第十三章 届け先(一)
ギルドの奥に、扉の厚い部屋があった。
荷運びの頃、ロウは、その扉の前を何度も通った。出てきた者の顔は、たいてい、入る前より白かった。
今朝、呼ばれたのは、ロウだった。
長い卓が一つ。窓は、高いところに一つだけ。卓の向こうに、白髪の副長が座っていた。隣に受付の女が、帳面を開いて、ペンを持っていた。
卓の上に、札の束が置いてあった。一昨日、ロウが受付に出したものだった。ガルドの革紐ごと。
「座りなさい」
ロウは、座った。
「灰石の迷宮、七層。五名のうち、四名が死亡。生還は一名。規定により、事情を聞く。最初から、話しなさい」
ロウは、話した。縦穴から、順に。
残した綱のこと。五層の、新しい爪の跡のこと。荷が半分になったこと。綱の長さも、層ごとの空気の温さも、手帳に書いた通りに言った。次に降りる誰かが、それで帰ってこられるように。
「戻るなら今です、と言いました」
「それで」
「……進みました」
空洞のことは、短く話した。短くしか、話せなかった。
ガルドのところで、吸った息が、喉の途中で止まった。ロウは、口を開けたまま、それが通るのを待った。
「ガルドさんは、私を割れ目に押し込んで、その口に、背中から座り込みました。私は、這いました。背中で、音を聞いていました。……止むまで、です」
話しているあいだ、受付の女のペンは、一度も止まらなかった。
◇
「止めなかったのか」
責める声ではなかった。帳面の項目を、一つずつ確かめる声だった。
「七層の縁で。戻るなら今だと分かっていて」
ロウは、膝の上で、手を握った。
「言いました」
それから、言った。
「でも、遅かったです」
副長は、しばらくロウを見ていた。
「記録は、あるかね」
ロウは、外套の内側から、自分の手帳を出した。一昨日、受付が写したのは、縦穴の降り方と、各層の様子の行だけだった。ロウは、写されなかった行を、頁を繰りながら、順に開いた。
――トビさん、偵察から戻るのが前より早い。
――ガルドさん、受付で「何匹だ」と訊かなかった。
――誰にも、言っていない。
――止まってください、と、言えなかった。
――戻るなら今、と言った。
――進んだ。
ロウは、それを、副長のほうへ押しやった。
「見えていました。小さいことが、ずっと。……でも、誰にも言いませんでした」
副長は、頁を一枚ずつめくった。長いことかかった。
受付の女のペンが、そのとき初めて、止まっていた。
◇
副長は、手帳を閉じて、札の束に指を置いた。
「持ち帰ったのは、これだけか」
「……はい。札と、手帳と、鞘と、羽根だけです」
副長は、もう一度、ロウを見た。
「なぜ、君だけが生きている」
「ガルドさんに、運べと言われたので」
部屋が、静かになった。
高い窓から、細い光が、卓の上の札の束に落ちていた。
「……荷運びだったね、君は」
「はい。パーティの中でも、荷物を、持っていました」
副長は、長く息を吐いた。それから、受付の女のほうへ顔を向けた。
「規定では」
女は、帳面から顔を上げなかった。何百回も言ってきた声だった。
「荷運びは、指揮も、進退の判断もいたしません。ガルドさんと同じ処分は、課せません。単独生還者は、ギルドの指定する業務に就く、と定めがございます」
女は、そこで初めて、ロウを見た。
「新人編成の、同行記録係です。新人の依頼に付いて、記録をつけ、ギルドに報告する。荷も持っていただきます。新人編成三組分。そのあいだは、ご自分で依頼を受けられず、深層にも入れません」
副長が、顎を撫でた。
「……妥当だな」
ロウの手帳を、卓の上で、ロウのほうへ押し戻した。
「記録は、得意そうだ」
それから、卓の端の紙の束を、自分のほうへ引き寄せた。一昨日、受付で写したロウの手帳の写しだった。
