第4話 同じ室内
図書室には、話しかけない人たちがいる。
でも、毎日同じ場所にいるうちに、少しずつ距離が変わっていく。
これは、まだ名前のつかない関係の話です
女子生徒は、約束通り翌日も来た。
約束はしていなかった。けれど来た。
志乃が五十二ページを読んでいると、引き戸が途中で止まる音がした。
かかとの足音が入ってきた。書架には向かわなかった。
昨日と同じ椅子を引いた。
昨日より静かな引き方だった。
本を二冊、端を揃えて置いた。
「こんにちは」と女子生徒は言った。
「来たの」と志乃は言った。
「また、来ました」と女子生徒は言った。声に笑いがあった。
それだけだった。
二人はそれぞれ読んだ。
女子生徒のページをめくるリズムは昨日と同じだった。
志乃より速かった。
二十分ほど経ってから、引き戸が開いた。
枠の端まで開ききった。
女子生徒が、顔を上げた。
足音が入ってきた。
つま先に重心がある、均等な足音だった。
鞄がテーブルに置かれた。
一つの音だった。
シャープペンシルが取り出された。
漣は志乃のテーブルより一つ手前のテーブルに向かった。
椅子を引いた。座った。
志乃は五十三ページを読んでいた。
沈黙があった。
女子生徒が、また顔を上げた。漣の方向を見た。
それから志乃の方向を見た。志乃は読んでいた。
女子生徒は本に戻った。
「……ここ、よく来るんですか」と女子生徒は言った。
志乃に言っていた。
「来る日は来る」と志乃は言った。
「その人も?」
志乃は顔を上げた。
漣の方向を見た。
漣はノートに何かを書いていた。
志乃の視線に気づいた。
シャープペンシルが止まった。
「俺?」と漣は言った。
「来る日は来るらしい」と志乃は言った。
漣は女子生徒の方向を見た。
女子生徒は漣の方向を見ていた。
二人の視線が一瞬交差した。
「……知り合い、ですか」と女子生徒は志乃に言った。
「知らない人ではない」と志乃は言った。
「なんか失礼な言い方」と漣は言った。
「正確な言い方よ」
「まあ」と漣は言った。
女子生徒が、小さく笑った。
声の出ない笑い方だった。口の端だけが動いた。
「私は陽葵といいます」と女子生徒は言った。「一年です」
女子生徒が名前を告げた。
志乃は読んでいた。
「あなたは」と陽葵は言った。
「志乃」と志乃は言った。ページから目を上げなかった。
「志乃さん」と陽葵は繰り返した。確認するように言った。
「さんはいらない」
陽葵が少しの間、黙った。
「……志乃」と陽葵は言った。今度はさんがなかった。
「なに」と志乃は言った。
「なんでもないです」と陽葵は言った。また笑いが声にあった。
漣がシャープペンシルでテーブルを一度叩いた。
考えるときの動きだった。それからノートに戻った。
三人が、それぞれ自分のことをした。
志乃は読んだ。
漣は書いた。
陽葵は読んだ。
ページをめくる音が、二種類のリズムで重なった。
日が傾いた。
光が書棚の背表紙を橙に焼いた。
上半分だけが光り、下半分は影だった。
三人の影が、それぞれ違う方向に伸びていた。
漣が先に立った。
「じゃあ」と漣は言った。
志乃は読んでいた。
「また」と志乃は言った。
漣の足音が遠ざかった。
ドアが開いた。
閉まった。
陽葵がその方向を少しだけ見た。
それから志乃の方向を見た。
志乃は読んでいた。
「……変わった人ですね」と陽葵は言った。
どちらについて言ったのかは、わからなかった。
「そうかな」と志乃は言った。
「志乃さんもそうですけど」
「さんはいらないと言った」
「志乃も、そう」と陽葵は言いなおした。
志乃はページをめくった。
右手の指が、紙の繊維が逃げる程度の力で、ページを押さえた。
窓の外の松林が、ゆっくりと揺れた。
今日は長く揺れた。
人は、言葉より先に“空気”を覚えることがあります。
陽葵はたぶん、図書室の静けさを学び始めています。
そして志乃も、まだ気づいていない形で変わり始めています。




