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第二十八話 戦の後



「……」


随分と見覚えのある天井だった。

気づけば林太郎は、屯所の一部屋で寝かされていた。


「うわあ!」


林太郎がゆっくりと体を起こすと、突然隣から驚嘆の声が上がった。


「……山崎か」


林太郎は掠れた声を出した。

そこにいたのは、監察の山崎烝だった。


「ひっ…土方さん呼んできます!」


山崎はそう言うと弾かれたように立ち上がる。桶の中で絞っていた布を投げ出したまま、部屋を出て走り去っていった。


「……」


開けたままの障子を、林太郎はぼんやりと眺めることしかできなかった。





「やっと起きたか」


数分経って、開け放たれた障子から土方が現れた。


「総司は」


「目が覚めて第一声がそれか」


お前はいつも総司総司って、そればっかりだな。そう付け加えた土方は、呆れたようにため息を吐くと、林太郎の横に腰を下ろした。


「総司は無事だ、心配ない」


「そうか……」


土方の返答を聞いて、林太郎は安堵の息をゆっくりと吐いた。


「総司から聞いた。労咳を患っていると」


「!総司が言ったのか」


「ああ」


林太郎は思わず目を丸くした。あんなに隠したがっていたのに、なぜだ。


「それよりも、お前だ。いったいいつまで寝てるんだ。死んだかと思ったな」


「……?俺は何日寝ていた」


「三日だ」


三日。三日間、一度も目を覚まさなかったと。林太郎にはまるでその意識がなかった。


「お前、山崎にはもう足を向けて寝れないな」


土方の小さな笑いが口の端から漏れた。


「そうか。山崎は医者の倅だったな」


先程まで部屋にいた山崎が、どうやら三日三晩自分の看病をしてくれたようだった。林太郎はそう自分の中で結論づけた。


「起き抜けに悪いが。お前、勝手に進路を変えたな」


進路を変えた。それは先の池田屋のことだと、林太郎にもすぐ察しがついた。


「……」


林太郎は黙り込んだ。何せ、指示を破って勝手に隊を違う方向へ導いたのだ。結果的に不逞浪士の居場所を突き止めたとしても、指示を守らなかったのは新撰組では重罪に当たるだろう。もしくは、長州の間者を疑われる可能性だってある。


