00 プロローグ いつものお店、いつものメンバー
こちらの作品は、シリーズ「スナックFOX ~木常ママの事件簿~ 歓喜の妙薬編」の続編となります。
また、前日譚としてショートショート「濡れ衣」からお読み頂くと、より一層お楽しみ頂けます。
前日譚の「濡れ衣」、1作目の「歓喜の妙薬」編も公開していますので、是非お楽しみ下さい。
「あ、いらしゃいマせ、お帰りなサイ、タヌキさん」
少しばかり癖のある日本語で出迎えた若い女は、嬉しそうな笑顔を浮かべてドアを開いた中年の男を出迎えた。
「や、ただいまミマちゃん。早速だけハイボール、レモン入れてね」
「ハイ」
源氏名でミマちゃん、と呼ばれた嬢は本名を白美真という。中国は四川省の出身で、名門四川大学を卒業後に日本に留学、薬学部の3年生として日々勉学に励みながら、スナックFOXでアルバイトをしながら学費と生活費を稼いでいる。
日本で薬剤師として働くことを目指している苦学生、美真を『ミマちゃん』と呼んで贔屓にしている中年の男が、店の常連の一人だ。
タヌキさん、と呼ばれた男は実際に本名が『田貫』であり、見た目も『なんとなくタヌキっぽい』と評されるほどのタヌキっぷりである。
「あら、お帰りなさいタヌさん。今日遅かったじゃない。馬渕さんは一緒じゃないの?」
ひとりだけ、着物を慣れた様子で少し着崩した妖艶な美女が歩み寄ってきた。
いつもサービスで出している柿ピーを入れた小皿を田貫に差し出した怪しげな美女こそ、このスナックFOXのオーナーママ、木常珠代。
年齢不詳、素性不明と謎が多く、博識な美女である。
「いやぁ、マブちゃんは用事があるみたいでね。ママとジェニーちゃんによろしくってさ」
「あら、やっぱり若い子にはジェニーは大人気ねぇ。やっぱりアレかしら、男の子ってジェニーみたいな子が良いのね」
「まぁどうだろうねぇ? マブちゃんとはそういう話はあんまりしたこと無くってさ」
田貫の職場の部下である馬渕が、とある新興宗教団体が引き起こした拉致事件と薬物密造事件に巻き込まれたのは、この年の夏のことだった。
事の発端は、馬渕の父、陽一が新興宗教『歓喜観音会」に入信したあげく失踪、さらには合成麻薬を用いた洗脳を受けて自身の名前すら忘れ、教団にとって都合の良い『運び屋』として7年間、奴隷のように扱われたことだった。
「馬渕さんも忙しいのね。お父様の件とかは片付いたのかしら?」
「うん、まぁね。納骨も済んだらしいんだけどね。いやぁやっぱ薬物って怖いよねぇ……ミマちゃん、マブちゃんの親父さんだけどさ、火葬したときにほとんどの骨が崩れちゃってたんだってさ……頭蓋骨も何もかも、ボロボロだったって」
「そうナると思いマす。だってMDMAって人体へのダメージが……えっと……あのー……エグい?」
「ミマちゃん、その言葉誰に教わったの」
苦笑しつつ、田貫はほぼ無意識に店の奥へと目を向ける。
その先には、まるで『夜の蝶のコスプレをした中学1年生』のような童顔に、子供のような小柄な体格の女が座っていた。
隣には、田貫と同様にこのスナックFOXの常連でほぼ毎夜毎晩通い詰めている、小柄な老人が白ワインを傾けている。
「えー何ぃタヌさぁん? ミマちゃんの前でそんな、私をケダモノみたいな目で見てぇ。ヤらしー」
「うん、絶対さっきのはチーママに習ったんだな。だよね? ミマちゃん?」
「ハイ、チーママと、あと真理亜ちゃんに」
「たはは、やっぱりだった」
小柄な女は、この店のチーママ伊立麻子、そして伊立が慣れた手つきで白ワインをグラスに注いでいる老人は、ニコニコと穏やかそうな笑顔を浮かべているのは常連の鶴岡慎太郎。
にこやかな笑顔と、いつも穏やかで物腰柔らかな言葉遣いからは想像もできないが、彼はかつて日本を二分した広域暴力団の東側を支配した『鶴岡会』の初代会長、つまりはヤクザの大親分という立場である。
だが、スナックFOXの関係者でそのことを知るのは、ママの木常とチーママの伊立の2人だけだ。田貫や美真、ジャネットに寅之介は鶴岡の事情を知らず、当然『ただの常連』でしかない田貫も鶴岡は『常連仲間のただの年金生活を送る老人』と思っている。
「ツルさん、ミマちゃんが変な日本語覚えちゃうよ」
「あちゃぁ、それでかぁ。こないだもねぇ、『草しか生えない』とか言ってたしねぇ。アレもチーママ?」
「ハイ、チーママに教わりマした。凄く面白い、っテいう意味デスよね?」
「うん、まぁね。あの——ミマちゃん、そうなんだけど、あんまり良い日本語じゃないからね?」
チーママが教えるスラングのセンスが絶妙に最新トレンドからズレているのは、チーママ伊立のセンスに依るものだ。
「大学でもソレ古いヨて言われマした」
「まぁそりゃあね、だってチーママはアレだから」
「えーアレって何よぉタヌさん」
「ほら、ね? チーママはさ、歳が——」
「18歳。やだぁもうタヌさんたら知ってるクセにぃ」
突如店内の空気が冷たくなる
チーママ伊立、源氏名マコが年齢を尋ねられたときは、必ず『18歳』と答えている。
田貫がFOXに通い始めて5年経つが、マコはその当時からずっと18歳を名乗り続けていた。
店の一番の古株である鶴岡ですら、伊立の年齢を18歳としか聞いていない。
ここをあまり深く追求して、伊立の実年齢を知ろうとするのであれば、相応の覚悟が必要となるであろうことは、ほぼ店の共通認識のようなものだ。
「ほらほらチーママ、お店の中で殺気出さないの。タヌさんも、今度是非また馬渕さんも連れてきてちょうだい。水曜日はフード割引デーにしたから。ね? ジェニー」
「そうそう。馬渕さん、独身で一人暮らしなんでしょ? 家庭料理とかあんまり食べないんじゃないかしら。私の料理になっちゃうけど、また今度是非食べに来てって伝えてね?」
「あぁ、マブちゃんも喜ぶよ。なんか普段あんまマトモなもの食ってないっぽいからさ。水曜に連れてくるよ。ミマちゃんは水曜日入ってるんだっけ?」
「ハイ、基本毎週月曜、火曜、水曜と、アと、えっと……星期五はなんデしたっけ……」
「星期五は金曜日だね」
田貫は、ミマと会話をすることだけを目的に中国語を勉強している。
と言っても、スマホアプリで無料のレッスンをしている程度だが、それでも故郷を遠く離れ、慣れ親しんだ言葉も使えない環境にいるミマこと白美真にとっては、田貫との会話はいっときとはいえ安らぐことの出来る心のオアシスである。
「そうデした、金曜日、それと土曜日も入てマす」
「週5かぁ、大変だねミマちゃんも。何か困ったことあったら言ってね? 私で力になれることがあったら協力するからさ?」
「タヌキさん……嬉しいデす……やっぱりタヌキさん、優しいデすね」
にこ、と本当に嬉しそうに微笑んだミマの笑顔に、相変わらずカピバラのように鼻の下を伸ばして、ハイボールのグラスに手を伸ばす。
スナックFOXの、いつもの光景であった。




