第三十三話 一番隊組長
「……へ?私が?」
屯所の一室で、ひどく間抜けな声がこだました。
林太郎が声をかけたのは――勘定方の、河合耆三郎だった。
「ああ。お前は池田屋でも俺を信じてついて来てくれた」
――河合があそこで土方隊を呼んでこなければ、間違いなく俺たちは全滅していた。
林太郎は嘘偽りなくそう感じていた。河合は決して剣豪とは言えないが、林太郎が最も信頼を置いている隊士の一人だった。
(それに、勘定方であれば戦場に立つこともそこまで多くない)
「いえ、あれは……あの状況では、そうするしかなかったと言いますか」
「謙遜するな。お前は俺の命の恩人と言っても過言ではない」
「いや、過言だと思いますけど……」
河合は明らかに困惑した表情で、目を泳がせた。
――面倒事を押し付けられた。
河合の表情は、その心の声を如実に語っていた。
「河合さん。沖田芳次郎です。お役に立てるよう精進しますので、よろしくお願いいたします」
そんな河合の表情を気にもせず、芳次郎はいつもの淡々とした声で頭を下げた。
「えっ、はい……どうも、河合耆三郎です」
「おい、なんで敬語なんだ。芳次郎はまだ十二だぞ」
しどろもどろに名乗った河合を見て、林太郎は思わず苦笑いをこぼした。
「いや、つい……。こんな大人みたいな十二歳います?」
河合は依然困惑した表情を隠さぬまま、林太郎の顔を見た。
「俺もそう思うよ」
「あなたの息子でしょう……」
河合は小さくため息を吐いた。
「まあ、そういうことだ。雑用でも何でも、好きに使ってもらって構わない。頼んだぞ」
林太郎は河合の肩を一度叩くと、腰を上げ立ち上がった。
「ちょ、待ってください…!」
「河合さん」
立ち上がって林太郎の後を追おうとする河合の袴の裾を、芳次郎はがっしりと掴んでいた。
「必ずお役に立ちますし、あなたの仕事の邪魔はしません。僕も早く一人前の隊士になりたいのです」
芳次郎は強い口調でそう言い、河合の目をじっと見つめた。
「は、はい……こちらこそ……」
河合は芳次郎の圧の強さに負け、やっと観念したようにそう言った。
「……もう一度言ってみろ」
林太郎は自分の耳を疑った。
「だから、葛山に切腹させた」
近藤が江戸から帰ったきたことで、林太郎の謹慎も解かれていた。
そして告げられたのは――葛山武八郎の切腹だった。
「俺と近藤先生がいない間を狙ったな」
「偶然そうなっただけだ。大体、建白書を提案したのも実際に書いたのもあいつだろう。当たり前だ」
土方はそう言い放った。
「しかし、トシ。もうあの件はお互い話し合って解決したんだ。どうしてそんなことをしたんだ」
近藤も、今度こそは納得していないようだった。普段の優しい口振りはなく、厳しい声だった。
「あいつが言ったんだよ!自分から!」
「……何だって」
土方が突然大声を出し、林太郎は眉をひそめた。
「聞くと、葛山は会津の出だそうだ。容保公に面倒をかけた自分が許せなかったらしい」
「……」
土方の告げた言葉に、林太郎も近藤も息を呑んだ。
――いえ……何も。失礼いたしました。
林太郎の脳裏には、あの日の葛山が蘇っていた。
(わざわざ容保公の顔を一瞥したのは、そういうことだったのか……)
「それにそんなことがなくても、誰かが責めを負うのは当たり前だ。局長に楯突き、会津公にまで迷惑をかけた。それで誰一人責任を取らねぇ組織なら、もう終わりだ」
土方は立ち上がると近藤と林太郎に背を向けた。二人はその背中を黙って見つめる。
「ここはもう試衛館じゃねえんだ。――新撰組だ」
「伊東甲子太郎と申します」
目の前の男は、人当たりのいい笑みを浮かべて静かに頭を下げた。
「江戸へ行った時に平助の紹介でな。この度、この伊東先生も新撰組に力を貸してくれることになった」
近藤が集まった面々を見渡し、満足そうにそう言った。
かつての師を新撰組に迎え入れることができた平助は、どこか嬉しそうな表情を隠し切れずにいた。
「伊東先生は、剣だけではなく学にも秀でている。新撰組では、参謀を務めてもらうことにした」
「……参謀?」
土方の言葉に、山南の眉がわずかに動いた。そして、土方はそれを見逃さなかった。
「ああ。……いい機会だ。隊士も増えたことだし、新撰組はこれから編成を改める」
土方はそう言うと、一枚の紙を広げた。
局長 近藤勇
副長 土方歳三
参謀 伊東甲子太郎
総長 山南敬助
一番隊組長 沖田総司
二番隊組長 永倉新八
三番隊組長 斎藤一
四番隊組長 沖田林太郎
五番隊組長 武田観柳斎
六番隊組長 井上源三郎
七番隊組長 谷三十郎
八番隊組長 藤堂平助
九番隊組長 鈴木三樹三郎