しかし、林太郎にとってはそれも覚悟の上だった。


「山南さんから聞いた。

屯所を出てすぐ、怪しい者の動きがあったから、後を追ったら池田屋だったと」


土方は林太郎の顔を見た。


「山南さんはそう言っているが、本当だな」


「……ああ」


どうやら、山南は自分が寝ている間に、上手く話をつけてくれていたようだ。

その努力を無下にする気にもなれず、林太郎は曖昧な返事をした。


「さて、話は終わりだ。俺も忙しいんでな。近藤さんにも伝えておく」


早くも土方は腰を上げた。


「待て、池田屋の残党はどうなった」


林太郎にとっては、それなりに気がかりなことだった。いくら自分たちが奮戦したとしても、逃げた者も少なくないはずだ、と。


「問題ない。会津藩と俺たちで後を追ってる。

とりあえずお前は寝てろ」


土方はもう一度林太郎の目の前にしゃがみ込むと、念押しするように額を指で強く押した。


林太郎が何か言おうとする前に、廊下からドタバタと騒がしい音がした。


「じゃあな」


土方が部屋を後にする。入れ替わりに入って来たのは、総司だった。


「兄さん!」


総司は息を切らして林太郎の傍に駆け寄ってきた。


「……総司」


「目が覚めて、よかった……。僕、兄さんがこのまま死んじゃったらどうしようかと思って……」


総司の声は震えていた。その瞳も既に涙で濡れている。


「……ああ、心配かけてすまない」


林太郎は口ではそう言いながらも、内心では浮き足立つようだった。


総司は池田屋で戦わなかった。つまり、総司が池田屋で血を吐いた、その事実を自分が変えることができたのだ。


「……僕はしばらく休暇をもらうことにしたよ」


「休暇?」


「話したんだ。病のこと」


近藤先生と、土方さんにね。総司はそう付け加えると、静かに俯いた。


「兄さんのこんな姿は、もう見たくないよ」


総司は林太郎の目を見つめた。

つまるところ、総司は理解しているようだった。兄は、自分に無理をさせないためにこんな無茶を仕出かしたのだと。


「……そうか」


自分が寝ている間も、総司は随分と一人で悩んだのだろう。総司の表情が、それを物語っているようだった。


「元気になれば、また新撰組に戻ればいい」


林太郎は励ますようにそう言ったが、総司の表情は依然暗いままだった。


「……そうだね。僕もそのつもりでいるよ」


しかし、この病が良くなるのはいったいいつになるのか。この瞬間さえも、時代は大きなうねりを見せていると言うのに。

総司の考えていることも、林太郎は手に取るようにわかっていた。



「失礼します」


再び、障子の向こうから声がした。


「山南さんだ」


その声を聞いて、総司が呟く。そこには、茶を持った山南が立っていた。

どこまでも気が利く男だ。林太郎は小さく息を吐いた。


「総司、少し二人にしてくれないか」







「すみません。山南先生に茶まで持ってこさせてしまって」


「あなたは怪我人なのですから、これくらい当たり前ですよ」


林太郎は茶を啜りながら、山南の顔を見た。

正直、かなり有難かった。三日三晩眠り続けたせいか、林太郎の喉は砂のように乾いていた。


「……池田屋へ向かった理由も、上手く説明していただいたようで」


「はは、しかし土方さんは気づいていると思いますがね」


山南が小さく笑うと、林太郎は驚いて山南の顔をもう一度見た。


「気づいている?」


「ええ、そう簡単に騙される人じゃない」


山南は明るい表情のまま、話を続けた。


「わざと、知らぬ振りをしているのですよ。

きっと、あなたを信用しているから」


林太郎は思わず目を丸くした。

――トシが?俺を信用している?とてもそんな風には思えないが。


「そういえば、山南先生は大丈夫なのですか」


林太郎は考えることをやめ、山南に向き直った。

山南も、あの少ない人数で池田屋で長い時間戦ったのだ。無傷では帰れるまい。


「ええ。私も一晩ほど眠っていたようですが、あなたほどじゃない」


「他の者たちは」


「裏口を固めた三名は、残念ながら……。

しかし、他の者たちはみんな無事です」


「そうですか……」


松原や河合も、とりあえず命はあるようだった。

しかし、亡くなった三名は本来死ぬはずではなかった。


(間違いなく、俺のせいだ)


この犠牲を、忘れてはならない。無駄にしてはならない。林太郎は強く拳を握り締めた。


「それよりも、林太郎。君に聞きたいことがあってここへ来たのです」


暗い表情になった林太郎を見兼ねてか。山南が仕切り直すように話を変えた。


「何ですか」


「あの剣は、理心流ではない」


林太郎は思わず息を呑んだ。――見ていたのか。


「見たことのない太刀筋だった。それに、」


山南が今度は何を切り出すのか。林太郎は胃が痛くなった。


「君は随分と戦闘に慣れているように見えた」


そのおかげで、我々は持ち堪えられたのかもしれませんが。そう付け加えながらも、山南の視線はひどく鋭かった。


「……なぜ、連中が池田屋にいるとわかった?」


林太郎は思わず言葉に詰まった。


しん、と二人の間に重い沈黙が流れた。


「……いや、目が覚めたばかりのあなたに聞くことではありませんね。この話はまた後日に、」


「夢で、見たのです」


林太郎は口から出た言葉に、自分でも驚いた。いくらなんでも無理があるだろう、と。


「夢?」


「ええ、なんと言いますか、予知夢というか……。昔からよく当たるもので、もしかしたらと思いまして」


そう言いながらも、林太郎の目は泳いでいた。

林太郎は、山南のような機転の良さはないと、自分でも理解していた。しかし、起き抜けであることを加味しても、まさかここまでとは。


「はは、そうか、夢ですか」


山南は心底おかしいというように笑い始めた。


「私は君が変わってしまったと思っていたが」


山南は林太郎の目を見つめ直した。


「嘘が下手なのは、今も昔も変わらないままだ」


山南は小さく笑うと、腰を上げた。


「目が覚めたばかりだと言うのに、立て続けに失礼しました。

お大事に」


山南は素早く湯呑みを片付けると、あっという間に部屋を出て行った。


――切り抜けられた、のか?

林太郎には不思議に思う気持ちだけが胸に残った。


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