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第二十四話 病の兆し



冬が過ぎ去り、京に来て二度目の春が訪れた。


野口が新撰組を去ったことで、芹沢派は完全に姿を消した。

新撰組は、今度こそ、近藤勇を中心とした新たな組織として動き出していた。






「京に来てもう一年か」


林太郎は満開の桜を見上げながら呟いた。


ちょうど一年前。

林太郎と総司は同じ場所で桜を眺めていた。


「なんだか、色んなことがあったね」


総司もまた、桜並木を見上げる。


「……そうだな」


満開の桜は、一年前と少しも変わらない。皮肉なほど美しかった。


―― 新撰組はこの一年ですっかり変わり果ててしまったと言うのに。


「それでも、僕は京に来てよかった」


総司は桜を見上げたまま、呟いた。


「やっと自分の生きる道を見つけた気がするんだ」


春風が吹き抜ける。

舞い散った桜の花びらが、総司の肩にひらりと落ちた。


「……」


林太郎は黙って総司の言葉に耳を傾けていた。


「近藤先生がいて、土方さんがいて、試衛館のみんながいる。

一緒に剣を振って、一緒にご飯を食べて、そしてまた一緒に稽古をして」


京で恐れられる剣士とはまるで思えない。総司の声は驚くほど穏やかだった。


「そりゃあもちろん、怒られたり、嫌なこともあるけどさ」


総司は小さく笑った。


「毎日が楽しくて、あっという間で。

気づいたら、ここが僕の居場所になってた」


総司はそう言い切ると、桜から視線を落とし林太郎の方を見た。


「それに、隣には兄さんがいる」


少し照れくさそうに笑う総司を見て、林太郎も思わず目を細めた。


「……兄さんは?」


総司が少しだけ不安そうな声を出した。


「兄さんは、新撰組に来てよかった?」


その問いに、林太郎の瞳が小さく揺れた。

――なんと答えるべきか。


林太郎はわずかに視線を泳がせたが、やがて静かに目を伏せた。


「ああ、もちろん」


総司はその答えを聞くと、安心したように息を吐き出した。


「なら、よかっ……ごほっ」


「総司」


「ああ、ごめん、少し風邪を引いたみたいなんだ。季節の変わり目だしね。

でも大丈夫、きっとすぐに――」


「違う」


林太郎は自分の血の気が引いていくのを感じていた。


違う、これは風邪なんかじゃない。

――父上の咳と、同じだった。


「総司、いつから咳が出るんだ」


林太郎の声はわずかに震えていた。


「え?んー、最近かなぁ?」


総司は首を傾げた。


「でも本当に大したことないよ」


総司はなんでもなさそうに笑ってみせた。

しかし、林太郎の顔はみるみる青ざめていった。


「医者に行こう、総司」


「だから、それほどじゃないって。大丈夫だよ」


「いいから、行くぞ」







「労咳でしょうな」


医者は当然のことのように、淡々とそう告げた。


「労、咳……?」


総司は信じられないものを見るかのような表情で医者を見た。


「まさか。何かの間違いではないですか?」


総司は早口で捲し立てるように声を上げた。


「だって、本当に、ただ少し咳が出るだけで……。

ねえ、兄さんも何か言ってよ」


総司が縋るように林太郎の方を見た。


「……」


林太郎はさして驚く様子も見せず、ただ俯いて口を閉じていた。


しばらく、その場を沈黙が支配していた。


「しかし、まあ早い段階でここへ来たのはよかった。不幸中の幸いと言うべきか」


最初に沈黙を破ったのは医者だった。


「あなたはご親族の方ですか」


医者は林太郎の方に向き直った。


「はい、兄です」


「それは話が早い」


医者は柔和な笑みを見せた。


「安静にしていることです。無理をさせてはならない」


「そんな、無理だよ!ただ寝てるだけなんて」


医者の言葉を聞き、総司は居てもたってもいられないという様子で立ち上がった。


「新撰組はこれからだと言うのに。安静になんてしていられません」


その瞳には、悔しさが滲み出ていた。


「総司」


「ねえ先生、治してくださいよ!治してくれるならなんだってするから!」


「総司、」


「何か……何かあるんでしょう?治す方法が。

お金だって何とかしてみせます」


「総司!」


ついに林太郎が大声を上げたので、総司はびくりと肩を揺らした。


「……この病を治す薬はない。悪くなることはあっても、良くなることは少ない」


林太郎は苦悶の表情で口を開いた。

それを聞き、総司の表情は凍りついたように冷たくなった。


「よくご存知でいらっしゃる。もしや、ご経験が?」


「……俺の父も、労咳でした」


「それは……」


医者は林太郎の言葉に思わず言葉を失った。

父と弟が同じ病で苦しむとは。目の前の男にかける言葉が、医者には見つからなかった。


「とにかく、安静にしていることです」


医者は再び総司の顔を見た。


「でも……」


総司はまだ諦めきれないというような表情でいた。


「ご自身のためだけでなく、家族のためにも」


医者はまっすぐと総司を見つめてそう言った。







「……父上は、どんな具合だった?」


屯所への帰り道。先に口を開いたのは総司だった。


「……苦しそうだった。血を吐くこともあった」


林太郎は自分の足元を見つめながら、小さく呟いた。


「そっか。僕もいつかそうなるのかな」


総司は他人事のように空を見つめた。

先程まで青かった空は、今はすっかり茜色に染まっていた。


「そうはさせない!」


林太郎は強い口調でそう言った。


「総司、お前はしばらく休め。その間に、」


「兄さん」


総司は林太郎の言葉を遮ると、その場に立ち止まった。林太郎も足を止め、総司の方を振り返った。


「人はいつか死ぬんだよ」


風が吹き抜けた。西日に照らされた桜の花びらが、二人の間を舞っていく。


「僕は自分の人生を新撰組に使いたい」


遠くから寺の鐘が鳴る音がかすかに響いていた。


「……それはわかってる」


林太郎は苦し紛れに口を開いた。


「それでも、俺はお前を諦められない」


傾いた陽が、二人の影を長く地面へ伸ばしていた。


「お前はこれから、好きな女でも見つけて、家庭を持って……。

白髪になっても孫に剣を教えて」


林太郎の声はわずかに震えていた。


「……そして、最期は皆に見守られながら、静かに人生を終える」


林太郎はそう言い切ると、総司の顔を見た。


「それが、俺の何よりの願いだ。

父上にも、お前のことを託されている」


林太郎の言葉を黙って聞いていた総司は、ただ悲しそうに微笑んでいた。


「……そっか」


総司はたった一言それだけ言うと、また歩き始めた。林太郎も、黙って総司の後をついて行く。


「どうして、僕なんだろう」


歩き始めてすぐ、ぽつりと独り言のように総司がまた呟いた。


「まだ、何も始まってないのに。これからなのに、」


総司の声も徐々に震えが混じっていた。


「僕だって、死にたくないよ……」


総司はついにその場で止まり、蹲った。決壊して溢れた涙が地面にぽつぽつと染みを作っていく。


「大丈夫」


林太郎は総司の隣にしゃがむと、その背中をそっとさすった。


「俺が死なせない」


総司の背中を撫でる手とは対照的に、もう片方の拳は固く握り締められていた。



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