第15話 三つの静止
変わらないはずだった図書室に、いつの間にか三人分の気配が定着していた。
ページをめくる音と、シャープペンシルの音。
十月の光の中で、それぞれの距離だけが少しずつ変わっていく。
三人が揃った日があった。
陽葵が最初に来た。
志乃のテーブルに、端を揃えて本を置いた。
栞を挟んだ方を開いた。
志乃は九十七ページを読んでいた。
漣が来た。引き戸が枠の端まで開ききった。
足音が入ってきた。
一つ手前を通り過ぎ、一つ奥のテーブルへ向かった。
椅子を引いた。シャープペンシルを出した。
陽葵が顔を上げた。漣を見た。
「久しぶりですね」と陽葵は言った。
「そう?」と漣は言った。「先週来たけど」
「そうでしたっけ」
「志乃がいた」と漣は言った。
「私はいつもいる」と志乃は言った。
漣が、何か言いかけたが、言わなかった。
シャープペンシルでテーブルを一回叩いた。
ノートを開いた。
三人は、それぞれのことをした。
ページをめくる音が二種類、シャープペンシルの音が一種類、重なった。
しばらく経って、陽葵がページをめくる手を止めた。
「ねえ」と陽葵は言った。どちらにとも、どちらにでもなく言った。
「なに?」と志乃は言った。
「なに?」と漣は言った。
少しの間があった。
「なんか、おかしくないですか」と陽葵は言った。
「三人で同じ場所にいるの、普通になってる」
「おかしくはない」と志乃は言った。
「俺もそう思わない」と漣は言った。
「そういう意味じゃなくて」と陽葵は言った。
「なんか、いつの間にかそうなってたなって」
「いつの間にか、ではない」と志乃は言った。
「じゃあいつから?」と陽葵は言った。
志乃はページを一行読んだ。
「陽葵が最初に来た日から」と志乃は言った。
「それって」と陽葵は言った。「私が来たから?」
「来たから来る日が続いた」と志乃は言った。「それだけだ」
漣がシャープペンシルでテーブルを叩いた。
今日は二回だった。
「俺は」と漣は言った。「最初から来てたじゃん」
「来ていた」と志乃は言った。
「それは認める?」
「事実ね」
「なんか」と漣は言った。「そういうとこだよな」
「どういうところ?」
「うまく言えない」と漣は言った。
陽葵が、声の出ない笑いをした。
息だけが、図書室の空気に混じった。
「志乃って」と陽葵は言った。「変わらないですよね」
「変わる理由がない」と志乃は言った。
「私は変わった気がする」と陽葵は言った。
「漣も?」
「……まあ」と漣は言った。窓の外を見ていた。松林の方向だった。「そうかもな」
しばらく、三人とも何も言わなかった。
ページをめくる音がした。
陽葵のリズムだった。
それから漣がシャープペンシルを走らせた。
志乃は九十八ページを読んだ。
窓の外の光は、十月の深い角度だった。
松林の黄みが、今日はさらに濃かった。
書棚の橙が、上半分から三分の一まで狭まっていた。
「志乃は」と漣は言った。「変わった?」
志乃はページを読んだ。
「わからない」と志乃は言った。
「変わったかどうかは、外から見ないとわからない」
「外から見ると」と陽葵は言った。「変わってないです」
「俺も同じ印象」と漣は言った。
「なら変わっていない」と志乃は言った。
「でも」と陽葵は言った。「変わってないのに、なんか違う気がする」
志乃は九十八ページの残りを読んだ。
「違うのは」と志乃は言った。「陽葵と漣の方だ」
二人は何も言わなかった。
「変わったのは二人で、私は変わっていない」と志乃は言った。
「だから違って見える」
また沈黙があった。
漣がシャープペンシルを置いた。
テーブルの上に置いた音がした。
窓の外を見た。
「……そうか」と漣は言った。独り言のように言った。
陽葵がページをめくった。
志乃は九十九ページをめくった。
右手の指が、ページを押さえた。
紙の繊維が逃げる程度の力だった。
三人の影が、それぞれ違う方向に伸びていた。
今日の影は長かった。
十月の光の角度が、影を長くしていた。
誰かが変わったから、景色の見え方も変わる。
けれど志乃だけは、自分が変わったとは思っていない。
それでも図書室には、以前とは違う空気が静かに積もり始めていた。