「七層までの道筋が、ここまで書いてある記録は、ギルドにもない」
副長は、その写しを、自分の書類の一番上に載せた。
「この扱いは、こちらで考える」
受付の女のペンが、一度止まった。それから、また動いた。
◇
査問の部屋を出ると、受付の女が、札の束を持って後から出てきた。受付の卓に置いて、ロウのほうへ押した。
「遺品は、ギルドからご遺族に届けます。ご自分で届けたいと望まれるなら、それも許可できます」
ロウは、札の束を見た。
B、B、C、B。
昨日読んだ、ガルドの紙の束を思い出した。四つの名前と、四つの届け先。どれも、歩いて行ける場所だった。その横に、五年分の日付と、同じ一言。
――扉の前まで。
ガルドは、自分の手で届けたかったのだ。五年、首にかけて、扉の前まで行っては、引き返してきた。
「……ギルドから、届けてください」
女の手が、止まった。
「ガルドさんは、自分で届けようとして、五年、届けられませんでした。私も、同じことになるかもしれません」
ロウは、四枚の札を、革紐から一枚ずつ外した。
「ガルドさんには、運べと言われました。ここまでは、運びました」
四枚を、女の前に並べた。
女は、縁のすり減った名前を、指でなぞることはしなかった。順番に揃えて、帳面の上に置いた。
「承知いたしました。規定通りに、お届けいたします」
声は、いつもと同じだった。
革紐には、二枚が残った。ガルドのCと、Aの札。
「ガルドさんには、ご遺族の登録がありません」
女は、帳面の別の頁を繰りながら言った。
ロウは、Aの札を見た。
「こっちも、届け先が、ありません」
「規定では、届け先のない遺品は、ギルドが預かります」
「……私に、預からせてください」
ロウは、言った。
「返したい場所が、あるんです」
女は、帳面に、書いた。ロウにも、見えるように。
届け先:未定。回収者預かり。
◇
ロウは、札の束を首にかけた。
行きかけて、足を止めた。
「あの。峠の護衛から帰ってきたとき。ガルドさんの署名のあと、来月の欄に引いた線は、何だったんですか」
女は、しばらく黙っていた。それから、帳面の前のほうの頁をめくって、指で、一本の線を示した。
「引率の、三組目の割り当てです」
規定を読み上げる声だった。
「辞退すれば、処分は終わります。そのかわり、Bには、もう戻れません」
細い、まっすぐな線だった。
「ガルドさんは」
「辞退されました。理由は、伺っていません」
ロウは、首の札に手を当てた。ガルドのCが、指に触れた。Bに戻る道を捨てて、ガルドは、あの卓に残った。継続の紙の一番上に、太い字で名前を書いて。
――おう。
「……ありがとうございました」
ロウが頭を下げたとき、女は、もう帳面に目を落としていた。
「イルマです」
ロウは、顔を上げた。
「受付の名前など、覚えていただかなくて結構です。ですが、記録係の報告先は、私になりますので」
イルマは、顔を上げなかった。
「ひと月後に。お待ちしています」
◇
昼の鐘が鳴ると、イルマは受付を交代の者に任せて、奥の小部屋に入った。
北向きの小部屋は、昼でも暗い。ランプの芯をいつもの長さまで切り揃えて、火を入れ、ペンとインク壺を指一本分の間を空けて並べた。それから、棚の一番下の段から、十年以上前から私用に付けている帳面を取り出した。表紙の革は角から擦り切れ、綴じ糸は二度、自分で綴じ直してあった。
最初から順に繰って、五年前の夏の頁で手を止めた。
七月十二日 灰石の迷宮・深層 ガルド隊(B四名、C一名、A一名)入場許可。目的、七層の初踏査。
補給確認:省略。理由:ガルドさんの申告を信用したため。
