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第三十二話 三段突き



林太郎は地面を踏み込むと、走り出した。


「おっと」


総司は半歩身体を開き、その一撃を軽々とかわした。

林太郎の木刀は空を切ったが、すぐに振り返ると再び木刀を総司に向ける。


カンッ!


乾いた音が響く。総司の木刀がそれを受け止めていた。

鍔迫り合いのように木刀がせめぎ合い、二人の顔は目前に近づいた。


「僕の心配もいいけどさ。兄さんこそ、怪我をした後は謹慎で、稽古をする暇もなかったんじゃない」


総司は悪戯っぽく笑ってみせた。


「そうかもな」


林太郎もまた、口元の端をわずかに釣り上げた。

実際、林太郎が木刀を手に取ったのは久しぶりと言ってもいい。池田屋でも、禁門の変でも――この手にあったのは、真剣だ。


二振りの木刀が弾けるように離れ、押し合いは終わる。二人はまた正眼の構えのまま、距離を取った。


「悪いけど、早く終わらせるよ」


総司は子供のような笑みを浮かべたかと思うと、目にも止まらぬ速さで踏み込んできた。


(来る!)


林太郎はその動きを逃してはならないと、目を光らせた。

総司の木刀の先が林太郎の目前まで迫る。




辺りに砂埃が舞い、気づけば林太郎の喉元には木刀の先が突きつけられている。

静寂の中、林太郎は思わずごくりと喉を鳴らした。


「……本当に三度突いたのか」


――まるで見えなかった。林太郎は総司の顔を見た。


「はは、もう何回も言われた」


総司は乾いた笑いを漏らし、静かに木刀を下ろした。


三段突きは沖田総司が一等得意とする技だ。林太郎も、もう数え切れないほどこの目で見てきた。しかし、どうにも三度突いているようには見えない。

――速すぎるのだ。総司の三段突きは、一度で終わっているようにすら見える。


「よかった。まだ兄さんに負けるほど訛ってはいなかったみたい」


総司がまた少年のような笑顔に戻るのを見て、林太郎は小さく息を吐いた。


「全くだ」


林太郎はそのまま縁側に戻り、腰を下ろした。


「兄さんが羨ましいよ」


総司は庭に立ったまま、空を見上げた。


「俺よりも数段上を行くお前が言うことか」


林太郎は縁側に座ったまま、呆れたような笑みを見せた。


――沖田総司は天才だ。もう何度も人生を繰り返す中で、それなりに戦も斬り合いも経験してきた自負はある。しかし、それでも弟には――沖田総司には、遠く及ばない。


「僕も近藤先生や土方さんと、皆と一緒に戦いたい」


総司には珍しく、弱々しい声だった。林太郎はハッとして総司の方を見る。総司は、未だ空を見つめたままだった。


「僕には剣しかないのにね」


総司は空を見上げるのをやめると、林太郎の方を向き、眉を下げ笑ってみせた。


日陰に腰かける林太郎の目には、残暑の日差しを浴びた総司がやけに眩しく映っていた。

林太郎は思わず言葉に詰まった。





「おーい、帰ったぞ!」


その時、屯所の玄関の方から太い声が響いた。


「近藤先生だ!」


総司は勢いよく縁側へ飛び上がると、そのまま玄関へ駆けていった。


林太郎は総司を追うことはせず、縁側に腰を下ろしたまま目を伏せた。


(謹慎中だしな)


しかし、そうもしていられない事態が起きた。


「えっ!なんで義姉上(あねうえ)がいるの!?」


総司の驚いた声が玄関先から響き、林太郎は思わず顔を上げた。


――どういうことだ。


林太郎はいても立ってもいられないという様子で立ち上がった。





「あれ。父上は謹慎中と聞きましたが。出てきていいんですか」


「なんでお前までここにいるんだ……」


林太郎は思わず頭を抱えた。目の前に立っていたのは、林太郎の息子の沖田芳次郎(よしじろう)だった。


「芳次郎、また背伸びた?義姉上も、お変わりないようで」


林太郎の困惑も他所に、総司は嬉しそうに芳次郎の頭を掻き回していた。


「ごめんなさい林太郎さん。あなたの驚く顔が見たくて、黙っていました」


そう言いながらも、少しも申し訳なさそうな顔を見せず笑うのは、林太郎の妻のみつだった。

林太郎は大きなため息を吐き出した後、近藤の顔を睨んだ。


「……近藤先生」


「いや……悪い悪い!しかし、芳次郎の腕はかなり上達していたし、それに総司のこともあるし……」


近藤は歯切れの悪い声を出した。


「ええ、そうなのよ林太郎さん。総司さんのことは心配だったし、私が無理を言って連れてきてもらったのよ。だから、近藤先生ばかりを責めないでくださいな」


みつが弁明するように身振り手振りで林太郎に説明した。


「父上。僕も新撰組に入れてもらえることになりました」


「……何?」


芳次郎の言葉に、林太郎の目の色が変わった。


「ですから、僕も父上や叔父上と」


「駄目だ」


林太郎は強い口調で言い切った。


「林太郎、お前の気持ちもわかるが……。芳次郎の才能は本物だ。試衛館に一人で残しておくのはあまりにも惜しい」


芳次郎は、林太郎が新撰組として京で働いている間、試衛館へ入門していた。しかし今や、道場主の近藤も塾頭の総司も京にいる。先代の道場主である近藤周斎も既に老境に入り、かつて門人たちの声で賑わった試衛館は、どこか静まり返っていたのである。


「しかし、近藤先生。芳次郎はまだ子供です」


「父上。それを言うなら、近藤先生の養子となられた方も新撰組にいらっしゃると聞きましたが」


「……」


芳次郎の淡々とした言葉に、林太郎は思わず痛いところを突かれたような顔をした。


「周平か。たしかに、芳次郎と同じくらいの歳だ」


「総司」


思わぬ援護射撃をした総司を、林太郎は迷わず睨んだ。


「兄さんが心配なのもわかるけどさ。僕は芳次郎の気持ちもよくわかるよ」


――僕も近藤先生や土方さんと、皆と一緒に戦いたい。


林太郎は先刻の総司の言葉を思い出し、小さく唇を噛んだ。


「……林太郎。もちろん、最初から前線に立たせるつもりはない。まずは見習いとして、新撰組の生活に慣れてもらうところから始めたらいい」


「……」


近藤の言葉を聞き、林太郎は一人黙って考え込んだが、やがて意を決したように顔を上げた。


「それなら、考えがあります」


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