↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/31

第十七章 張り綱

 灰石(はいせき)の入口の野営地は、ふた月足らずで町になっていた。


 ロウが七層から一人で上がってきた朝、ここには天幕が数張りと、ギルドの出張所の小屋が一つあるだけだった。

 今は、坂の下まで天幕が並んでいた。

 百は超えていた。数えるのを、途中でやめた。

 天幕と天幕のあいだに、屋台が出ていた。焼いた腸詰め。酒。蝋燭。綱(つな)。

 骨の賽を転がす輪があった。

 鍋を叩(たた)いて客を呼ぶ女がいた。


「町じゃねえか」とグレタが言った。

「これ全部、七層ですか」とミモザが言った。

「全部じゃない」とノーラが言った。「七層に降りる連中に、売る連中」


 依頼は、ギルドの出張所からだった。

 二晩、野営地の夜の見回り。荷盗りと喧嘩が増えて、出張所の人手では足りないのだという。見回りは夜半まで。夜半からは、出張所の番が引き継ぐ。

 新人向けの依頼だった。


◇


 出張所の小屋の前に、写し屋が台を出していた。

 板の上に、紙の束が積んであった。

「七層まで、全部書いてあるよ」

 写し屋は、ロウの顔も見ずに、一枚差し出した。

「掲示板の写しと同じだ。字は、こっちのほうがきれいだ。銅貨三枚」


 ロウは、紙を見た。

 縦穴の降り方。縁ごとの綱の長さ。各層の空気。七層の空洞。大穴潜り(おおあなくぐり)、少なくとも六匹。五名のうち、帰還一名。

 自分の手帳から、ギルドが写したものの、そのまた写しだった。


 グレタが、ロウの肩越しに覗いた。

「おい。あんた、自分の書いたもんを、買わされてるぞ」

 写し屋が、顔を上げた。

「……あんたが、書いた本人か」

「はい」

「じゃあ、本人の名前入りで、銅貨五枚にしとこう」

 グレタが、腹を抱えた。


 ロウは、紙を最後まで読んだ。

 六層の縁から七層の底までの、綱の長さの行で、目が止まった。

 ――十二尋(ひろ)。

 手帳には、二十と書いた。

 降りるとき、綱が足りずに一本継ぎ足したから、よく覚えていた。


「ここが、違っています」

 ロウは、指で押さえた。

「十二尋では、届きません。二十です」

 写し屋は、紙を覗きこんで、肩をすくめた。

「写した奴の手が、すべったんだな」

「直してください」

「直すなら、その分、払いな。束ごと書き直すんだ。手間賃がかかる」

 台の上の束は、指一本分の厚さがあった。


「直した一枚を、台の一番上に置いてください。それなら、払います」

 写し屋は、少し考えて、頷いた。

 ロウは、銅貨を三枚置いた。自分の書いた写しの、直し賃だった。


◇


 出張所の裏手に、白い天幕が一つ張ってあった。

 ほかの天幕より大きく、新しかった。

 入口に、帳面を抱えた若い男が立っていた。

 いつかの晩、酒場の隅の卓で、膝に帳面を置いていた男だった。

 天幕の中に、鎧が並んでいた。剣も。盾も。綱の束も。

 入口の板に、「買い取り」と書いてあった。


 ノーラが、その前で足を止めた。

 ほんの一歩分だけだった。

 すぐに歩き出した。

 ダインは、天幕のほうを見なかった。見ないようにしているのか、気づいていないのか、ロウには分からなかった。


◇


 縦穴の口は、二層の崩落跡にあった。

 見回りの範囲は野営地までだったが、ダインが「一度、見ておきます」と言った。


 崩落跡の縁に、杭が何十本も打たれていた。

 綱が、何十本も、下の闇へ垂れていた。

 古い綱。新しい綱。切られて、短くなった綱。


