第二十一話 新見錦
「珍しいな」
開口一番、新見は怪訝そうな顔をした。
「お前から呼び出すとは」
「急なお呼び立て、失礼いたしました」
林太郎は新見が上座に腰掛けたのを確認すると、徳利を傾け酒を注いだ。
「浪士組の際はお世話になりました。
……その、同じ三番組にいながらまともに言葉を交わした覚えがあまりありませんので」
「……」
「新見先生とは、一度こうして酒を交わしてみたいと、」
「沖田」
新見はそこで林太郎の言葉を遮った。
「思ってもいないことを言うな」
「……いや、」
「本題を言え」
新見の強い口調に、林太郎は思わず視線を横にずらした。
しかし、やがて意を決したように背筋を伸ばした。
「……これ以上、隊の名を汚すような振る舞いは慎んでいただきたいのです」
「何?」
「いえ、ですから……」
「私が新撰組の名に泥を塗っていると、お前はそう言いたいのか」
新見の酒を飲む手が止まる。
林太郎は思わず言葉に詰まった。
「そうか、図星か」
「いえ、新見先生が新撰組にいることで我々も大変助かっています。ただ、」
「お前も立派な人間になったものだ」
新見が皮肉めいた笑いを見せた。
「三番組にいたお前は取るに足らない凡夫だった。
だが今はどうだ。近藤の下にいながら、芹沢先生にも目をかけられている」
新見は酒を口に運びながら林太郎の顔を値踏みするように見つめた。
「そして今度は何かと思えば、私に説教と来た」
ははは、本当に偉くなったものだ。そう付け加える新見に、林太郎は思わず眉をひそめた。
「……このままではあなたの身が危ない」
「お前は私を憐れんでいるのか」
ガシャン、と大きな音を立てて新見が立ち上がった。傍で給仕をしていた仲居が小さな悲鳴を上げた。
「なら今ここで私を斬ればいい」
「それはできません」
「お前に加減される言われはない!」
ついに新見は林太郎の胸倉を掴んだ。
しかし林太郎は抵抗するどころか、その手を振り払おうともしなかった。
「殴りたいなら殴ればいい。それであなたの気がおさまるなら」
「……お前のそういうところが、私は大嫌いだ」
次の瞬間、鈍い音が店内に響いた。
「話は聞いた。新見は切腹させる」
屯所へ帰った林太郎にそう告げたのは、土方だった。
「うわぁ、痛そうですよこれ……何発やられたんですか」
心配そうな顔をしながら、林太郎の手当てをするのは平助だった。
「ちょ、痛!そこ染みるから!」
「ああっすみません!」
焦る平助と腫れた顔の林太郎を見て、土方は溜息を吐いた。
「お前も馬鹿だな」
「トシ、待ってくれ。切腹はよせ」
「んなこと言ってる場合か」
土方は心底呆れたような顔をした。
「私闘は局中法度に反する。切腹に決まってる」
「私闘はしてない。ただ俺が殴られただけだ」
「……なら抵抗もしねえ相手を殴っといて、士道不覚悟じゃねえってのか」
「俺が殴っていいと言ったからだ。むしろ殴ってくれと頼んだまである」
「……」
土方はついに呆れてものも言えなくなったというような顔をした。
「総司、こいつどう思う」
「兄さん、それはさすがに意味がわからないよ」
総司も苦笑いを浮かべていた。
「林太郎!殴られたって聞いたけど大丈夫か!
うわぁすごい顔だ!」
「近藤先生、第一声がそれですか…」
廊下から走ってやって来たのは近藤だった。
「クソ、林太郎をこんなにしやがって…!あいつ許せねえ!」
「近藤先生、俺は大丈夫ですから。新見さんに腹を切らせるのはやめてください」
「林太郎、お前……」
近藤は林太郎の言葉を聞いて目を丸くした。
「局中法度にも反していません。だよな、トシ」
「いや、ただの屁理屈だろ」
ついに林太郎に言い返す気力を失ったのか、土方はどうでもよさそうに呟いた。
「新見はもう切腹でいいよな。なぁ近藤さん」
「いや、待て」
近藤は一度目を伏せた。
「……新見先生は謹慎、そして局長の任を解き副長助勤に下げる。それでいいだろう」
「おい近藤さん、冗談だろ。林太郎が手を出されてるんだぞ」
土方は信じられないというような目つきで近藤を見た。
「だからこそだ。林太郎がそこまでして守ろうとしたものを、俺は無下にはできん」
近藤は困ったように笑ってみせた。
「新見先生」
それから数日間、新見は屯所の一室で謹慎を命じられていた。
新見が日の当たらない狭い部屋で一人徳利を傾けている時だった。
「平山か」
新見のもとを訪ねたのは、平山五郎という男だった。新撰組では、副長助勤を務めている。
「お加減はいかがです」
平山は部屋へ入ると、新見の横に腰を下ろした。
その左眼には、眼帯が付けられている。
「……見ての通りだ」
新見が酒を口に運んだのを見て、平山は小さく息を吐いた。そして、空になった新見の杯に酒を注ぐ。
「……しかし、沖田も案外こちら側の人間なのかもしれませんな」
「何?」
新見の酒を運ぶ手が止まった。
「先生の助命を願い出たそうじゃありませんか」
平山の言葉に、新見は大きく目を見開いた。ゆっくりと、平山の横顔に視線を移す。
「弟の方は随分と近藤に心酔しているが、彼は違うようだ。
案外、芹沢先生を買っているのかもしれませんね」
「……」
新見が黙り込んでいるのも他所に、平山はまた口を開く。
「沖田がいなければ、先生は今頃腹を切っていたかもしれませんな」
なんて、言っても仕方のない事ですがね。平山は冗談めかしてそう言いながら、酒を煽った。
「……何を」
新見が膝の上で拳を握り締めた。爪が掌に食い込んでいた。
「平山先生!」
ふと、部屋の向こうから声が響いた。
「ああ、野口か。今行く!
では先生、失礼いたします。……先生?」
腰を上げた平山は、新見を見て思わず動きを止めた。
「その手、どうされたんです。血が出ていますよ」
いつしか日は落ち、狭い部屋を照らすのは燭台の灯だけになっていた。
新見は薄暗い部屋の中、一人酒を煽っていた。
「……」
再び酒を注ごうと徳利を傾けたところで、既に中身が空になっていることに気づく。
「……クソ!」
新見は数秒徳利を見つめた後、徳利を部屋の隅に放り投げた。
ガシャン!と陶器が砕け破片の飛び散る音が響いた。
―― ふざけるな。あいつに命を救われただと?
揺れる燭台の灯だけが、新見の横顔を照らしている。
「余計なことを……」
障子の向こうでは、鈴虫の鳴く音が絶え間なく響いていた。
―― 芹沢先生は、三番組にいた頃の沖田を知らない。あの頃の沖田林太郎は、ただの凡夫だった。
しかし、京へ残ってからあいつは一変した。
何故だ。何故あいつなんだ。何があいつをそこまで変えた?
「……馬鹿にしおって」
新見はゆっくりと顔を上げ、床に置かれた刀に目を向けた。
暗闇の中、鞘から僅かに覗く刃が、燭台の灯を受けて鈍く光っていた。