「省略」の二文字のところだけ、紙が薄くなっていた。指でなぞった回数を、イルマは数えたことがなかった。
七月十九日 ガルド隊、帰還一名(ガルドさん)。死亡五名。うち、A・エドガーさん。
エドガーさんの剣、ガルドさんが持ち帰り、提出。仲間の札は、提出されず。
補給確認を省略したのは、私です。
七月二十二日 処分につき、副長へ具申。除名ではなく、降格および新人編成の引率義務とすること。採用。
八月三日 エドガーさんの剣を、遺族(娘・リーネさん、北の町)へ送付。送付状には「回収品」とのみ記載。持ち帰った者の名は伏せること、ガルドさんの希望による。
同日 所感。
私は、ガルドさんの「大丈夫」に賭けました。規定より、人を信じました。その結果、五名が亡くなりました。
以後、規定は曲げません。
その先の四年分に、ガルドの名前は出てこない。
去年 三月九日 ガルドさん、来所。引率義務の履行を申し出。一組目の割り当てを行う。
お酒の匂いがしました。申し上げませんでした。
今年 四月二日 リーネさん、他所より移籍、登録(D)。所持品に、エドガーさんの剣。
送付の手続きをした剣です。
同月二十日 新人編成。ガルドさん(D・引率)、リーネさん(D)、セラさん(E)、トビさん(E)、ロウさん(E・元荷運び)。
編成理由(帳面上):平均等級による。
編成理由(私):ガルドさんには、止まれと言える人が要ります。止まれない娘さんには、止めてくれる人が要ります。あのお二人なら、お互いを救えるかもしれません。ロウさんは、帰り道を覚えている人で、数を数える人です。
規定は曲げていません。編成を決めるのは、受付の仕事です。
それでも、これは賭けです。もう一度だけ、賭けます。
そこから先は、報告を受けるたびに書き足したので、行の間が詰まっていた。
六月二日 引率三組目、ガルドさんより辞退。
八月九日 十件目。ガルドさん、Cへ。札をお渡ししました。何も申し上げませんでした。
イルマは、その行のところで、しばらく手を止めていた。
九月六日 灰石の迷宮・二層縦穴の調査。許可。条件:C以上二名(リーネさん、ガルドさん)。
補給確認:実施。帰還期限:設定。
今回は、規定を一つも省略していません。
確認の項目を一つずつ読み上げ、ロウが背負う荷の中身まで書き写させた日だった。ガルドは苦笑いをして、相変わらずだな、と言った。それが、イルマがガルドから聞いた最後の言葉になった。
イルマは、ペンをインクに浸した。
ペン先が紙に触れる前に、インクが一滴、落ちた。小さな黒い染みが、白い行の上に広がった。
鼻の奥で、小さく音が鳴った。イルマは、それを、咳払いにした。
染みを避けて、一行下から書いた。字が、いつもより少しだけ大きくなった。
九月十日 査問。灰石の迷宮・七層。死亡四名。帰還一名、ロウさん(D・荷物持ち)。
処分:新人編成の同行記録係。三組分。開始、ひと月後。
遺品:四名の札、回収者の申し出により、ギルドより遺族へ。四名のご遺族へは、私がお届けいたします。Aの札(エドガーさん)およびガルドさんの札(C)、回収者預かり。
調査記録の写し:副長預かり。公開のご意向。反対を、具申いたします。
所感。
規定は、守りました。それでも、四名が亡くなりました。
私は、また賭けました。そして、また負けました。
イルマは、ペンを置いた。帳面を閉じかけて、もう一度開き、ペンを取り直した。
ロウさん。
今度は、何も賭けません。規定通りにいたします。
規定通りに、生きて帰っていただきます。
インクが乾くのを待って、帳面を棚に戻した。ランプを吹き消し、暗い小部屋の椅子に、もう一度腰を下ろした。
交代の者が扉を叩くまで、イルマは立ち上がらなかった。