 一本の綱が、震えていた。

 下から、誰かが登ってきていた。

 最初に縁へ手をかけたのは、髭の男だった。

 酒場で、ハインツの剣を卓に置いていた男だった。

 続いて、五人。誰も欠けていなかった。

 六人とも、背負いきれないほどの荷を担いでいた。


「よう。写しの」

 男は、ロウに気づいて、片手を上げた。

「ブルーノだ。この前は、奢りを断られたな」

「……すみません」

「いいさ。見ろ」


 ブルーノの隊が、縁の上に荷を下ろした。

 ロウは、数えた。

 鎧が、四つ。剣が、五振り。籠手が、三組。帯。水袋。兜が、一つ。

 骨の山に落ちたリーネの剣は、なかった。

 鋼の胴鎧も、なかった。

 数え終えて、ロウは、自分の指が震えているのに気づいた。


 ダインが、縁から下を覗きこんでいた。

 冷たい風が、下から吹き上がっていた。

「七層は、どうでしたか」

「暗い。広い。甘い匂いがする」とブルーノは言った。「それと、拾い物がある」

 ダインは、まだ下を見ていた。

「……見てみたいです。一度でいいから」

 ロウは、何も言わなかった。

 ロウも、同じ闇を見ていた。


 ブルーノが、グレタを見た。

 上から下まで。両手剣の柄で、目を止めた。

「あんた、傭兵上がりだろ。次に降りる支度ができるまで、二晩、夜番を頼みてえ。一晩、銀貨三枚」

 依頼一件の一人分の、三倍だった。

 グレタは、ロウたちを振り向きもしなかった。

「乗った」

「グレタさん」とダインが言った。「見回りの依頼が」

「見回りの最中に、ついでに番をする。同じとこをぐるぐる回るより、ましだろ」

 グレタは、ロウの肩を叩いた。

「あたしは金で動くって、言ってあるだろ」


◇


 野営地には、天幕を張る場所が残っていなかった。

 出張所が貸してくれたのは、二人用の天幕が一張りだった。

 グレタは、ブルーノの天幕の横の荷の山で寝ると言った。

 残りの四人で、二人用に入った。


 一晩目の見回りは、喧嘩が二つと、荷盗りが一つだった。

 荷盗りは、ノーラが天幕の陰で足を引っかけて転ばせ、ダインが押さえた。十五か十六の痩せた子どもだった。

 出張所に引き渡した。

 夜半に、出張所の番と替わった。


 ミモザが、一番奥。

 その隣に、ノーラ。

 ノーラの隣に、ダイン。

 ロウは、入口の垂れ布の脇で、荷を背に座った。横になる幅は、残っていなかった。


 暗かった。

 外の屋台の灯りが、帆布を透かして、ぼんやり赤かった。

 酒に酔った声。賽の転がる音。

 それが少しずつ減って、夜が更けた。


 ミモザは、すぐに寝た。小さな寝息が、規則正しかった。

 ノーラは、寝ていなかった。

 帆布の赤い明かりで、ノーラの肩の線が見えた。ダインに、背を向けていた。

 幅が足りなかった。

 ノーラの背中は、ダインの胸に、ついていた。


 ダインが、身じろぎした。

 衣擦れの音がした。

 腕の置き場が、ないようだった。

 その腕が、ノーラの腰の上に乗った。


 ノーラの肩が、強張った。

 払わなかった。

 ノーラの背中が、ゆっくり、ダインの胸のほうへ沈んだ。

 腰の上の手が、ほんの少し、前へ回った。

「……ん」

 喉の奥で、音がした。


 ノーラが、寝返りを打った。

 ダインのほうへ。

 帆布の赤い明かりの中で、二人の影が、一つになった。


「……坊ちゃん」

 四人分の息が、狭い天幕の中にこもっていた。

 ロウは、荷に背を預けたまま、動かなかった。

「……その呼び方、久しぶりだね」

 ダインの声は、かすれていた。

