第四話 運命の日
翌朝、江戸への出立の朝である。
雲ひとつない晴天だった。青い空はどこまでも広がり、冷たい風にもわずかに春の匂いを感じさせる。
旅立ちには申し分のない陽気だった。
清河の演説に心を打たれた者たちは、神までもが自分たちの味方をしているようだと、浮き足立っているのが目に見えてわかる。
「そうか、林太郎……お前は行ってしまうんだな」
周りの空気とは裏腹に、どこか暗い表情を見せる林太郎に声をかけたのは、近藤であった。
林太郎は結局、江戸へ行くことを決めたのである。弟の総司とは、別の道を歩むことになる。
「先生、どうか総司をよろしくお願いします」
林太郎は深く頭を下げる。
「うん、あいわかった。任せておけ」
近藤は林太郎の様子を見て困ったような笑みを浮かべながらも、そう力強く頷いた。
「心配しすぎだろ、あいつももう子供じゃねえぞ」
頭を掻きながらそう呟いたのは土方である。
彼もまた、江戸へ向かう林太郎の見送りに来ていた。
林太郎にとって、土方もまた試衛館で長年共に稽古をし、苦楽を共にした仲間の1人であった。歳もさほど変わらず、剣を交えた回数は近藤や総司よりも多いだろう。
「お前が総司に無理をさせなければな」
林太郎は土方の物言いに密かに懐かしさを感じながらも、睨みつけるようにそう言った。
「へーへー、わーってるよ。お兄ちゃんも大変だなあ。
まああいつなら大丈夫だろ。お前より強いし」
「そういう問題ではない」
「まあまあ……」
またいつもの喧嘩が始まると察知したのか、二人を止めに入ったのは、馬場兵助という男だった。
兵助もまた、荷を手にしていた。彼も林太郎と共に、江戸へ戻ることにしたのだった。
「兵助も、達者でな。お前ならどこへ行ってもきっと大丈夫だ。家族を大切にな」
兵助にそう言ったのは、どこか寂しそうな表情の近藤だ。彼も、馬場兵助もまた、試衛館の仲間の1人であった。
「先生もお元気で。一緒に行けなくてすみません」
「いや、いいんだ。お前ならそうすると思っていたさ」
近藤のその言葉に、兵助には晴れやかな表情が徐々に戻りつつあった。兵助には林太郎と同じく、守るべき家族がいる。兵助の気持ちは前を向いていた。
「それよりも……遅いですね、総司」
不安そうな声を上げたのは山南だった。
「寝坊か?昨日はえらく酒を飲んでいたからな」
山南の隣に立っていた永倉もそう呟く。
(酒を?なぜ総司がそんな……)
林太郎がそう不思議に思っているうちに、江戸へ向かう手筈が整ったようである。列の先頭から、出発の合図が聞こえる。
「林太郎さん、そろそろ我々も行かなくては」
兵助が地面に置いていた荷を持ち上げそう言う。
(総司……)
林太郎も仕方がないと、歩き出そうとしたその時だった。
「兄さん!」
総司が息を切らしながらやって来た。
「ごめん、兄さん、昨日酒を飲みすぎて……遅くなってごめん、間に合ってよかった」
「総司……あまり心配をかけさせるな」
林太郎は目を伏せた。そう言いながらも、総司が見送りに来てくれたことは嬉しかった。
「だって、兄さんと離れるって思ったら悲しくて……飲まずにはいられなかったんだよ」
「……そうか。だが、飲みすぎはよくないぞ」
林太郎はなんとも言えない表情で言った。
林太郎だって、弟と離れるのは耐え難い気持ちだった。しかし、どうにもできない。
林太郎は運命を恨むことしかできなかった。
「お前は本っ当に心配性だよなぁ」
林太郎と総司の会話を横で見ていた土方が、欠伸をしながらそう呟く。
「本当ですね。でも兄さん、僕は大丈夫だよ。先生も、土方さんも、みんないる。兄さんに心配をかけるようなことはしないよ」
総司は笑ってそう言ってみせた。
その笑顔は、林太郎の記憶にある若き日の総司そのままだった。
「ああ……そうだな」
「元気でね兄さん、手紙も出すから」
「お前もな。……じゃあな」
林太郎はそう言い、1度だけ総司の肩を叩いた。
「総司、兵助!元気でな!違う地でも、お互い頑張ろう!」
そう声を張り上げたのは近藤だった。
「はい、ありがとうございます…!みなさんもお元気で!」
兵助がそう言う。
林太郎も、試衛館の面々の顔を見渡し、深く頷いた。
林太郎と兵助が並んで歩き始めた後、背後からは総司の啜り泣く声が静かに響いていた。
林太郎はこの日を、生涯忘れることはなかった。
――忘れられるはずがなかった。




