第三十一話 兄弟の時間
「今回の件は、本当に申し訳なかった。全て俺の不徳の致すところだ」
酒の席が始まるとすぐに、近藤が深く頭を下げたので永倉らはぎょっとした。
「いえ、近藤先生。俺が勝手な真似をして隊の規律を乱したのです。どんな処分でも受け入れる所存です」
「いや……」
林太郎も重ねて頭を下げたのを見て、島田は思わず言葉に詰まっていた。
「なぜ指示を守らず池田屋へ向かった」
斎藤が刺すような視線を林太郎に向けた。彼は無口な方で何を考えているのかわからない節があるが、どうやら近藤というより林太郎に不満があるようだった。
「それは……山南さんが言った通り、」
「それは林太郎が、一重に尽忠報国の志が強いからだろう」
近藤は林太郎の言葉を待たずそう言い切った。
「しかし、結果的にはよかったとしても、指示に背いたのは事実だ。林太郎には謹慎してもらうことにする」
いいな、林太郎。そう付け加えた近藤に、林太郎が再び口を開いた。
「俺は腹を切るのでも構いませんが」
「……別に俺もそこまでは望んでない」
斎藤はそれだけ言うと再び黙り込み、静かに酒を煽った。
(しかし、尽忠報国の志か……)
――はっきり言って、そんなものはこれっぽっちもない。しかし、目の前には容保がいる。林太郎は、そんなことは口が裂けても言えなかった。
「しかし、山崎さんは……」
次に口を開いたのは島田だった。
「ああ。今度俺と山南さんで必ず礼をさせてもらう。トシには内緒にな」
林太郎は島田の方を向くと、頷いた。
波風が立たぬよう、あえて金を渡すとは言わなかった。
「そうですか…!」
よほど山崎のことが気にかかっていたのか、島田の表情がぱっと明るくなった。
「これからも監察方として、新撰組に力を貸してほしい」
「そんな……。こちらこそ、お願いします」
またもや近藤が頭を下げたのを見て、島田は慌てふためきながらもそう言った。
「そして永倉。お前がこうしていなきゃ、俺は何も気づけなかった。本当に、申し訳なかった」
近藤が改めて永倉に向き合い、背筋を伸ばした。
「……近藤さん」
「新撰組にはお前が必要だ。これからも、俺に至らぬことがあったらすぐに言ってほしい」
近藤の真っ直ぐな物言いに、永倉は毒気が抜かれたようだった。
「近藤さん、こちらこそこのような真似をして申し訳なかったと思ってる。……これからも、ご公儀のため共に力を尽くそう」
永倉が近藤に顔を向けると、深く頷く。
「永倉……。ありがとう」
近藤が手を差し出すと、永倉は無言でその手を握り返した。
張り詰めていた空気が、ようやく少しだけ和らぐ。
原田や尾関も、どこか安堵したような表情を浮かべていた。
「君は……たしか、葛山と言ったな」
林太郎は一番隅に座っている男に声をかけた。
葛山武八郎という隊士だったが、林太郎にとってはあまり深い関わりのない男だった。
「私は……」
この状況下でも、葛山は依然表情が暗いままだった。そして、何故か容保の方を一瞥した。
「?何かあるなら申してみよ」
葛山の視線に気づいた容保が、不思議そうにその顔を見た。
「いえ……何も。失礼いたしました」
「いいんだよ、この機会だし!言いたいことあるなら言っちゃえよ!」
原田が葛山の背中を強めに叩いた。
「……本当に大丈夫です。すみませんが、用がありますので私はこれにて。
殿、失礼いたします」
葛山は容保に頭を下げると、そのまま部屋を出て行った。
「実は、建白書のことを提案したのは葛山です。実際に筆を走らせたのも」
葛山が去った後、思い出したように永倉が呟いた。
「そうか。彼は新撰組に入る前は、たしか虚無僧だったな」
近藤が納得したように頷いた。
「ええ。あいつなりに、何か思うことがあるのかもしれません。そっとしておきましょう」
永倉は葛山が出て行った障子を眺めた後、静かに目を伏せた。
「兄さんが謹慎とはね」
林太郎が屯所の廊下を通ると、総司が縁側に腰掛け、足を遊ばせていた。
「でも、兄さんも謹慎なら丁度いいや。