十番隊組長 原田左之助
「指示の伝達を円滑にするため、これからは一から十の小隊制を敷く。各組長は、見ての通りだ」
土方のその言葉に、集められた幹部たちはその紙に目を走らせた。おお…という感嘆の声も上がった。
「とても合理的な編成だと思います。これなら指揮系統もわかりやすい」
口を挟んだのは伊東だった。人当たりのいい笑みを崩さぬまま、土方の方を見て肯定するように頷いた。
「なんだか……伊東先生って頭良いんだな!山南さんが二人いるみたいだ!」
伊東と山南の顔を見比べて、原田が声を上げた。
「いえ。参謀と言いましても、私はこの新撰組においては新参者です。山南先生、あなたにもこの隊のことを色々とご教授いただけると助かります」
伊東は落ち着いた様子で、山南の目をじっと見つめた。
「……ええ」
山南も笑顔で伊東に応じたが、その声はやや歯切れが悪かった。
「しかし、この一番隊組長というのは……」
気まずい空気が流れ始めた中、遠慮がちに口を開いたのは井上源三郎だった。
彼もまた試衛館の最古参であり、同じ道場の者からは「源さん」と呼ばれ親しまれていた。浪士組では、林太郎、馬場兵助に続き、何故か三番組に配置された一人だった。
「ああ。たしかに総司には暇を渡している。だから、総司が復帰するまで代役を立てたいと思っている」
次に声を上げたのは土方ではなく、近藤だった。
「林太郎。お前に頼めるか」
近藤が迷わず林太郎の名を呼んだのを聞いて、林太郎は思わず肩を揺らし顔を上げた。
「……俺が?」
「ああ。禁門の変の時のお前を見ていて確信した。総司の代わりはお前にしか務まらないと」
近藤はハッキリとそう言い切った。
――あの時か。
林太郎は、禁門の変の戦闘の時は、迷うことなくかつての戊辰戦争の経験を活かして戦っていた。その姿を、見られていたらしい。
近藤が違う角度で自分のことを解釈したのを知って、林太郎は小さく息を吐いた。
「ですが……」
「当たり前だが、もちろん総司が復帰するまでの間だけだ。あいつは誰よりも強い。一番隊組長に相応しいのは間違いなく総司だ」
土方の言葉には、皆頷くほかなかった。沖田総司に、剣の才において勝てる者は、この場にはいなかった。
「いいんじゃないか。総司もお前になら任せられると言うはずだ」
「永倉……」
まさかここで永倉が声を上げると思わなかった林太郎は、驚いてその顔を見つめた。
永倉は林太郎の視線に気づくと、深く頷いた。
「……わかりました。総司が戻るまで、一番隊を守ります」
林太郎がそう言ったのを見て、近藤も満足したように頷いた。
「しかし……それでは、四番隊の組長が空いてしまいます」
口を開いたのは平助だった。本来なら四番隊組長だったはずの林太郎が一番隊に移ることで、その席が空白となっていた。
「それなら、うちの篠原はいかがでしょう。柔術にも長けている男です」
妙案を思いついたというような声を上げたのは伊東だった。篠原泰之進は、伊東と共に江戸から新撰組に加わった隊士の一人だった。
「篠原さんか……たしかに、伊東先生もそう言うなら」
近藤の意思が傾きかけた時だった。
「伊東先生。申し訳ないですが、俺が後任を任せたいと思う男は、既にこの場にいるのです」
「……ほう。林太郎殿がそこまで言うとは、どのお方でしょうか」
伊東は口の端をわずかに歪めた。
「近藤先生。四番隊は、松原に任せたい」
「……えっ?」
その場で黙って一同の話を聞いていた松原は、弾けたように顔を上げた。
「近藤先生。柔術という点においては、松原にも心得があります。それに、」
林太郎は話を続ける。
「池田屋までの道のりでは、俺を一番に信じて共に戦ってくれた男です。隊士からの人望も厚い」
――俺たちが先に行って、それで京の街を守れるなら。これほど、新撰組の者として嬉しいことはありません。
林太郎は松原の言葉を思い出していた。彼のあの一言がなければ、今頃自分はどうなっていたことか。
「近藤先生、私からもお願いします。松原は信用に足る男です」
一部始終を見ていた山南も、近藤に向かって頭を下げた。山南も、林太郎たちと共に池田屋に一番に突入した一人だった。
「林太郎さん、山南さんまで……」
林太郎と山南が自分のために頭を下げている。その事実に、松原の瞳は大きく揺れていた。
「たしかに、林太郎の言うことも最もだな」
近藤は頷いた。
「二人が揃ってここまで言うなら、俺も異論はない。松原、任されてくれるか」
近藤は松原に向き直った。
「はい。新撰組のため、身命を賭して努めさせていただきます!」
松原は決意したような声色で、深く頭を下げた。




