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第二十三話 野口健司



「お前は俺を殺した。責任から逃げるな」


林太郎が振り返ると――暗闇の中、血に塗れた芹沢がこちらをじっと見つめていた。


「お前は孤独だ。

近藤も、土方も、お前の弟も――誰も本当のお前に気づいてない」


それでいい。理解されたいなんて思わない。

そう言いたいのに、まるで金縛りにあったかのように身体が言うことを聞かない。


「ははっ、なら当ててやろうか」


芹沢の目がゆっくりと細くなった。


「林太郎。お前は――



もう何度も死んでいるな」









「……さん!兄さん!」


「……はっ」


林太郎は弾かれたように身体を起こした。

心臓が嫌なほど早鐘を打っている。

気付けば寝衣は汗で肌に張り付いていた。


「夢か……」


林太郎が顔を上げると、障子の向こうは既に明るくなっていた。


「大丈夫?だいぶ魘されてたけど」


林太郎の隣で寝ていたはずの総司は既に起き上がっていた。心配そうに林太郎の顔を覗き込んでいる。


「ああ……その、父上の厳しい稽古を夢に、見た……」


林太郎は目を泳がせた。何とも歯切れの悪い声だった。


「……」


総司は納得いかないという表情で林太郎の顔をしばらく見つめていた。


しかし、無理に問い質すことはしなかった。


「父上かぁ。僕は全然記憶ないや」


総司は天井を見つめたまま呟いた。


「父上はお前が二歳の時には亡くなったからな。覚えていないのも無理はない」


「そんなに厳しかったんだ」


「それはもう。お前には甘かったけどな」


林太郎は懐かしむように目を伏せた。


林太郎にとっても、この目で父の姿を見たのは――

もう、遠い遠い過去のことだった。


「それじゃあ兄さんと同じだ」


総司は布団から立ち上がって伸びをした。

障子の向こうでは、小鳥のさえずる声が静かに響いていた。


「兄さんも僕に甘いから」


総司は林太郎の方を見た。


「……そうかな」


「そうだよ。近藤さんも土方さんも皆言ってるよ?僕ももう子供じゃないのに」


総司は少し不満そうに唇を尖らせた。


「わかってるよ。もうお前も立派な大人だ」


そう言うと、林太郎も立ち上がった。

屯所の他の部屋からも、隊士たちが動き出す音がしていた。


「本当にそう思ってる?」


総司が疑うような目を向けられた林太郎は、思わず苦笑した。


――わかっているさ。

お前が生まれた日も。

初めて歩いた日も。

初めて竹刀を握った日も知っている。


それでも、総司はもう子供ではない。



「でもさ」


総司が障子を開け放った。朝の日差しが部屋へ流れ込み、林太郎は思わず目を細めた。


「僕は父上がいなくても全然寂しくなかったよ」


総司は振り返った。


「だって僕には兄さんがいたから」






あの夜、芹沢鴨は死んだ。

芹沢派の平山五郎も山南と原田の手によって討たれ、平間重助は闇に紛れて姿を消した。

表向きは長州浪士による凶行とされ、その真相を知る者たちは口を閉ざした。


この日を境に、新撰組は近藤勇を中心とする組織へと姿を変えていく。

誰もが知る「新撰組」の始まりだった。




――そのはず、だった。




「……何のつもりだ」


「芹沢先生を殺したのは、あなただ」


刀と刀がぶつかり合い、鈍い金属音が響いた。

芹沢の死から数ヶ月後――季節は移り変わり、京の夜には雪が降っていた。


「……野口か」


「先生を殺した人間が来ていい場所じゃない」


林太郎の背後には――芹沢の墓がある。

林太郎の前に現れたのは、芹沢派でありながらたった一人新撰組に残された男――野口健司だった。


「……」


「だんまりですか」


次の瞬間、野口が刀を閃かせた。

怒りに任せた荒々しい一撃だった。

林太郎はそれを難なく受け流す。


二度。


三度。


野口は我武者羅に斬りかかるが、その刃が林太郎へ届くことはなかった。

やがて鋭い金属音が響く。


「……っ!」


野口の刀は宙を舞い、雪の上へ突き刺さった。

その勢いのまま、野口自身も雪の上へ転がるように倒れ込んだ。


「っ、クソ!」


野口は苛立ちを隠し切れない声で林太郎を見上げた。しかし、林太郎は動かない。


「殺せよ」


「……」


「殺せよ!!先生を殺した奴がいい人ぶんなよ!」


野口の悲痛な叫び声が、雪の降る夜に響いた。

それでも、林太郎はただ黙って野口を見つめていた。


「先生は……あんたを気に入っていたのに……なのに、なんで……」


野口の声は震えていた。必死に言葉を紡ぐ口からは、白い息が漏れ出ていた。


「屯所に戻ったって、どうせ切腹だ。だから、殺してくれ……。俺も、先生のところに……」


ついに野口の瞳に涙が浮かんだ。零れた涙が雪の上に落ち、静かに消えていく。


「逃げろ」


林太郎のその一言に、野口は俯いたまま目を見開いた。


「……は?」


「逃げろと言っている」


野口は顔を上げ、思い切り立ち上がった。刀は雪の上に突き刺さったままだ。


「ふざけるのも大概にしろよ…!

先生を殺しておいて、今更何のつもりだ!」


それは、ほとんど悲鳴のような声だった。


「芹沢先生を知っているお前が生きるんだ」


林太郎はゆっくりと野口に近づいた。


「たしかに先生は死んだ」


林太郎は後ろを振り返り、芹沢の墓を見つめる。


「だが、消え去った訳ではない。

お前が覚えていれば」


「……!そ、んなこと……」


「……これを」


林太郎から手渡されたものを見て、野口の瞳が大きく揺れた。


――芹沢が愛用していた、鉄扇だった。


「こんなところでは先生も安心して眠れないだろう」


鉄扇が野口の手に渡ったのを見ると、林太郎は自身の刀を鞘に収めた。


「どこか先生の好きそうな場所に、墓を建ててほしい」


鉄扇に向いていた野口の視線が、ゆっくりと前を向く。その瞳は涙に濡れていた。


「お前にしか頼めない」


野口は何も言わなかった。

ただ一度だけ強く頷くと、踵を返して雪の中へ駆け出していく。

林太郎はその場に立ち尽くした。雪の向こうへ消えていく背中を、ただじっと見つめていた。



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