「寝言」とノーラが言った。

 それきり、二人とも黙った。

 二人の影は、離れなかった。


 ロウは、荷に背を預けて、外の音を聞いていた。

 眠ったのは、明け方だった。


◇


 二日目、ブルーノの隊は、荷を三つの山に分けて、天幕の横に積んだ。

 鎧と剣と籠手の、一番値の張るものは、一つの袋にまとめてあった。

 グレタは、その袋の前に、両手剣を立てて座った。


 日が落ちてから、風が出た。

 北西の、乾いた風だった。

 十一月の風は、帆布の上を音を立てて這った。


 ロウは、ミモザと組んで、野営地の風上の端を回っていた。

 屋台の並びの、一番外れだった。

 ダインとノーラは、反対の、出張所のほうを回っていた。


 腸詰めの屋台の裏で、何かが倒れる音がした。

 ランプだった。

 油が、帆布の裾に流れていた。

 火が、裾を舐めた。

 屋台の主は、表で客と話していた。

 裏には、誰もいなかった。


 風が、火を持ち上げた。

 帆布が、一気に燃えた。

 熱が、ロウの顔を打った。

 火は、張り綱を伝って、風下の隣の天幕へ移った。

 天幕は、張り綱で、隣の天幕の杭とつながっていた。その隣も。その隣も。


「火事だ!」

 誰かが叫んだ。

 人が、天幕から飛び出した。

 屋台の並びの道に、人がなだれこんだ。


 ロウは、水の樽を探した。

 屋台の並びに、二つ。

 どちらも、半分しか入っていなかった。

 二つかけても、帆布一枚分の火も消えなかった。


 煙が、低く流れてきた。

 目に沁みた。

 息を吸うと、喉が焼けた。

 外套(がいとう)の肩に、火の粉が落ちて、焦げる匂いがした。


 人の波が、狭い道を塞いでいた。

 誰かの荷が、道の真ん中で崩れた。

 樽を運ぼうとした男が、人にぶつかって、樽を落とした。

 水が、土に吸われた。


 燃えているのは、三張りになっていた。

 四つ目の天幕の中で、声がした。

「足が……! 誰か……!」

 ミモザが、ロウの横を抜けた。

「ミモザさん!」

 ミモザは、もう垂れ布をくぐっていた。

「怪我を、している人が……!」


 四つ目の天幕の屋根の端に、火がついた。

 中から、煙が噴き出した。


 荷運びの頃、野営地で天幕が燃えたとき、親方は、燃える天幕の先の張り綱を切って、引き倒した。


 ロウは、腰の小刀を抜いた。

 五つ目の天幕の張り綱を、切った。

 一本。二本。

 天幕が、傾いた。

 でも、一人では倒しきれなかった。

 反対側の張り綱が、まだ引いていた。

 その向こうに、六つ目、七つ目が並んでいた。


 ロウは、屋台の荷車に飛び乗った。

 人の波の頭の上に、顔が出た。

 煙で、喉が裂けそうだった。


「張り綱を、切ってください!」

「火の先の、天幕を倒して! 引きずって、道を空けて!」


 何人かが、振り向いた。

 ほとんどは、逃げていく背中だった。

 でも、荷を背負ったまま立ち止まった男たちがいた。

 荷運びだった。

 背負子の、背負い方で分かった。


 一人が、ロウの顔を見た。

「……七層から帰ってきた、荷運びだ」

 そう言って、腰の刃物を抜いた。

 もう一人が、続いた。

 三人目が、自分の荷を地面に下ろした。


 五つ目の張り綱が、反対側からも切られた。

 天幕が、地面に倒れた。

 六つ目。七つ目。

 荷運びたちが、倒れた帆布の端をつかんで、火から遠いほうへ引きずった。

 燃える天幕の列と、その先の天幕の列のあいだに、土の道が開いた。


 火は、四つ目の天幕までを焼いて、開いた道の手前で止まった。


