第九話 千葉弥一郎
「林太郎、お前京に行こうとしてただろ」
林太郎と良之助が屯所を出てしばらくして、口を開いたのは良之助だった。
芳次郎は弥一郎たちと合流したため、今この場にはいなかった。
「弟が心配か?」
良之助は続けて林太郎に尋ねる。
「ああ。……心配だ、すごく」
林太郎は振り絞ったような声でそう答えた。
「弥一郎のことを無視してまでもか?」
「何が言いたい」
林太郎は歩くのをやめ立ち止まった。
「お前はわかってるんだろ」
良之助も立ち止まり、林太郎に向き直りそう呟いた。
林太郎は確信した。自分は二回目であるから、この件の結末は知っている。
だが良之助もまた、この状況から―この後どんな結末が待っているのか、おおよその検討はついているのだと。
「お前もだろう」
林太郎はそう呟いた。
「……ああ。残念だがな」
良之助がそう言い、また2人は歩き出した。その後、二人の間に言葉はなかった。
弥一郎の兄は死んでいた。切腹したのである。
千葉弥一郎の兄、千葉雄太郎は、旗本を斬り捨ててしまった3名の隊士のうちの1人だった。
忠篤の言葉があったのにも関わらず、事件に関わった三名は新徴組に迷惑はかけまいと、自身の判断で、それぞれ別の場所で切腹していた。
これにより、幕府も手を出す理由がなくなり、この件は丸く収まった。
また、庄内藩のはからいにより、切腹をした三名の家族の生活は保証されるとして、弥一郎は新徴組の一員となることが決まっていた。
しかし、弥一郎は塞ぎ込んでしまい部屋から一歩も出なくなっていた。
「弥一郎、僕も新徴組に入れたんだよ。一緒に行こう」
芳次郎は、弥一郎のもとを訪ねていた。
この度、芳次郎も新徴組隊士となることが決まっていたのである。
芳次郎が襖の前でそう声をかけても、弥一郎から返事はない。
「弥一郎、いつまでもそうしてても仕方ないよ。
新徴組に行こう。お前の兄上だってそんなこと望んでないはずだ」
芳次郎が続けてそう言うが、またしても弥一郎からの返答はない。芳次郎は小さくため息をついた。
「弥一郎、いい加減にしないと……」
「お前に…!お前に何がわかるんだよ!!」
弥一郎が乱暴に襖を開けて大声を上げた。
芳次郎は驚いて目が点になった。
「お前はいいよな!家族が誰も死ななくて!父さんも母さんも元気に生きてるだろ!
兄上は……俺の兄上は、何も悪いことをしてないのに、死んだんだ……なんで、なんで兄上が死ななきゃならないんだ……」
弥一郎はそう言い切ると、また声を上げて泣き始めた。
「そんなこと僕に言われても……」
芳次郎は泣き出した弥一郎にまたもや困り果ててしまい、そう言うことしかできなかった。
「よし、忠篤様に言いに行こう」
芳次郎から相談を受けた結果、そう言い出したのは織衛だった。
「何を言ってるの織衛!?そんなこと許されるはずないでしょ!」
兵助が止めにかかる。
「うるせえ!俺だって今回の件は辛抱ならねえんだよ!なんで職務をこなしただけで死ななきゃならねえんだよ……。
少し時間が違えば、今頃切腹してたのは俺たちかもしれねえんだぞ!?」
織衛の言葉に、兵助は何も言い返せず黙ってしまった。その場にいた良之助や琴も何も言えずにいる。
(こうなることはわかってはいたはずなんだがな……)
林太郎はそう思っていた。
総司のもとへ一刻も早く向かいたいのに、友人のことで悩んでいる芳次郎を置いていくことはとてもできなかった。
「取込み中のようだが、失礼するぞ」
突然、部屋の向こうから声がした。襖の向こうから現れたのは、なんと忠篤の側近の松平権十郎だった。
「ま、松平様……!」
琴が驚いて声を上げたのを合図に、一同は即座に向き直り頭を下げた。
「弥一郎はいるか。殿がお呼びだ」
「弥一郎。此度の件は謝っても済まないことは承知の上だが、謝らせてほしい。本当に申し訳なかった」
忠篤が弥一郎に向け深く深く頭を下げた。
藩主である忠篤がただの一隊士に向けそのような行動をしたことに、周囲の一同はぎょっとした。
「……謝っても、もう兄上は戻らない」
弥一郎は下を向いたまま小さくそう呟いた。
「弥一郎!やめなさい、なんて言い方だ!」
またもや兵助が小声で制止にかかった。
琴は傍にいた権十郎の顔を恐る恐る盗み見たが、表情が変わらないのを見てほっと胸を撫で下ろした。
「そうだな、その通りだ……雄太郎はもう戻らない。私はどうしてやることもできない」
忠篤の表情が暗くなる。それを見て、その場の全員が息を呑んだ。
「弥一郎、もういいだろう。忠篤様も、もう……」
兵助がそう言いかけた時だった。
「どうして?弥一郎のことは弥一郎にしかわからないですよ。僕たちが口を出す場面じゃない。
というか、なんで僕たちがここにいるの?二人で話せばいいことですよね」
ねえ父上、と林太郎の顔を見上げる芳次郎を見て、林太郎は冷や汗で背筋が凍る思いがした。
(こいつは……怖いもの知らずにも程があるぞ……!というか俺に話を振るな!)
