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第三十四話 伊東甲子太郎



「伊東先生ってさ、どんな人なの?」


木枯らしが吹き抜け、落ち葉が屯所の庭を転がっている。秋の気配も去り、冬の足音が近づく頃だった。

浪士組として京へやって来てから一年。文久四年も、もうすぐ終わりを迎えようとしている。


「そりゃあ、総司。すごく頭のいい人なんだ。それに剣も強い」


火鉢に手をかざしながら暖を取ろうとする総司に、平助は自慢げな表情を向けた。


「そうか。平助は試衛館に来る前は、伊東先生の道場にいたんだったな」


話を聞いていた林太郎も、納得するように頷いた。


「山南さんだって負けてないよ」


総司がむくれた顔で、ひそかに反抗するような声を出した。


「総司。二人を比べたところで仕方がないだろう」


林太郎はたしなめるような声を出したが、実際、懸念に感じていることだった。

学に秀でていて、弁も立つ。それだけでなく、流派も同じ北辰一刀流と来た。


「参謀と総長って、どっちが偉いのかな」


「さあ。どっちもじゃない?」


総司の尋ねる言葉に、平助は興味がないというような声を出していた。


「でも、山南さんは」


総司が何か言いかけた時だった。




「父上」


部屋に現れたのは、芳次郎だった。


「芳次郎!よかったな、新撰組に入るの認めてもらって」


その姿を見て、最初に明るい声を出したのは平助だった。


「江戸に帰って、試衛館に戻った時は驚いたよ。背も伸びてるし、剣の腕もかなり上達していたし」


「平助。芳次郎はあくまでまだ見習いだ」


誇らしげに語る平助に、林太郎は釘を刺すような声を出した。


「まあまあ、兄さん。ところで、どうしたの?」


総司は部屋の障子の横に立ち尽くしている芳次郎の顔を見た。


「はい。実は、河合さんに伊東先生を呼んでほしいと頼まれたのですが」


「?伊東先生なら奥の部屋にいるはずだけど」


平助が不思議そうな声でそう言った。


「……少し、来ていただけませんか」






「なるほど。そのようなお考えがありましたか。しかし……」


「たしかに、それは盲点でした。さすが山南先生だ。これからの幕府は……」


「いえ、私の方こそ伊東先生の知見には到底及びませんよ。諸外国では……」





「……随分白熱してますね」


平助は障子の隙間から二人の様子を伺いながら、小声で呟いた。


「すごいね。こんなに近くにいるのに、まるで気づかないなんて。よっぽど夢中になってるみたいだ」


総司の言うことも最もだった。

林太郎たちは、芳次郎に連れられ伊東の部屋の前まで来ていた。四人が部屋の前で中の様子を伺っているのにも関わらず、当の本人たちは少しも気づく素振りがなかった。


「どうやら、父上の心配には及ばないようですね」


芳次郎は林太郎の顔を見上げた。


「別に、心配などしていない」


「隠さなくていいですよ。顔に書いてあります」


「……」


至極当然のようにそう言ってのける芳次郎を見て、林太郎は思わず黙り込んだ。




「芳次郎! いつまでかかって……」


ふと、その時。廊下の向こうから足音が響いた。


「河合さん」


現れたのは、いつまで経っても戻らない芳次郎に痺れを切らした河合だった。


「少し静かにしてください」


芳次郎は振り返ると、人差し指を口元に当てた。


「静かにって……。これでも私は一応、お前の教育係なんだけど」


河合が呆れたように小声で返す。


「見てください」


芳次郎に促され、河合はそっと障子の隙間を覗き込んだ。


「……伊東先生と、山南さん?」


河合は思わず目を丸くした。


「どうやら朝からずっとあれみたいですよ。火鉢の炭も、もうすっかり白くなってる」


平助は苦笑しながら肩をすくめた。


「二人とも、寒くないのかな?なんだか楽しそうだね」


総司が小さく笑ってそう言ったのを見て、河合はため息を吐いた。


「……伊東先生に帳簿の確認をお願いしたかったのですが、これは邪魔できそうもない……」


「別に急を要するものじゃありませんよね」


芳次郎が河合の顔を見上げた。


「それは、そうなんだが……。いや、違う!そんなことより芳次郎!またお前は居眠りしながら書いただろう!全部数字がズレていたぞ!」


「ちょ、河合さん、声が……」


平助が小声で止めに入るが、河合の耳には届いていないようだった。


「だって、ただ机に向かっているだけなんて退屈なんです。僕も早く剣を取りたいです」


何の悪びれもなくただ淡々とした声でそう言ってのける芳次郎を見て、河合の眉が動いた。


「だから、そのために……!

……あ」


河合がやってしまった、というような表情で顔を上げた。


「皆さん、いらっしゃったのですね。すみません、気がつきませんでした」


驚いた表情の山南と、柔和な笑みを浮かべる伊東がこちらを見ていた。







それからというものの、山南と伊東は暇さえあれば、毎日のように熱心に何か語り合っていた。


(よく飽きないものだ)


林太郎はひとり縁側に座り、庭を挟んで向こう岸にある部屋を眺めていた。

もう夜も深いというのに、障子の向こうの明かりは少しも消える気配がなかった。


「あの二人、まだやってんのか」


ふと、林太郎の背後から声がする。林太郎が振り返ると、そこには土方が立っていた。


「ああ。ここ最近はずっとだ。寝る間も惜しんでいるようだ」


「……妙な気を起こしてないといいがな」


土方は鋭い視線を向かいの部屋に向けたが、その後林太郎の横に腰を下ろした。


「お前、あいつのことどう思う」


「あいつ?」


「伊東だよ」


どこかで聞いたことのある台詞だった。林太郎はその口振りに眉をひそめた。


「あの人は芹沢先生とは何もかも違うだろう」


――あのような地獄は、もう二度と味わいたくない。林太郎は切実にそう思っていた。


「俺が言いたいのはそういうことじゃない」


「だったら、何だ」


「……山南さんだよ」


「山南先生?」


林太郎は山南の名が出たことに驚き、土方に聞き返した。


「伊東に何か吹き込まれてるんじゃねえか」


「……山南先生も、そう簡単な人じゃないだろう。今まで新撰組に伊東先生ほど話の合う人がいなかっただけだ」


林太郎はそう言いつつも、完全には否定できなかった。この頃の山南は、試衛館から付き合いのある林太郎にとっても、まるで見たことのない顔をすることが多かった。


「伊東がいなくなったところで、新撰組は元の鞘に収まるだけだ。しかし、山南さんは違う」


土方は徳利を傾けながら、話を続ける。


「山南さんは新撰組に必要だ」


土方がそう言い切ると、林太郎は何故か笑いが込み上げてきた。


「はは、お前はさ」


「おい、何笑ってやがる」


土方が林太郎の顔を睨みつけたが、林太郎は気にもとめなかった。


「お前を鬼の副長なんて言うやつもいるがな。俺には到底そうは見えない」


林太郎は目を細めたまま、杯の酒を口に運んだ。


「池田屋の時も、俺の嘘を見抜きながらも知らぬ振りをしたな」


「……」


林太郎の言葉に、土方の徳利を持つ手が止まった。


「お前が新撰組のために鬼になろうとしているのはわかる。しかし、心の内まで捻じ曲げる必要はない」


かつて、新徴組にいた頃は――林太郎は土方の動向が何一つ理解できなかった。しかし、新撰組に入ってみてわかった。この男の行動原理は、全て新撰組と近藤のためなのだと。


「林太郎」


土方はゆっくりと顔を上げた。


「お前、老けたか?爺さんみたいなこと言いやがる」




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