第八話 旗本斬り捨て事件
林太郎が琴に連れられて屯所の一室に入ると、そこには新徴組隊士たちがずらっと整列して正座していた。
隊士たちの前には、庄内藩藩主でありながらもまだ幼さの見える酒井忠篤と、その補佐である松平権十郎が難しい顔をして立っていた。
「林太郎」
ただならぬ雰囲気に圧倒され立ち尽くしていた林太郎に声をかけたのは良之助だった。
良之助の手招きに応じ、林太郎は良之助の横に正座した。
「何があったんだ」
林太郎は、新徴組を取り仕切る松平だけでなく、藩主である忠篤までこの場にいるのはどういうことか、とそう尋ねた。
「見廻りの最中、酒に酔って暴れ回った者がいたらしい。忠告をしても聞き入れず、むしろこちらに斬りかかってきたものだから、やむを得ず斬り捨て御免をしたと。
しかし、斬った者はただの浪士ではなく旗本だったらしい」
良之助は小声で林太郎にそう耳打ちした。
林太郎は永倉からの手紙で頭が真っ白になっていたが、良之助の説明を聞いて自身の記憶を思い出した。
これは、前の人生でもあったことだと―
「幕府からは関わった隊士三名を引き渡せと、そうお達しが出ている」
松平が依然厳しい顔をしてそう言った。
「そりゃあねえぜ松平さんよ!俺らはそういうどうしようもない輩は身分を問わず斬り捨てていいって決まりだろ!」
「織衛!松平様に向かってなんてこと言うんだ!」
立ち上がって高々に声を上げた織衛を止めようとしたのは兵助だった。
「いや、いいんだよ兵助。織衛の言う通りだ。
君たちは江戸の治安を守っただけだ。何も悪いことはしていないのだから、幕府の要求に応じる必要はない」
藩主の忠篤はきわめて冷静な声でそう言った。
忠篤はまだ子供とも言えるような年齢であったが、藩主としての威厳が光っていた。有無を言わさない強さがある。
「ですが、殿……」
松平が不安そうな顔で忠篤の顔を伺っていた。
「関わった隊士三名を幕府に引き渡せば、たしかにこの件は丸く収まるだろう。
でも、ただ江戸の治安を守ろうと、新徴組としての使命を全うした者たちに死を命じるなんて……そんなこと、私はできないよ。権十郎」
「……わかりました。仰せのままに…」
権十郎の返事を皮切りに、隊士たちはわっと歓喜の声を上げた。
その場は解散となった林太郎たちは、屯所の廊下を歩いていた。
「忠篤様、若いのに立派だよなぁ。やっぱ俺は新徴組に来てよかったぜ」
「前は総司と戦うために京に行くとか言ってたくせに。現金なやつ」
織衛の言葉を聞いて、兵助が呆れたようにそう呟いた。
「でも、本当によかったですね。この話を聞いた時、私はどうなることかと思いましたけど……。
ねえ兄上?」
「まあ、一旦はよかったとして……問題はこれからだな。幕府の要求を退けたとなると、庄内藩の立場も悪くなる可能性がある」
琴と良之助もそう話を続けた。
しかし、林太郎はこの先何が起こるかを既に知っていた。
「あ、いた。父上。どこへ行っていたんですか」
それぞれの持ち場へ戻ろうとした林太郎たちに声をかけたのは、芳次郎だった。
「おー芳次郎じゃねえか!背ぇ伸びたんじゃねえか?」
「私たちは少し用事があって集まってたの。でももう大丈夫」
芳次郎の顔を見て、口々に話し始めたのは織衛と琴だった。
「そうですか。それより父上、うちに弥一郎が来ていて」
「弥一郎か。稽古をしていたのか?」
千葉弥一郎は、芳次郎と同じくらいの歳の子供だった。
弥一郎の兄が新徴組に所属しているため、弟の弥一郎も屯所の周辺にいることが多かったのだ。
「いえ、それが……」
芳次郎は困った顔になって言い淀んだ。林太郎にとって、芳次郎のこのような表情は珍しかった。
一同は芳次郎に案内され、沖田家に来ていた。
「兄が……兄上がどこかに行ってしまって……見つからないんです……」
涙ながらにそう訴えたのは、弥一郎だった。
「見ての通りです。弥一郎がいつまで経っても泣き止まないのです。助けてください」
「芳次郎。前から思ってたけど、もう少し何か、言い方ってものがないのかな?」
泣いている弥一郎を横に淡々と言ってのける芳次郎を見て、そう言ったのは兵助だった。
(まったく、誰に似たんだか……。)
兵助はそう心の中で呟きながら林太郎を横目で見るが、当の本人は少しも気づく素振りがない。
「よし!それなら皆で探しましょう!手分けすればきっと見つかりますよ!」
そう言い出したのは琴だった。
「ありがとうございます。助かります。僕も手伝いますので」
芳次郎がそう返事をするが、やはり表情はいつも通り冷静だ。
「弥一郎任せとけ、すぐ見つけ出してやるからよ!」
織衛も鼻を鳴らしていた。
「みなさん、ありがとうございます……」
弥一郎は、泣いたせいか鼻声気味だったが力強くそう言った。
「いや、それは……。
……わかった。探しに行こう、皆で」
良之助が歯切れの悪い返事をした。その目はどこか遠くを見つめていた。
「父上?父上、どこへ行くおつもりですか」
当事者である弥一郎を先頭に、兵助、琴、織衛が四方八方に駆け出して行った後、その場に残ったのは良之助と芳次郎、そして林太郎だった。
林太郎はいつの間にか、羽織りを着込み刀を差していた。
まるでこれから旅に出るかのような格好である。
林太郎は、弥一郎の兄を探しに行くことは意味がない―そう判断したのであった。
(弥一郎には悪いが……総司の病状は一刻を争う。早く行かなければならない)
「芳次郎、悪いが俺は……」
「父上。あなたの息子の友人が、あんなに困っているのに知らぬ振りをするのですか。あんなに泣いて、困っているのに」
「……」
「父上」
芳次郎が父である林太郎の目をじっと見つめる。
林太郎の目は泳いでいた。
その様子を、良之助は苦笑いを浮かべながら見守っている。
「わかったよ、俺も手伝う。行くぞ良之助」
「全く、お前は息子には甘いな」
芳次郎に根負けした林太郎は、良之助と共に屯所を出た。




