの伯母さんだったっていうのは、僕も初めて聞いたねぇ……ママは知ってたの?」

「もちろん知ってたわよ。ジャネットもね。真理亜、あんたジャネットから聞いてなかったの?」

「き、聞いてない……ってねぇお母さん? 何で教えてくれなかったの?」

「だってあんた聞いてこなかったじゃないの」


 にべもない返事の見本のような答えがキッチンから帰ってくる。


「ちなみにね? 寅ちゃんに関節と絞め技教えたのもぉ、わ・た・し♡」

「い、いや、私♡じゃなくてさお姉ちゃん……そういう大事なこと、もっと早く言ってよぉ……」

「やー、ゴメンゴメン、みんな知ってると思ってた。ま、そういうワケでさぁ、私にはその宏子さん? だっけ? その人の弟を思う気持ち、わかるなぁ」

「……てかさお姉ちゃん、トラ兄ちゃんって今21じゃん……そのお父さんのお姉さんって事は……」

「はいストップ真理亜ちゃん。水商売やってる女の歳の詮索なんてご法度だよぉ? 私は、18歳。知ってるでしょぉ?」

「い、いや、21歳の甥っ子がいる18歳て」

「ありえない話じゃないよ? ほら、ジョジョだっていたじゃん、第何部だっけか?」

「いや、私ジョジョ知らないし、それにお父さんのお姉さんな時点でありえないじゃん……ってかジョジョをリアタイで見てたってことは、やっぱお姉ちゃん——」

「真理亜ちゃぁん? 長生きしたいよねぇ? どうするぅ? また寝技の稽古で私におもらしするまでヒィヒィ言わされたい?」


 氷のような笑みを満面に浮かべてチーママが真理亜の頬をつつくと、あっさりと真理亜も引き下がった。


「ま、それは冗談としてぇ、その宏子さんが弟さんを止めたいと思って警察に助けを求めてきたんでしょ? なんていうかこう、スジ通ってる気がするのよねぇ」

「そ、そう、ですか……」


 熊川もさすがの展開に、なかなか理解が追いつかない。

 

「そうそう。それにさ? 『私が全部悪いんです、この子は悪くないんです』って、私も言ったことあるもん、そのセリフ。寅ちゃんのときもジムの人に頭下げたもん、技を教えた者の責任としてさ。姉にとってはね、弟とか甥っ子とか、どうしても可愛くて護ってあげたくなるモンなのよぉ。どんだけデカいオッサンになっちゃっても。ねー? 寅ちゃん?」

「マコ姉、喋りすぎだ」

「やぁん、怒んないでよぉ。ゴメンってば、今度一緒にお風呂入ったげよっか?」

「要らねぇ」

「何よぉ、ちっちゃいときはおむつ替えてあげたりお風呂入れてあげたりしたのにぃ。寅ちゃん、私のおっぱい吸ったことだってあるのにぃ」

「知らねぇ」


 キッチンからの無愛想な声に、困ったような、本当に『年の離れたヤンチャな弟を見守る姉』のような笑顔を浮かべ、真理亜と美真に向かって『ねー?』と謎の言葉をかける。

 あやうく美真が『チーママ、歳、計算……オッパイ吸わせたって……歳の差……』と口走りそうになったのを、隣から真理亜が慌てて美真の口を手で塞いだ。


「美しい姉弟愛——なんだけど、まぁ手段がヤバ過ぎた感じ? なのかな?」

「そうですね。いずれにせよ……FOXの皆さんには色々とご協力いただきまして、本当に助かりました。ありがとうございます。もう少しで、八王子近辺での薬物の流行も、失踪事件もある程度は片付きそうです」

「そうだねぇ。ま、でも気を抜かないようにねぇ。信仰心を持った人間は、いざ追い詰められると何をするか分からないからねぇ」


 鶴岡はいつもの口調でそう言うと、いつもの好々爺の笑みを浮かべる。


「はい、ありがとうございます。それじゃあそろそろ——」


 熊川はゆっくりと立ち上がり、天井に軽く頭をぶつけてからのそのそとカウンター席の後ろを通りドアへと歩いていく。


「次は、歓喜観音会の事件が片付いてから、また戌井と大神を連れて呑みに来ます。しばらく忙しくなりそうです」

「そうね。次はちゃんと営業時間に、お客様として『帰って』きてちょうだい。柿ピーくらいならサービスするわよ」


 はは、と軽く笑った直後、熊川は引き締まった表情で機敏に敬礼の姿勢を取る。


「では、行ってきます」

「行ってらっしゃいクマさん。くれぐれも気をつけて。また帰って来るのよ」


 木常ママの言葉にうなずきを返して、巨漢熊川は店を出ていった。

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