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第二十五話 池田屋前夜



それから月日は過ぎ、再び蒸し暑い夏の気配が京の町を包み始めていた。


林太郎は総司本人に固く口止めされていたため、その病のことを誰にも話せずにいた。

近藤や土方でさえ、総司が労咳を患っていることはまだ知らない。




そして元治元年、六月五日のことだった。

監察の山崎(すすむ)らの働きにより、新撰組は古高俊太郎という不逞浪士を捕縛することに成功した。


古高は屯所の蔵に移され、天井から逆さ吊りにされていた。

しかし、古高は中々に情報を吐こうとしない。


「しぶとい奴だ」


土方の声が、薄暗い蔵の中で響いた。

林太郎は黙って、吊るされている古高の目を見た。拷問を受けている最中とは思えないほど鋭い視線だった。

土方と林太郎の他には、この場にはいない。


「吐かねえんじゃ仕方ない。

おい林太郎、少し抑えてろ」


「何を……」


林太郎は土方の手元に目をやると、思わず息を呑んだ、その直後だった。


「ああああっ!」


耳を劈くような古高の悲鳴が蔵の中に響いた。

林太郎は思わず目を見開く。

赤い飛沫が宙を舞い、その一部が林太郎の頬にもかかった。


「おい、何してる」


林太郎は責めるような視線を土方に向けた。

土方は古高の足の甲に五寸釘を打ち込んでいた。


「ここに蝋を立てる」


土方の言葉を聞いて、古高の瞳がさらに悲痛に歪んだ。


「嫌ならさっさと吐け」


古高の視線を感じ取った土方は、強い口調でそう言い返した。


「……」


あまりの痛みに額に汗が滴っていた古高だが、無言で首を横に振った。


「そうか」


土方はそれだけ言うと、なんと蝋に火を灯した。薄暗い蔵の中、灯された炎だけが揺れていた。そして垂れた蝋涙がゆっくりと古高の足の甲へ落ちていく。


「うっ……!」


古高はさらなる苦痛に表情を歪めた。土方はそれを黙って眺めている。


「お前も嫌なら出てけ」


土方は林太郎の何か言いたげな表情を察したのか。咎めるような口調でそう言った。


「……ここまでする必要があるのか」


「こいつが吐かねえのが悪い。

なんとしてでも吐かせる」


土方はそう言うと、もう一方の足の蝋にも火を灯した。


「それが俺の仕事だ」


「……」


林太郎は黙り込んだ。目の前の古高の顔を見る。この世のものとは思えないほど、苦悶の表情だった。


――まるで、地獄だ。


「いや、俺も付き合おう」


もう今更、後戻りはできない。新見が死んで、芹沢も死んだ。その時から、自分の進むべき道は既に決まっていた。


「古高、早く吐け。

そうしないと一生このままだ」


林太郎の声は自分でも驚くほど冷たかった。



俺の居場所はもう、新徴組ではない。

――新撰組だ。






「古高が吐いたぞ」


土方の一声に、その場の空気が一変した。

既に、近藤や山南を始めとする新撰組の幹部たちが部屋に集められていた。


「奴らは御所に火を放つ」


林太郎がそう告げると、一同はその内容に思わず息を呑んだ。


「そして上様と会津公の首を取り、帝を連れ去る気だ」


「何……だと……?」


驚きと怒りの混じった奇妙な声を出したのは近藤だった。


「にわかには信じがたいな……」


永倉も唖然としたように呟いた。


「決行は祇園祭の前、風が強い日」


「すぐじゃないか!」


「それでは京の街が炎に包まれてしまう……」


土方が告げた事実に、声を上げたのは原田と井上だった。


「それで、どうするんだ」


珍しく口を開いたのは斎藤だった。斎藤一は浪士組には参加せず、京に入ってから新撰組の隊士となった者だった。


「その計画には古高も参加してるんでしょう。

なら、取り返しにくるかも」


少し考え込んだ後、声を上げたのは総司だった。


「確かに、連中は決行の前には必ず古高を取り返そうとするでしょう。その会合が……いや」


話し始めたのは山南だったが、突然言葉を切り小さく目を見開いた。


「山南さん、何かあるのか」


土方が神妙そうな山南の顔を覗き込んだ。


「今夜かもしれない。今夜は宵々山、明日は宵山。

京の街には人が増える。姿をくらますには絶好の機会だ」