 四つ目の天幕は、屋根を燃やしたまま、まだ立っていた。

 中から、咳が聞こえた。


「ノーラ、そっちの杭!」

 ダインの声だった。

 ダインとノーラが、屋台の並びの外側を回って、走ってきていた。

 ダインが、四つ目の天幕の手前の杭を、足で蹴り抜いた。

 ノーラが、反対の杭の張り綱を、投げナイフで切った。

 天幕が、斜めに崩れた。

 燃える屋根の端を、ダインが剣の腹で地面に叩き伏せた。


 崩れた帆布の端が、内側から持ち上がった。

 ミモザが、這い出してきた。

 後ろに、男の襟首をつかんで引いていた。

 男は、逃げようとして天幕の中で足を挫いていた。脛が、赤く腫れていた。

 ロウとダインで、男を引き出した。

 ミモザの顔は、煤で黒かった。

 金色の編んだ髪の先が、少し焦げていた。

「……出られ、ました」

 ミモザは、咳をした。

 そこで、膝をついた。


 ロウは、ミモザの肩を支えた。

 法衣の背中が、汗で、肌に張りついていた。

 熱かった。

 火の熱か、ミモザの熱か、分からなかった。

「怪我は」

「わたしは……ない、です。この人の、足が……」

 ミモザは、聖油の小瓶を出した。

 指が震えて、栓が抜けなかった。

 ロウが、抜いた。


◇


 火が消えたのは、夜半だった。

 燃えた天幕は、四張り。倒した天幕は、三張り。

 死んだ者は、いなかった。


 グレタは、ブルーノの天幕の横に、座っていた。

 左の腕を、自分の腰帯で縛っていた。

 縛った上から、血がにじんでいた。

 目の前に、男が二人、伸びていた。

 鎧と剣と籠手の袋は、なかった。


「三人だ」とグレタは言った。

「火が出て、皆がそっちへ走った。あたしも、立った。そこへ、三人。二人は、伸した。三人目が、腕を切って、袋を抱えて、逃げた」

 グレタは、自分の腕を見た。

「火を出して、そっちに目を向けさせて、荷を取る。戦場じゃ、よくある手だ」

 ロウは、屋台の裏で倒れたランプのことを考えた。


 ミモザが、かすれた声で祈って、グレタの腕を塞いだ。


◇


 朝、野営地は、焦げた帆布の匂いがしていた。


 ブルーノは、残った荷を雇いの荷運びに担がせて、街へ送り出した。

 自分の隊は、また縦穴へ降りる支度をしていた。

「一番いいのを、持っていかれた」とブルーノは言った。「なら、なおさら、奥へ行く。持っていかれた分を拾って、もう一袋、上乗せする」

 誰も、止めなかった。

 ロウも、止めなかった。

 ロウの目は、縦穴の口のほうへ行っていた。


 ダインは、縦穴へ向かうブルーノの隊の背中を、長いこと見ていた。


 ノーラは、出張所の裏の、白い天幕を見ていた。

 帳面を抱えた若い男が、焦げた鎧を一つずつ、天幕の中へ運び入れていた。

 ノーラは、帯の投げナイフの柄を、指で一本ずつ撫でていた。


 ロウは、写し屋の台へ行った。


 台の上の紙の束は、なくなっていた。

「売り切れだ」と写し屋は言った。

「一昨日、B級の旦那が荷を担いで上がってきたろ。あれを見た連中が、昨日のうちに買っていった。最後の六枚は、今朝降りてった隊が、人数分まとめて」

 ロウは、台の上を見た。

 板の木目しか、なかった。

「……直した一枚は」

「一番上に置いといたよ。約束だからな。上から六枚、持っていった」


 ロウは、縦穴の口のほうを見た。

 一層の奥の、もっと奥。

 六層の縁の、その下。


 六枚のうち、二十尋と書いてあるのは、一枚だけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。