林太郎は何を言うべきか迷って、口をぱくぱくさせた。
「そうだね。ここは二人で話そう。いいね?権十郎」
「はい、殿。皆の者、出るぞ」
「いやー、芳次郎はすげえな!あいつは将来大物になるぞ!」
部屋を出て関口一番にそう言ったのは織衛だった。
「俺は寿命が縮んだような心地がしたがな……」
林太郎は自分の手を見つめてそう言った。まだ震えている。
「はは、本当だな。いったい誰の血を引いてるんだか」
良之助は林太郎の様子を見て笑ってそう言った。
「……。」
当の本人である芳次郎は、それらを気にもせず黙って閉じた襖を見つめていた。
「心配なのか」
それを見て芳次郎に尋ねたのは権十郎だった。
「えっ……まあ、はい、多少は……」
芳次郎も、さすがに権十郎に急に問われて驚いたのか、あたふたしながらそう答えた。
「松平様、倅が忠篤様に大変な失礼をしたこと、深くお詫び申し上げます」
林太郎が権十郎に向かって深く頭を下げた。
「まあ、よい。殿もああ言ってることだしな。
それよりお前、芳次郎と言ったか」
「えっと……はい」
「弥一郎のこと、今後もよろしく頼むな。若い者どうしでしか分かり合えないこともあろう」
「はっ」
芳次郎は深く頭を下げた。
「それより……よいのですか。忠篤様と弥一郎、2人きりにしても」
不安そうにそう尋ねたのは琴だ。
琴は弥一郎が何か謀反のようなものを起こすのではないかと、そう思ったのだ。
「まあ……その時はその時だ。それに殿も武芸を嗜んでおられる。そう簡単にやられるお方ではない」
権十郎はそう答えた。
「いえ、その心配はないと思います。弥一郎はそんなことしない。無闇に人を傷つけたりはしない」
口を開いたのはまたもや芳次郎だった。冷静で、落ち着いた声色だった。
「!そうか、お前がそう言うならきっとそうなのだろうな」
権十郎は笑ってそう言うと、芳次郎の頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜてから、その場を去って行った。
一同は止めていた息をやっと吐き出した。
林太郎は良之助らと別れ、自室にいた。
(これは……京へ行くのは無理だな)
林太郎は自然とそう思うようになっていた。現実的に考えて、無理だ、と。
(弥一郎のことを芳次郎に任せると言っても、あの性格ではな……弥一郎が落ち着くまで、待つしかないか)
林太郎はそう決心すると、机の引き出しから便箋を取り出した。
宛先は土方である。林太郎は永倉に宛てるべきか迷ったが、結局管理職である土方に頼む方が確実だと、そう思ったのである。
「トシ、どうか頼んだぞ」
林太郎は手紙を書き終えるとその足で送付の手続きを行った。
内容は簡潔で、総司は体がよくないようなので隊から外して療養させてほしい、というものだった。
しかし、いつまで待っても土方からの返事はなかった。