一人で囲碁を打っててもつまらないし」
総司は立ち上がると、部屋に置かれた囲碁台の前に座った。
「ほら。兄さんからでいいよ」
「俺は法度に背いた罰として謹慎しているんだ。遊ぶための休みじゃない」
「いいじゃん、少しくらい。ここには誰も来ないし、バレないよ」
「……」
総司の言葉に林太郎は小さく息を吐くと、総司の向かいに腰をかけた。
「近藤先生たち、いいなぁ。僕も江戸に行きたかった」
囲碁を打ち始めて少しして、総司が呟いた。
「たしか、一緒に行ったのは永倉と平助だったか」
林太郎は思い出したように言った。
「うん。新しい隊士も募るみたいだよ」
総司は白石を一つ置きながら、話を続ける。
「池田屋の一件があってから、新撰組の名も広まったからね。江戸でも新撰組を知らない人はいないって、土方さんが言ってたよ。本当かなぁ」
総司は首を傾げるが、それは概ね事実だった。
前回――つまり二回目の人生でも、池田屋事件は江戸にも広く伝わっていた。特に、かつて浪士組として、同じ組織であった――新徴組においては。
「さあな」
林太郎が黒石を一つ碁盤に滑らせる。
「兄さんのおかげだね」
総司は白石を手に持ったまま、碁盤の端から端まで、睨むように見つめている。
「池田屋を突き止めたのは、他でもない兄さんなんだから」
総司は白石を一つ碁盤に置くと、林太郎の顔を見た。
「総司」
「兄さんが新撰組に来てくれてよかったって、きっと近藤先生も土方さんも思ってるよ。それなのに謹慎だなんて」
「……」
「もちろん、僕だってそうだよ。だから……」
総司は林太郎の指先を見つめた。
「だから、そこに置かないで」
「お前はわかりやすいな」
林太郎はため息を吐くと、手に持っていた黒石を碁盤に置いた。
「俺の勝ちだ」
「あ」
総司は林太郎の置いた最後の黒石を凝視した。
「あーあ、また兄さんの勝ちかあ。こっちはいつになっても勝てそうにないや」
総司はつまらなそうに呟き、畳に背中を預け倒れ込んだ。
「どうしていつも兄さんに勝てないんだろう」
総司は畳に寝そべったまま、天井を見つめた。
「お前は、すぐ表情に出るからな。考えてることがすぐわかる」
林太郎は囲碁台の前に座ったまま、総司の方を見た。
――何年同じ家で暮らしてきたと思っている。
総司が初めて囲碁台の前に座ったその日でさえ、林太郎にはそこまで昔には思えなかった。
「そんなに言うならさ」
総司は寝そべったいた身体を起こし、スッと立ち上がった。林太郎の物言いが気に入らなかったのか、頬を膨らませている。
「こっちはどうかな」
いつの間に用意していたのか、総司の手には木刀がある。
「やろうよ、兄さん。久しぶりにさ」
目を輝かせる総司を見て、林太郎は苦笑した。
「お前と違って、俺は謹慎中なんだ。トシが知ったら何て言うか」
「土方さんは元々兄さんに謹慎させる気はなかったでしょ。近藤先生が皆を納得させるために仕方なくそうしたって」
総司は、待ってましたとばかりにつらつらと口を動かした。
――あいつは、何でもかんでも総司に喋りやがって。
林太郎は心の中で土方に小さく悪態をついた。
「はい、兄さんの」
既に縁側を降り庭に出ていた総司が、林太郎に向け木刀を放った。
「……」
宙を舞った木刀を、林太郎は黙ったまま片手で受け止める。こうしてしまっては、もう逃げることはできない。林太郎も、結局は一人の剣士である。
「身体は大丈夫なのか」
林太郎は木刀を持ったまま縁側を降りると、総司に尋ねる。
「それはもう。ずっとここで休んでいたからね。むしろ、身体が訛っちゃって困ってるんだよ」
総司は肩を回しながら呟いた。残暑の日差しが降り注ぐ庭で、総司は心から楽しいというような表情で竹刀を構えた。
「さあ。いつでも来ていいよ」
総司が笑顔のままそう告げると、林太郎も対面に立ち静かに竹刀を構える。
「一本だけだ。身体に障るといけないから」
「はいはい」
総司は肩をすくめて困ったような笑いを零した。