「俺たちは二手…いや三手に分かれる」


土方が集められた隊士たちにそう告げる。

新撰組は、既に戦の準備を整え屯所の一部屋に全員が集合していた。


「会合が行われる可能性のある宿です」


そう言って、地図を広げたのは監察の山崎だった。地図には、いくつかの宿屋に印が付けてある。


「思ったより多いな!」


地図を端から端まで見渡し、呆気に取られたように声を上げたのは原田だ。


「ああ。だから俺たちは隊を分けて、それぞれ宿を一つずつ当たる」


いいな?と加えた土方に、聞いていた隊士も皆深く頷いた。


「近藤さんの隊には、総司、永倉、藤堂、武田、谷万太郎、浅野、安藤、奥沢、新田を入れる。

後は俺の隊を二分、そして屯所に残る者で分ける」


「それでは近藤さんの隊が少ないだろう」


土方の説明を聞き、声を上げたのは林太郎だった。


「林太郎、大丈夫だ。数が少なくてもこっちには永倉も藤堂も…それに総司もいる。心配する必要はない」


近藤は林太郎を安心させるように頷いてみせた。


「しかし……」


対する林太郎の返事はどこか心許ない。

林太郎は総司の顔をちらりと盗み見た。


(お前は労咳なんだ。本当に大丈夫か)


総司は林太郎の目線で言いたいことが伝わったのか。


(大丈夫だよ!)


小さく口の形だけでそう言った。


「では、後の者はどう分けるのでしょう」


次に口を開いたのは山南だった。


「ああ。それなんだが、山南さんには屯所の守備を頼みたい」


「!」


「俺たちが屯所を出ている隙に、連中が古高の奪還を狙うかもしれない。

腕の立つ者が残った方がいい」


山南は自分が出陣を任されなかったことに内心驚いていたようだったが、土方の説得を聞き静かに頷いた。

しかし、その瞳には些か迷いの色が見えていた。


「それで、俺の隊だが……。

俺と林太郎、二人で分ける」


「!俺か」


林太郎はまさか自分の名を呼ばれるとは思わなかったのか。不意をつかれたような声だった。


―― 過去二回の人生で、新撰組に俺はいなかった。ならば、本来この位置には誰がいた?


「俺の隊には源さん、斎藤、原田、島田……」


林太郎には、土方の話し声がやけに遠くに聞こえていた。


「おいお前、聞いてるのか」


土方に背中を強めに叩かれ、林太郎は初めてハッとした。


「あ、あぁ……すまない」


どこか気の抜けた返事をする林太郎を見て、土方は大きな溜息をついた。


「まあ、見ての通りこんな奴だが、これでも一応総司の兄だ。それに俺も……」


林太郎の隊に置かれた隊士たちを見回して、土方はそう言いかけた。


「おい、一応ってなんだ」


「お前と総司が似てないのは事実だろ」


土方が至極当然のようにそう言ってのけるのを見て、林太郎は言い返す言葉もなく小さく息を吐いた。


「確かに俺は総司ほど強くない」


林太郎はそう言うと、集まった隊士たちを見回した。皆口にこそしないが、どこか不安の残る表情が見えた。


(近藤先生、トシ、と来て俺だ。こうなるのも無理はない)


「だから、山南先生も俺の隊に欲しい」


林太郎はそう言って、山南の方へ視線を向けた。

山南はそこで自身の名が呼ばれたことに、ひどく驚いた様子だった。


「おい。そしたら屯所の方はどうなる」


土方が不服そうな声を出した。


「連中を屯所に向かわせなければいいだけだ」


林太郎は迷いなくそう言い切った。


「そうなる前に、俺たちが先に連中を見つける。できるだろ」


林太郎は試すような表情で土方の顔を見た。


「ハッ、言うようになった。上官に向かって生意気な野郎だ」


土方は呆れたように、しかしどこか満足したように口の端を吊り上げた。


――いや、試衛館では俺の方がずっと先輩だが。生意気なのはお前だろ。


林太郎は思わず心の声が口に出そうになるのを必死で抑えた。

土方は山南の方を向くと、静かに頷いた。


「山南先生。よろしくお願いします」


林太郎も山南の方を向いて頭を下げると、山南も静かに立ち上がった。


「こちらこそ。林太郎のご指名とあらば」


山南のその口振りに、林太郎は苦笑いを零すしかなかった。


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